第6話 追放
居酒屋 常夜
――芋虫の夜――
気づけば、俺のコップは空になっていた。
隣の小柄な男が、紫煙を吐きながらにやりと笑った。
「おーい。にいさん、どうした呆けた顔して。」
男が煙草に火を点けた。
マッチの火がちらりと赤く揺れ、油の染みついた天井に影を走らせる。
「ははーん。にいさん、芋虫だな。気持ち悪いってか。
おいおい……蜂の子ぐらい喰ったことないかい。」
俺は男に言った。
「そうじゃない、名前……」
なぜか、一言しゃべるのもこの男の前ではうまくいかない。
「名前かい。与太郎、与太飛ばしの与太郎だよ。」
灰皿にコツンと灰を落としながら、与太郎が言う。
「違う、名前がさ……」
俺は上手く回らない舌を呪いながら与太郎に伝えた。
「にいさんの名前が悟で、しかも女房の名前が真理子だって……
おいおい出来すぎだな」
与太郎がフーッと煙を吐く。紫煙が灯りを歪ませ、目が一瞬だけ狐狸のそれに見えた。
「おい、にいさん。よしんばにいさんの名前が与太話の主人公だとしても、
与太郎の与太話には一切関わりなんてございません。
与太を語れば最後まで。出発進行、シートベルトはございません。
……まだまだ宵の口。
にいさん。与太郎の与太話、心行くまで楽しんでくれ。」
与太郎は俺のコップに酒を注ぐ。
酒の匂いと煙草の煙が重なり、喉の奥まで沁みるようだった。
第6話:追放
チーン、チーンと鐘の音が聞こえる。
ゆっくりと目を開き周りを見渡した。
指を組んで頭の上に掲げている沢山の小さな男たち。
人生で最悪の目覚めだ。
男たちは私が起きたことに気づくと指をほどいてこちらを見つめた。
どの顔も表情がない。
もう一度鐘の音がすると縄を引かれた。
立ち上がるのを促しているかのようだった。
縄が手首を擦り、痛みに顔をしかめる。
男たちの顔には一切の感情がなかった。
立ち上がり縄に引かれるまま歩き出す。
これから何が起きるのか。
昨日の夜の儀式めいた晩餐は村に入る通過儀礼だったのか。
もしかしたら受け入れてもらえるのかもしれない。
死を免れ自分の立場が少しでも良くなるよう祈る。
連れていかれたのは村の入口だった。
村の外に続く道に竹が突き刺さっている。
竹の間は2メートルほどで、両方の竹を渡すようにしめ縄のようなものが結ばれていた。
壮年がしめ縄の前に立つ。
若者たちが甕をもってきた。
佐々木もいた。
壮年、細面、アバタメが柄杓でどぶろくのような酒をすくう。
次に仮面が竹筒で酒をすくった。
仮面が竹筒を持って私に渡した。
壮年が私に何か話しかける。
三人が柄杓を口に運ぶ。
私が持った竹筒を仮面が持ち上げる。
飲めということか。
私は竹筒を口に運ぶ。
フルーツとヨーグルトを混ぜたような発酵臭が鼻をつく。
三人にならい口をつけ喉に流し込む。
かなりきつい。
熱い液体が喉を焼き、胃を焼いた。
飲み干した竹筒を降ろすと仮面がそれを持っていく。
三人がこちらを見る。
アバタメが近づき縄をほどいた。
解放され、安堵のため息が漏れる。
芋虫まで食べたかいがあった。
あれできっと受け入れられたのだろう。
すると壮年が何かを言い、顎で村の外を示した。
追放。
セミの声が遠くなり、体が震えた。
昨日の供物のような食事はいったい何だったのか。
村が受け入れてくれた訳ではなかった。
アバタメがそっと背中を押す。
地につかない足をゆっくりと進める。
しめ縄をくぐり抜けて村の外側に立った。
若者がたいまつを持ってきた。
細面がしめ縄に火を点けた。
油でも染み込ませていたのだろうか、一瞬で火はまわり熱気を顔に感じる。
チリチリと縄が焼ける音がし、焦げ臭い匂いがまとわりついてくる。
チーン、チーン。
仮面がまた鐘を叩き始めた。
今度は強く、威嚇するように。
煙の向こうでは男たちが能面のような顔で私を見ていた。
思わず振り向いて歩き出した。
振り返る気にはなれず、背中に刺さる視線を感じながら歩き続けた。
