雨のルーンカフェ
久しぶりの健全な百合作品を描きました
放課後の空気は、雨の匂いで少し重い。校門を出たところでポツポツが本降りに変わって、私は慌てて上着のフードを引っ張った。
大須のアーケードが見えてくる。軒の深い通りに入ると、世界の音が一段小さくなる。ガラス越しに湯気が立って、店の中で誰かが笑った。——いつもの店だ。
“Rune Café” と書かれた木の看板は、いつ見ても読み方が定まらない。ルーンだかルネだか、店主の趣味らしい。扉を押すと鈴がひとつ鳴り、コーヒーの匂いが胸の奥に落ちていく。
彼女は窓際、角の二人席でカップを両手に抱えていた。黒髪を耳にかけた横顔。目が合うと、静かに手を上げる。
「遅くなった?」
「降ってきたもんね、タオルいる?」
彼女が小さめのタオルをさっと差し出してくれる。
前髪の水を拭いて椅子に腰を下ろすと、窓を伝う雨筋がはっきり見えた。
指先でガラスに触れると、ひんやり冷たかった。
「外寒かった?」
「あ…うん、平気。ミルク多めのカフェオレで」
彼女が店主に軽く手を上げる。
常連だからか、店主もわかってくれて、すぐに応じてくれた。
テーブルの表面に刻まれた石目調のラインを指でなぞった。
彼女が横目でそれを見て、少し笑った。
「テストどうだったの?」
「まあまあ。英語だけ赤点回避」
「十分。それであなたは?」
「聞かないで、聞かぬが華っていうでしょ」
よっぽど悪かったのか、あまりその話題に触れたくないようだ。
それなのに、彼女がわざわざ話を振ってきたのに。
短いやりとりの間に、カップが一つテーブルにやさしく置かれた。
カップから白い湯気が上がり、私の方へゆっくりと流れてくる。
「明日ね、朝、屋上に行きたい」
私はカップを両手で持ち直して言った。
「学校の?」って彼女が聞いてきた。
「うん。雨が上がってたら、早めに行きたいの」
彼女は少し考え込んだような顔をして、うなずいた。
「七時でどうかな?」
「うん、七時なら行けるよ。ありがとう」
私は笑顔で即答した。
「もし無理そうなら、メールで『休む』って送って。待たせたくないから」
彼女がそう言ってくれた。
「わかった。私も同じにする」
そう言い切ると、胸の中に暖かいものを感じた。
窓の外を、人々の傘がゆっくり流れていく。
透明なビニール、紺色、チェック柄。雨の日のアーケードは、音が優しく響く。
彼女は少し考え込んでいたが、思わずスプーンでカップのふちを一度だけ叩いた。
カン、と短い音が響いた。
なんだかそれも今日はいいアクセントになってるのかもって思っちゃった。
「そういえば屋上の鍵どうしよっか?」
私は鍵のことを思い出して言った。
「先生の見回りが遅い日がある。明日は多分……開いてる」
彼女がそう言ってきた。
どうしてそんなことを知ってるんだろう?
「そういえばさぁ…多分が好きだよね」
私は笑いながら言うと、彼女は少し不満そうに口をとがらせた。
「確約が嫌いなだけ」
「らしいなぁ」
私は、彼女を見ながらニコっとして笑顔で答えた。
店主がレジ前の黒板を立てかけた。
〈雨の日サービス ホット一杯おかわり半額〉の文字が目に入る。
私は空になりかけたカップを見て、少し迷った。
「半額みたいだよ。おかわり、する?」
彼女が店主の動きを見て、そう聞いてくれた。
「今日はやめとく。眠れなくなるし」
「じゃあさ、歩かない?雨の音を聴きながら歩くの結構好きだから」
彼女の言葉に、心ごと頷いた。
彼女の言葉には、何か惹かれるものがあるんだけど、うまく表現できないんだよね。
うまく言えないことが多い日は、歩くのがいいらしい。
確かウォーキング瞑想ていうんだったと思う?
なんかで聞いたことがあるような気がするけど、実際どうかはわからない。
落ち着いて何かがわかるのかもしれない、わからないかもしれないけど、
それでも彼女と歩くのは、やっぱり素敵な時間だと思う。
会計を済ませて外へ出たら、鈴がもう一度鳴り、頬に冷たい雨が跳ねてきた。
「傘ないんだよね?」
彼女がそう言ってきた。
「うん、何で知ってるの?」
私は今日、傘を持ってきてなかった。
多少の雨なら濡れて帰るつもりだったし。
「そりゃ、見ればわかるよ」
彼女が少し笑って言った。
「一緒に入らない?」
彼女の透明の傘に、私は半歩寄った。
肩が触れても触れなくてもいい、絶妙な距離感で、なんだかドキドキしながら心地よさも感じている。
無意識に少し安心している自分がいた。
歩き出すと、傘に当たる雨音が静かなリズムを作りながら響く。
アーケードの端で風が巻いて、二人の前髪をふわりと持ち上げた。
その瞬間、何か不思議な気持ちが胸の中で広がり、気分が自然に上がっていった。
「うん。無理なら『また明日で』って送るから」
ゆっくりとした歩調で、彼女が答えてくれた。
「ありがとう」
「こちらこそ」
簡単な言葉の交換だけど、雨音がそのまま二人の間に心地よい空気を作ってくれている気がした。
曲がり角に差しかかると、彼女が足を止めた。
「ここで平気?」
私の家はここからまっすぐで、彼女の家は右に回るから、一緒に歩けるのはここまでだった。
「うん」
ここでお別れかと頭ではわかっているけど、少しだけ残念な気持ちがこみ上げる。
傘の中で、彼女が私を見つめている。
まつげに雨粒が残っていて、視線がいつもよりやわらかい。
「じゃあ、明日の七時」
「うん、七時」
私は名残惜しさを感じながら、少しだけトーンを低くして答えた。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
彼女が何気なく言ったおやすみの言葉が、なんだか心に温かく響いた。
こういうのも良いなぁと、嬉しく感じてしまった。
急に彼女が傘を私に渡し、そのまま駆け足でアーケードの明るい方へ消えていく。
私はあっけにとられて、しばらく立ったまま、傘の内側についた水滴を見つめていた。
ここからだったら私の家の方が近いのに、それに風邪をひいたら…
それでも渡してくれた傘を、私はいとおしそうに見つめてしまった。
帰り道、交差点の信号待ちでメモアプリを開く。
〈明日7:00 屋上〉と打って、通知をオンにする。
画面を閉じて顔を上げると、雨が少しだけ弱まっていた。
靴底が濡れたアスファルトを踏む音が、さっきのカップの音と同じ高さで響く。
明日の朝、何を話すかは決めないままでいることにした。
決めない余白があるほうが、私たちには合っている。
そう思える夜だった。
名前あったほうがよかったかな?
でもなんとなく私と彼女にしちゃいました




