表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/34

33

 見上げた先にあったのは壊れたままの壁画だった。そこには美しい治癒神から黄金色の治癒魔法を授かるヴァルトス国の初代皇帝が描かれていたが、治癒神の姿だけが大きく欠損し見る影もない。


 壁画から視線を外し、横の真っ新な壁まで歩いていく。そして何もない壁に手を触れ魔力を流す。すると壁の一部が扉のようにゆっくりと開いた。扉の向こうにあったのは大人が二人入る程度の小部屋だった。その部屋の真ん中に台座が静かに鎮座し、その上になんの装飾もされていない一冊の本が置かれていた。その本を手に取りページをめくる。


 最初の数ページには初代皇帝の手記が懺悔のように綴られている。それにさっと目を通し、次の手記に目を通す。


 兄たちは次期王の座を巡って水面下で血生臭い争いを起こした。私は兄たちのまるで人の皮を被った魔物のような姿に恐怖を抱いた。臆病な私は城の隅で息を潜め、この争いが一刻も早く終わることを願うしかなかった。


 だが愚かな私はその刃が自分にも向けられていたことに気付かなかった。そのことに気付いたのは、私が乗っていた馬車が盗賊に襲われた時だった。


 ぎりぎりの所で盗賊すべてを返り討ちにしたが、僅かな護衛をすべて失い私も深手を負った。息も絶え絶えになりながら森の奥へ逃げた。こんな身体で森の奥へ行くなど自ら死に行くようなものなのに、なぜか足が勝手に動いていた。


 意識が朦朧とし始めた時、目の前に寝台のような大きな岩が姿を現した。そこは我が国が信仰している治癒神ファルディウス神が永遠の眠りについたとされている場所で、皇帝と教皇だけが立ち入ることが許された聖域だった。周りに華美な装飾などなくただ岩だけがそこに静かに佇んでいた。


 私は目の前の光景に酷く困惑した。なぜなら私が盗賊に襲われた場所はここより遥か遠くであり、負傷した身でここまで来ることは不可能だからだ。


 治癒神ファルディウス神の導き、とでもいうのだろうか……。


 すでに体力も精神もとうに限界を超えていた私は、聖域に漂う静寂に緊張の糸が切れ意識を手放した。


 意識を取り戻した私は小屋に居て、私の傍には長く伸びた赤茶色の髪を一纏めにし、髪と同じ色の瞳をした青年がいた。彼は気を失った私を見つけ山小屋まで運び手当てをしたという。彼は私に何も聞かず身の回りの世話をしてくれた。……いや、彼は気付いている。この国の王族の容姿は特徴的だ。彼に名を聞かれた時、咄嗟に「ダン」と答えると「似合わなっ!」と彼に笑われた。


 彼は捨て子で木こりだった老人に拾われたという。二年前に老人が息を引き取り、以来山小屋で一人で生活をしているという。


 彼の世話になりながら私は治癒魔法で少しずつ自分の身体を癒していった。完全に治るまで身体の痛みは酷かったが、彼がくれる痛み止めの薬草で耐えることができた。


 痛み止めの薬草の存在は知っていたが今まで使う機会がなかった。この薬草の香りを嗅ぐと不思議と心が落ち着き、そのことを彼に伝えると「そんな効果はないと思うんだけどなぁ」と首を傾げていた。


 彼と過ごしたのはふた月にも満たなかった。彼はまるで木漏れ日のような人だった。このまま彼と共に生きたい……そう何度思ったことか。


 だが、私の立場上それは決して許されることではない。兄たちは王位継承権の低い私すら消そうとしたのだ。私が生きていると知れば彼に危険が及ぶ。私は臆病な自分を奮い立たせ城に戻ることを決意した。兄たちの争いを止めるために。


 立ち去る私に彼は言った。


「ヴァルトス国の希望の光」と。


 それが彼の最後の言葉だった。彼の命は侵略してきたオルディウス帝国によって治癒神が眠るあの森と共に奪われた。


 そして私は思い出したのだ。自分が誰で、彼が誰なのか。


 かつて自分が会いたいと強く願った人をまた失った。


 オルディウス帝国の侵略を食い止めたこと、そして黄金の治癒魔法を目覚めさせたことにより皇帝の座に就いた私は、オルディウス帝国に奪われたあの領地を……彼がいたあの森の返還を求めた。だがオルディウス帝国の返答は「否」だった。何十年も懇願し続けたが、あの森が戻ってくることはなかった。


