末路
薬でラリって意識をなくし、次に目覚めてみると部屋の隅にタイムマシンが置かれてあった。いや、出現していたというべきか。
理屈なんていらない。とにかく俺はそれがタイムマシンであることを瞬時に確信した。シラフである。薬の効果は、切れていた。
髪の毛はボサボサで髭も伸び放題。風呂に入ったのは何週間前のことだろう。ずっと服も着替えていない。
その日、俺は死ぬつもりでいた。自殺である。方法は具体的に決めていなかったが、まぁ酒か何かをやって練炭でも炊けば眠るように逝けるはず、と。
「最後に神様からのプレゼントだな」俺は呟いた。涙が溢れ、頬を伝った。
くそったれの人生。マトモな日々は中学に入るまでだった。以降は手もつけられぬほどに荒れ出した。
裕福な家庭に生まれ、なにひとつ不平不満などなかったのにもかかわらず、不良への憧れからそうしたのだ。馬鹿なことをしたものである。
悪行三昧の挙げ句得たものは人間に対する不信感だけだった。因果応報というべきなのだろう。
高校にも進まず毎日をふらふらしていた俺は不良仲間から呼び出されリンチを受けた。理由は覚えていない。
「最近、生意気だ」とか、「口のききかたがなっていない」とか。抽象的な言葉のみが頭に残っている。
俺は暇潰しの道具にされただけなのだ。
不良というものは結束している時と、そうでない時との差が大きい。一回イジメの標的にされたら、もうおしまい。
俺は部屋からほとんど出なくなった。親の脛をかじり、酒や薬で現実逃避をしてきてもうすぐ四年。二十歳になる前にこの世とオサラバするのも悪くない。
「子供の頃がいちばん楽しかったな。幼い頃が」俺は不摂生で痩せこけた体をタイムマシンのシートに沈めた。
夢や希望に満ち溢れていた時代。あの頃は、何にでもなれると思っていた。無邪気に笑っていた。
勉強好きではなかったけれども学校へ行くのは楽しかった。あの頃の友達はみんないい奴ばかり。決して裏切ったりはしない。思いやりがあった。
裏切ったのは俺の方である。中学に入ってからはその頃の友達にもヒドいことをした。みんな俺から離れていった。
地元の少年野球チームに入っていたが中学では部活をやらなかった。
中学でも野球を続けていた何人かの友達。不良仲間と隠れて煙草を吹かす俺。
明と暗がハッキリと別れていた。あの時点で。いずれこういうふうになることなど、つゆ知らず。
俺はタイムマシンのメモリを過去へと合わせた。10年前。ボタンを押す。タイムマシンの扱い方は、当たり前のように分かっていた。
「あの頃の自分に会って謝ろう。夢を壊してしまったことを。自分で自分を駄目にしてしまったことを。命を、断つことを」
かすかなエンジン音が響き出す。タイムマシンが動き出す。
あの頃の自分に会ったら注意もしておこう。間違った道へ進むなと。今の自分の落ちぶれた姿を見せ。なぜこうなったのか説明も加え。
信じてもらえるかどうかは分からない。変なお兄ちゃんだと思われるかな。まぁ、そうなったらそうなっただ。
やはり未来は変えられなかったというだけの話。
「それで、そのタイムマシンは本物だったの」妻は言う。
「ああ。本物だった。戻ると同時に、消えてしまったが」
「過去の自分には会えたわけね。なら、よかったじゃない。今のあなたがあるのは、そのおかげなんでしょ。子供の頃の自分に自殺を止められて」
「いや、俺は間違っていたんだ」首を横に振る。「過去の自分には、会っていない」
「タイムマシンは本物だって言ったじゃない。意味が分からないわ」妻はうぅぅんとベッドの上で伸びをした。
「いや、タイムマシンは本物だった。間違ったのはメモリの方だ」俺は妻を抱きしめ、耳元にささやく。「俺は間違って設定を未来にしてしまった」
「で」はなからこの話を冗談としか思っていない妻は微笑んで、俺を抱きしめ返してきた。
「未来の自分に会った。そして決心したんだ。決心せざるを得なかった。人間、かんたんに自殺なんか出来るもんじゃない。10年後の俺は目も当てられぬほどにヒドいもんだった。まさに、狂人。あんなふうになるくらいならと、努力した。ひたむきに」
「努力が実ったわね。罪ほろぼしも、出来たんじゃない。昔の友達だとかいう人たちを、あなた助けてあげてたし。いろんなところに、寄付もしたし」
俺と妻は抱きしめ合ったまま唇を重ねる。言葉は出ない。
生きててよかったと思う。自殺なんかしなくてよかった、と。
俺の経営する中でもいちばん大きなホテルの一室で。
やはり、あれはタイムマシン。
神様からの贈り物。
【了】