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第9話 救子(すくこ)

——サトル——


倒れていた少年の顔は、まだあどけなさを残している。

歪み、荒い呼吸を繰り返している。

五つか六つだろうか。

熱だ、熱が出ているだけだ——そう思い、抱きかかえて廃屋へ運んだ。


囲炉裏いろりの横に寝かせる。

身体が震えている、まずは温めないと。

囲炉裏の火に近づけ、パジャマの上をかける。


まずは熱を冷さなければ。

冷えピタ、氷まくら、あるわけがない。


せめて濡らした布で冷ましてやりたい。

パジャマのズボンを膝のところで裂き水場に走る。

廃屋にあった甕に水を汲んできた。

大丈夫だ。

ユキも、そんな時がたくさんあった。

心配いらないぞ、ここにいるからな。


でも、ユキが熱を出した時はいつもMARIKOがいた。

私一人じゃなかったんだ。


濡らした布も、すぐ温かくなってしまう。

水を飲ませれば、すぐに吐いてしまう。

布を替え、口元を拭き、また当てる。

何度も繰り返すうちに、足元から絶望が忍び寄った。


「一人じゃ無理だ。」


情けなさが胸を刺す。

ここじゃ熱を出した子供一人を救えない。

村へ連れて行くか——夜道をこの子を背負って行くのは危険すぎる。


あの女。

お隣に助けてもらえないか。

魚を投げ捨てられた記憶が、胸をよぎる。

だからといってこの子をこのままにはできない。


子どもを抱きかかえ外に飛び出す。

月明りが私の背中を押してくれた。

子どもを抱いて満月の下を進む。


女の家の戸口の前に立って呼吸を整える。

ドンッ、ドンッと戸を叩いた。


——女——


夜中の戸の音で目が覚める。

この家を訪ねるのなんてシラネブかハスネくらいのものだ。

何事だろうと、静かに床を抜け出し隙間から外を覗く。


見慣れぬ影が立っている。

あいつだ。

前に見たあいつが何かを抱えて立っている。

息が荒い。


気が遠くなりかける。

倒れそうになる気持ちを、なんとかつなぎ止め、何を抱えているのか目を凝らす。


子どもだ。

胸の奥がざわつく。

脳裏に「奪われる」という言葉が閃いた。


「この畜生! 子どもに触るな、離せっ!」


子どもをひったくり、怒りのままに脛を蹴る。

子どもを土間に寝かし、包丁を掴み戸口に立つ。


一瞬たじろいた。

あいつは目を潤ませながら指を組んであたしに祈っていた。



——サトル——


何かを伝える隙もなく叫びと共に脛を蹴とばされた。

あまりの痛みに膝をつくと女に子どもを奪われる。


女が、中から何かを持って戸口に向かってくる。

暗がりでぬらり光ったのは包丁の刃だ。


村で男たちが指を組んで祈っていたのを思い出す。

指を組んで手を頭上に掲げる。

そこまでは一瞬だった。


時間が止まる。


目を開けると、戸惑った顔の女がいた。

女の瞳が揺れた。

その揺れは、母としての迷いだと私は悟った。

今しかない。

私は子どもを指さし、苦しそうな顔をする。

息を荒くし演技を続ける。

咳もしてみた。


わかってくれない。


演技を激しくしてみる。

もう一度子どもを指さし、地面に転がり苦しそうな演技をする。


女は子供に目をやり、包丁を下した。

子供に近づき様子を見る。

こちらに視線を送ると静かに頷いた。


すぐさま囲炉裏に火を点け、子供を布団に寝かせる。

土間に降り桶を私に渡すと顎で家の裏を指した。


桶を持って裏に回る少し歩くと小さな沢があった。

岩に掘られた仏像のような彫刻。

そのそばに水が湧き出している。

冷たい水で指がしびれ、一瞬身体が震えた。

桶に水を汲んで戻る。


土間にあがり床の間に桶を置く。

女は布を濡らし子供の額に置いた。


子どもが咳き込み、呼吸が荒くなる。

弱弱しい声が聞こえた。

子供の言葉の音は何をいってるかわからなかった。

ただ意味は確実にわかった。


「おっかぁ……」


女が手を握る。

震える声で、それでも子を安心させるように柔らかく語りかけた。


「ここにいるよ……」


どうしようもないくらい伝わった。


女はもう一度桶を指さし、次に土間の釜を指さした。

そばには火打石。

これならできる。

火を点け湯を沸かす。


女はその間子供に優しく言葉をかけ続けていた。


白い湯気が立ち上り眠気を吹き飛ばした。


湯が沸いたことを教えると、女は土間に置いてあった椀を指さす。

椀にお湯を注ぎ、女の元に運ぶ。

女は息を吹きかけ冷ます仕草をした。

私は頷いて白湯を冷ます。


女が白湯を子供にゆっくりと飲ますと子供は少し落ち着いたようで寝息を立て始めた。

女は椀を私の前に戻し、私と椀を交互に指さす。

頭を下げ、冷めきった釜の中の白湯をいただく。


土間の片隅にあったむしろを指さされる。

土間に敷くとそこで休むよう言われたようだ。

私は首を振って蓆をもって外で横になった。


女は不思議そうな顔をしていた。

夜の気配は秋をはらんで冷たくなっていた。

ただ私の胸の奥にはわずかな温もりが残っていた。


目が覚めると女が土間に立って何かを作っていた。

立ち上がり、頭を下げる。


女がこちらを見て小さく頷く。

私は子どもを指さす。

女がフッと笑う、小さな花が咲いたようだった。

私も笑顔を返す。


女が匙と粥の入った椀を私に渡し、子供に粥を与え始めた。

子供がまた眠ると女は私と子供を交互に指さす。


私はハッとして匙の柄の部分で地面に絵を書く。

言葉が通じなくても分かり合えるかもしれない。


絵を描くのは得意だった。


幼稚園の発表会で、娘は白雪姫の森の動物Aの役になった。

動物のお面を各家庭で作るのだが、妻の絵は致命的だった。

私が描いた熊はさくら組のお友達に大人気だったと娘が教えてくれた。


私は村と子供を抱きかかえた大男の絵を書いた。

そして最後に女の家を描くと、匙で家から村に線を引いた。


女は絵にそっと触れて私を見上げた。

そして大きく頷いた。


女に水筒を渡され、子供を抱き歩き始める。

子供の寝息は静かで落ち着いている。

村の入口まで行こう。


あの追放の儀式が頭をよぎる。


村には入れない……。


入口でそっと寝かそう。

その小さな体を離すとき、腕に残った温もりが風にさらわれていくようだった。

子どもの寝息は穏やかで、まるで秋の夜に流れる小川の音のように、静かだった。


「ユキ……」


あふれた言葉は秋の風に溶け、遠くへと運ばれていった。

それでも胸の奥には、かすかな温もりが残っていた。

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