 ああ、何十年、何百年かかってもいい。あの森が我が国に戻ってくることを切に願う。



 第十二代皇帝ダンベルナ・アレニウス・ウォーガン



 本を閉じ目の前の壁を見上げた。その壁には移民の服に身を包んだ赤茶色の髪の青年が描かれていた。青年は眠っているかのように目を閉じ、胸元に置かれた両手には一本の薬草が握られていた。


 本をそっと台座に置き部屋から出て行く。扉が静かに閉じ何もない壁へと戻った。


 温かな午後の日差しの中、吹き抜けの渡り廊下を通って自分が過ごしていた皇子宮に向かう。皇子宮の庭の一角に小さな薬草畑があり、その中に置かれた長椅子を見れば彼の姿があった。


 肩より伸びた赤茶色の髪を一纏めにした彼は背もたれに身体を預け瞼を閉じていた。俺はそっと彼の隣に腰を下ろした。最近、彼は眠ることが多くなった。椅子の上に置かれた彼の手の上に自分の手をそっと重ね瞼を閉じる。


 涼やかな香りを乗せたゆるやかな風が俺と彼の間をすり抜けて行った。







 オルディウス帝国という名が地図上から消えてから長い、とても長い時が過ぎ去っていった。


 お兄様はヴァルトス国の王となり、大帝国カリバヴィバルドの協力のもと復興と改革を行った。すべて上手くいったわけではない。時には苦渋の決断をしなければならない時もあった。それでもお兄様は前を向き続けた。


 お兄様が強くあり続けることができたのは、ひとえに彼の存在があったから……。


 ヒリス。


 彼は表にでることもなく、お兄様の隣に立つこともなく、お兄様がかつて過ごしていた皇子宮の庭の奥に誂えた庭師の仕事小屋のような家で暮らしていた。それは本人たっての希望だった。


 お兄様は時間を見つけては、皇子宮の庭の一角に植えられた痛み止めの薬草畑で彼と語り合った。内容はわからない。でも語り合う二人の姿はまるでずっと会うことを願っていた旧友のように見えた。


 ヴァルトス国奪還から二年後。彼は静かに息を引き取った。


 お兄様は彼の命が長くないことを知っていたのかもしれない。だから時間の許す限り彼の傍に居た。


「お兄様、庭師から頂いたお花です。それと痛み止めの薬草も」


 私は痛み止めの薬草が添えられた花を入れた小さな花瓶をベッド脇にあるサイドテーブルに置き、近くにあった椅子に腰を下ろした。


 ベッドには目を閉じたお兄様が横たわっている。私はそっとお兄様の皺のある手に、自分の皺のある手を重ねた。


「………フィフィ」


 閉じていた瞼を持ち上げたお兄様は白く濁ったサファイアの瞳で私のことを見た。


「なんですか? お兄様」

「夢を……見たんだ」

「夢を……ですか?」

「ああ、とても……とても懐かしい夢を」

「………」

「フィフィ」

「はい」

「私はそなたにとって……良き兄であっただろうか……」


 真っ直ぐと私のことを見るお兄様の……いいえ、彼の瞳の中に微かに罪悪感が滲んで見えた。私は両手で彼の手を包み込み、そして笑みを浮かべた。


「はい、お兄様は私の自慢のお兄様です」

「……そうか……そうか……。ありがとう……フィフィ」


 彼が静かに目を閉じると、目じりから一筋の涙が零れ落ちた。



 ベルナルド・アレニウス・ウォーガン。

 享年七十五。


 お兄様の御遺体が入れられた棺は王家が眠る墓地ではなく、皇子宮の庭の片隅にある小さな名のない墓の隣に埋葬された。お兄様がそう望まれた。


 お兄様は皇帝としてではなく、何もないただの自分として彼の隣に居たかったのかもしれない。


(お兄様………あの方に会えましたか?)


 私は空を見上げた。




 澄み切った青い空を二羽の鳥が仲良く羽ばたいていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