第17話 仮面
――モガリネ――
ハスネ──いや、ヒナネブのうろたえようは尋常ではなかった。
俺は即座に合議を開くべく鐘を叩き、男たちを集める。
「鬼が来る」──そうヒナネブは言った。
恐らく、こないだの奴だろう。
村に迷い込み、カズラを届けた異人。
彼が鬼ではないことなど、俺はとっくにわかっている。
ただ、それを決めるのは俺じゃない……。
合議を始めるため、広場へと向かった。
徐々に男たちが集まり、最後にアバタメとシラネブが車座に加わる。
日が傾き、春の風が冷たく通り抜けていく。
現実が風に吹かれて剥がれ飛んでいくようだった。
カズラとホソガネの息子が、酒の入った甕を運んでくる。
今まで甕を運んでいたヒナネブは、いまやシラネブの隣に座していた。
合図と共に、ヒナネブが語り始める。
恐ろしいほど熱を帯びた口調が、男たちの恐怖に火をつけていく。
「村八分の女が鬼と契り、子を授かった」
その事実は瞬く間に座を駆け巡った。
全ての男が、自分の妻や娘の顔を思い浮かべる。
春の生ぬるい風が耳元をかすめ、羽虫が嘲るように鳴いた。
ヒナネブの声が座を押し潰す。
「いつかお前たちの妻も、娘を鬼に隠されるぞ!」
その一言が、火を起こした。
「鬼を打ち殺せ!」「追い払え!」
──誰もが熱を帯びて叫びだす。
やがて叫びが止むと、座に重い沈黙が落ちた。
肝心なことには誰も触れない。――誰がやるのか。
いい塩梅になってきた。
俺は座を見渡し、極めて冷静に声を出した。
「みなでやる。誰一人抜けてはならねぇ。
全員で火をかけ、穢れを焼き払う。」
その言葉は、氷のように冷たく座を切り裂いた。
シラネブが僅かに息を吐き、何人かが短く頷く。
「流石、モガリネだ」──誰かが遠くで言った。
声はどこか他人事のようだ。
心が満たされ、不安の芽がつまれていく。
それを顔には出さず、指先で仮面の縁を撫でた。
そうだ。
俺はこの村に必要なんだ。
呪い師でなくとも、モガリネは村にいなければならぬ。
どうか、そう思ってくれ──。
そう思った瞬間、呼吸が浅くなるのを自覚した。
「で、鬼は焼き払うとして、女は──腹ん中の子はどうする?」
誰かの声が座を切った。
男たちの唾を飲む音が聞こえたようだった。
「ホッホウ、ホッホウ」──フクロウが一つ鳴く。
「女も子も穢れだ。やるしかねぇ。」
誰が最初に言ったのか分からない。
だがその一声をきっかけに、同調の呟きがそこかしこで生まれた。
そこまでは望んじゃいねぇ……。
声に出せぬ思いが胸を締めつける。
村の掟と恐怖が男たちを次々と飲み込み、座は動かなくなっていく。
「ちょっと待て!」
静かな響きが座を切り裂いた。――アバタメの声だ。
その先を言うな。
家族のことを考えろ。
俺は必死でアバタメを睨みつける。
「ちょっと待てねぇ。」
シラネブの声が重く下りる。
彼はこれまで見せたことのないほど優しい目で、アバタメを見つめた。
月が薄く顔を出し、男たちを照らす。
アバタメは動かなかった。
「明日、火が落ちて鬼が眠った後に、全員で火をかける。それでいいな!」
シラネブの言葉に、全員が静かに頷いた。
酒が回され、甕が空になる。
男たちはそれぞれ家へと戻っていった。
家に戻ると仮面を外し、囲炉裏の前で酒を飲む。
女房も娘も静かに寝息をたてている。
ぼんやりと囲炉裏を見つめる。
酒はすすまず、ため息だけがあふれてくる。
ここまで話が転がるとは思わなかった。
みなで鬼を焼き払う──ここまでは納得して動いてきた。
だが掟はそれで止まらなかった。
鬼も、村八分も、その子どもも焼き払う。
ここまで転がってしまった。
俺も殺すのだ。
敵意のない異人、マリと子供を殺すのだ。
アバタメに軽く棒で突かれて小便をもらすようなやつ。
幼いころから知っているマリ。
腹の中の子。穢れなどあるものか。
ただ焼き殺すのだ。掟と恐怖、嫉妬と怒りに焼かれて、
――俺たちが鬼になるのだ。
一睡もできず、一番鶏の鳴き声を聞いた。
自分のしたことに押しつぶされそうになったその時、娘の寝息が聞こえた。
小さな、小さな寝息が、初めてミツを抱き上げた日のことを思い出させる。
頼りない重さに恐ろしくなったのを覚えている。
あの温もりを、忘れはしない。
ミツのためだ。
そう自分に言い聞かせる。
掟を守り、村の正義になる。
卑怯だという声が胸の奥で囁く。
だが卑怯であっても構わない。
ミツとこの村で平穏に過ごす。
そのためだ。
しびれた足を整え、仮面を手に取る。
冷たい手触りが、焼けた胸を冷ましていく。
覚悟を決める。
「――ミツ、おっとうは鬼になる。」
息を吐き、ゆっくりと仮面を被る。
俺は鬼の仮面を被ったのか、それとも鬼の顔を隠すために面を被ったのか。
もう答えは出てこない。
朝が、静かに動き始めた。