村から伸びる道を途中で外れ河原に降りる。
まだ仮面の叩く鐘が聞こえる気がする。
河原に並んだ十字架を横目に山の廃村へ向かう。
白く風化した十字架達が私の行く末を暗示している。
駄目だ。違う事を考えよう。
なぜ追放するのにあんなに回りくどいことをしたのだろうか。
儀式。
追放の儀式なのか、そもそも村に受け入れられてもいない。
腑に落ちない思いで歩き続けた。
スリッパはもうズタボロだった。
ふと後ろから何かが飛んできた。
石だ。
石が河原を跳ねて乾いた音をたてる。
後ろを振り向くと離れたところにアバタメが立っていた。
「アバタメ」
私は呟く。
目が合う。
アバタメはバツの悪そうな、何とも言えない表情で近づいてくる。
持っていた竹籠を地面に置いた。
籠は半分裂けて藁で繋いであった。
アバタメが籠から大きな葉で作った包みを二つ。
それと草鞋、先端が折れ刃が欠けた小刀を取り出す。
そして私の腰の高さほどの岩を指さした。
何がしたいんだ。
私は考えを巡らせる。
するとアバタメは指さした岩の横にある少し小さな岩に座った。
そして大きな岩を叩いて、
「ん」
と少し苛立ちを含んだ声をあげた。
私は急いで岩に座る。
アバタメが葉でできた包みを開けると、
大きな握りめしと沢庵が顔を出す。
握り飯は私の拳ほどの大きさ。
おずおずと手に取ると、アバタメが何か言った。
「食え」といったんだろう。
うまい。
雑穀の混じったそれはまぎれもなく食事だった。
沢庵を齧る。少し筋張っている大根、塩気が心までしみる。
コンという音とともに竹筒が足元に置かれる。
穴に入った棒を抜くと中の水を喉に流し込む。
気付いたら泣いていた。
泣きながら食事を続けていると温かい情景が心に浮かんだ。
マンションのそばの川には桜並木があった。
毎年満開になる頃、今年こそはユキを連れて花見に行こうと何度も思った。
ユキが四歳の頃にたまたま取れた有給が満開の桜と重なった。
あの日も河原で私が握った塩辛いおにぎりを食べた。
「パパ、塩使い過ぎ」
MARIKOに怒られたな。
そんな事を一瞬思い出した。
握り飯はまだなくならない。
この握り飯は私のサイズだ。
気付くと涙が止まらなくなった。
アバタメは横を向いていた。
食事が終わると草鞋を足元に投げ置かれた。
これも私のサイズだった。
ビーチサンダルのように足を入れるのか。
でも長い紐みたいな藁もある。
「あーっ……」
アバタメが頭を搔きながら立ち上がり、私の前に来て草鞋を履かせてくれた。
まるで熟練の職人のように鮮やかだった。
呆れ顔のアバタメが、竹筒と刃の欠けた小刀を私に押しつけた。
肩に手を置き何か言った。
アバタメは歩き出し振り返ることはなかった。
私は涙で霞んだ世界でアバタメを見送った。
川に近づき顔を洗う。
「アバタメ、ありがとう」
言えなかった言葉が遅れて口からこぼれた。
パジャマの上を脱いで長袖の裾を結び袋にした。
中に小刀とスリッパ、竹筒の水筒、スマホを入れて歩き出す。
川沿いを山の中へと登っていく。
廃村まであと少しといったところでやっぱり足が痛くなってきた。
ただ草鞋が食い込む足の痛みでさえありがたい。
ふと足元から顔を上げると川を挟んだ反対側に小さな建物があることに気づく。
廃村から村落に向かう時は気付かなかった。
少し進んで川を渡れるところがあった。
川を渡り建物に向かう。
足は痛み、セミの声がうるさい。
少し離れたところから小屋の様子を伺う。
小屋の外に誰かがいる。
女だ。
アバタメ位の背丈、紺色の着物、手には薄茶色の何かを掴んでいる。
ウサギだ。
女がこちらを向き空いている方の手に小刀を持った。
ウサギの首に小刀をあてがう。
ピッと音がしたような錯覚。その瞬間、赤い血が飛んだ。
女の頬を染め、着物を濡らす。
その瞬間、足の痛みもセミの声も消えた。
ただ、勝気な女の瞳だけが胸を刺す。
女と目があった。




