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第11話 交流


 居酒屋 常夜



 ――神隠し――


 ちろちろと燗酒を温める音。

 盃に映る提灯の赤がゆらゆら揺れる。

 与太郎が煙草の火を揉み消し、にやりと笑った。

「昔はよく言ったもんだ。神隠しってな。

 ある日突然、人がふっと消えちまう。

 にいさんも一度くらい、いっそどっか消えてぇなんて思ったこと、ねぇかい?」

 俺は曖昧に笑って、盃を口に運ぶ。

 与太郎は続ける。

「まぁ実際は、失踪だったり、迷子だったり。

 なのに“神様のせい”にされちまうんだ。

 濡れ衣着せられた神様は、たまったもんじゃねぇよなぁ」

 酒の香ばしさが鼻を抜けた。

 けれど妙に苦い。

 与太郎は声を落とす。

「けどよ……中には本当に“連れていかれた”やつもいるって話だ」

 提灯の灯りが赤黒く滲む。

 背筋が冷えた。

 与太郎は、わざとらしく盃を傾け、笑った。

「おっと、忘れてた。

 あの村じゃ“神隠し”なんて上品な呼び方はしねぇ。

 あれは“鬼”の仕業だってな。

 ……サトルは、鬼だったっけか?」

 盃がカウンターに、こん、と置かれる。

 それを合図に、常夜のざわめきが戻ってきた。

 与太郎は俺を見て、にやりと口角を上げた。

「なになに? サトルと女のその後が気になるって?

 にいさんも下世話な話が好きだなぁ。

 ……まぁ、俺も人のこと言えねぇけどな。

 さてさて、サトルと女のその後がどうなったのか。

 盃を干して、腹に火をくべて。

 与太郎の与太、再出発といこうじゃねぇか」



 ――サトル――


 サトルは子どもを村の入口でそっと寝かせ、村を後にする。

 誰かに見られるわけにはいかない。

 急いで村を離れる。

 秋風がそっと吹き抜け、汗を冷やしていく。

 女に水筒を返さなければならない。

 女の家の戸を叩く。

 顔を出した女は、何か聞きたそうな表情をしている。

 水筒を渡し、持ってきた枝で地面に絵を描き、村に子どもを置いてきたことを伝えた。

 女は満足げに頷いた。

 そして、自分の胸に手をあて、何かを呟いた。

 私の顔を見て、もう一度呟く。

 挑むような瞳に、女としての強さを見た気がしてドキッとした。

 女が言った言葉を繰り返す。

「マッリ……」

 女は目を大きくして、今度は少し大きな声ではっきり言った。

「マリ」

 名前か。

 マリ、それが名前。

 ギュッと胸が締め付けられた。

 MARIKO……。

 現実の妻と、目の前にいるマリという女。

 マリが私の方を指さす。

「サトル」

 私ははっきりと、よく聞こえるように答えた。

 女は音やイントネーションのずれもなく、言った。

「サトル」

 お互いの視線が優しく重なり、名前がただの音ではなく、二人を結ぶ糸のように思えた。

 氷がすっと溶けるように、二人の間の壁が消えていくのがわかった。

 マリが家の中に入り、私を中に入るよう促す。

「サトル。」

 名前を言われることが、こんなに嬉しいのは久しぶりな気がした。

 土間にそのまま座ろうとして、マリに止められる。

 マリは上り框を指さし、そこに座るよう言った。

 腰をかける。

 マリが差し出した椀を受け取る。

 中には水が入っている。

 マリは土間に立ち、何かの準備を始めた。

 ふと思い立ち、椀を置き、中の水を指さし「マリ」と声をかけた。



 ――マリ――


 名を呼ばれ、サトルの方を振り返った。

 椀の中の水を指さして、好奇心がそのまま表情になっていた。

 水だけど……まさか水を知らないわけでもあるまい。

 あっ、言葉だ。言葉を知りたいんだ。

「ミツ」

 はっきりと、ゆっくり呟く。

 サトルが低い声で、ゆっくりと呟いた。

「ミッツゥ」

 思わず噴き出す。まるで幼子のようだ。

 巨人のような男が幼子のように言葉を呟くなど、笑わないわけがない。

 サトルは少し恥ずかしそうな表情をつくると、また幼子のように繰り返した。

 もう一度ゆっくり伝える。

 次は少しはまともに聞こえた。

 次にサトルは水を飲み干し、「ミツ」と呟き、自分の口の中を指さした。

 いたずらなわらべのような顔をしている。

 そう、水を飲むって言いたいの。



 ――サトル――


 私は口に入れた指をゆっくりと出す。

 どうだろう。

 何か含みのあるような顔をしたマリが、ふっと笑って「ミツ」、「すう」と呟いた。

 私は椀をもう一度口に運び、「ミツ」、「すう」と真似る。

 マリが笑って頷いた。

 通じた。

 これで言葉を理解できる。

 この世界に来てからの灰色の日々に、光が差したような気がした。

 それから日が傾くまで、たくさんの言葉を学んだ。

 そろそろ廃村へ戻ろうとしたとき、マリから握り飯を渡された。

 ありがたい。

 またここに来られるだろうか。

 廃村に戻った後、孤独に耐えられるか――それが一番心配だった。

 廃屋に戻り、囲炉裏に火を点けた。

 オレンジの光に照らされ、自分の心にも火が灯ったようだった。

 静けさが胸に広がる。

 ひとりに戻った寂しさと、今日交わした言葉の余韻が混ざり合う。

 ふと、MARIKOとの日々を思い出す。

 火の色が、彼女と過ごした部室の夕暮れを思い出させた。

 絵心があったから、MARIKOと出会えた。

 高校では美術部に所属していた。

 MARIKOは吹奏楽。

 絵を描くのが好きだった。

 絵をきっかけに、MARIKOとも仲良くなったんだ。

 使っていない楽器をデッサンさせてほしいと話したのがきっかけだった。

 パチリと囲炉裏の火が爆ぜた。

 こんなことになるなら、ワンゲルとかやってた方がよかったかもな、と苦笑する。

 ふとスマホを取り出す。

 電源を入れるか迷い、スマホをしまった。

 やめておこう。

 明日、握り飯のお礼だといって、マリにきちんと魚を届けよう。

 いや、今日明日で会いに行くのは少し非常識かもしれない。

 もう少し我慢しなければならない。

 そんなことを考えていると、いつの間にか眠りに落ちていた。



 ――マリ――


 サトルに握り飯を持たせて見送った。

 サトルには少し小さかったかもしれない。

 しょうがない。私だって蓄えがあるわけじゃない。

 久しぶりに人と話した。

 人。

 彼は人だろうか。

 少なくとも鬼ではないと思う。

 あたしが見た鬼は、あんな優しさを持ち合わせてはいなかった。

 囲炉裏にあたりながら思い出す。

 嫁ぎ先でも、狐憑きとされ、村に戻った後も鬼はそこら中にいた。

 村八分にされて、やっとわかった。

 鬼は人の中にこそいるんだ。

 ドン、ドン、と戸を叩く音と声が響く。

「ハスネだ。開けてくれ」

 戸を開け、土間に入れる。

 何も言わず、もくもくと荷を解き、食料を土間に置くハスネ。

 するとハスネが意を決し、話し始めた。

「村八分のもんと話すなと肝煎きもいりには言われている。

 だけども言いたい。

 マリ。俺が贄名にえなをもらって肝煎になったら、なんとかしてやりてぇ」

 まただ。この若者は、私に母の面影を重ねている。

 十二の時から食料を届けに来ていた。

 その頃はまだ母の面影を見る目だったが、今は女を見る目に変わってきている。

「村八分と話すな。さっさと出てけ」

 あたしは冷たく吐き捨てるように言う。

 年上女への憧れと母への慕情で、少しおかしくなってるのだろう。

 もう少し大人になれば直る。

 ハスネを追い出して床に入る。

 そういえば今日のサトルのしゃべり方は面白かった。

 まるで巨大な幼子のようだった。

 ふっと笑って、嫌な気分が吹き飛んだ。

 秋の虫の声を聞きながら、久しぶりに穏やかな気持ちで眠りについた。



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