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「………間違いなく罠でしょう」
テーブルの上に広げられた紙を見下ろしながら中年の男と二人の若い男が険しい表情を浮かべてる。中年の男の名はイグリート。ヴァルトス国の第二騎士団副団長であり、フィーネ嬢をここまで避難させた男だ。
イグリート卿の他に騎士が十数名おり、常にフィーネ嬢の傍に仕えてる。その内の二人がイグリート卿に同行している。
「俺もそう思う」
イグリート卿の言葉に俺は頷いた。この手紙を受け取った俺は表の顔である行商を引き続き行うよう部下に指示を出し、急ぎ故郷に戻ってきた。そして自分の執務室にイグリート卿を呼び、経緯を伝えた。………眼球のことは伏せて。
゛ふた月後の深夜ファルディウス神の寝台で待て”
ファルディウス神の寝台とはヴァルトス国が信仰している治癒神で、寝床とは治癒神が永遠の眠りについた場所だと伝えられてるらしい。代々王族と神殿の高位の人間しか立ち入ることが許されない神聖な場所だという。
(そしてこのふた月後とは、俺がここ戻ってこいつら連れてそこに行くには十分過ぎるほどの期間だ)
手紙の主は俺の正体にも気付いてる。
「こいつは俺が潜り込ませた者たちを全員把握している。……俺の計画に気付いている可能性が高い。いや間違いなく気付いてる」
俺は手元にあった紙を握り締めた。もう一枚の紙には貴族の名や下働き、城に出入りしてる行商人の付き人の名前が記されていた。彼らが人質となったのだ。
彼らは自分の身に危険が迫ると痕跡を残さず誰も居ない場所で自害するよう教育されているが、計画主である俺の存在がバレている以上それすら許されない。
指示に従わなければ関わった者たち全てを吊るし上げ、そしてお前の国を滅ぼす。
そう告げられている気がする。
「……これは完全に俺の落ち度だ。すまない」
俺は頭を下げた。イグリート卿たちが動揺する気配を感じた。王族はそう簡単に頭を下げてはならない。だが、相手は俺が思っていた以上に上手だった。
残された選択は二つ。
ベルナルドを切り捨てるか。罠だと知っていてもそこへ向かうか……。
沈黙が落ちる。
「…………殿下を迎えに行きます」
イグリート卿が静かに告げた。二人の若い男たちもイグリート卿の言葉に賛成するように表情を引き締めた。
「…………そうか」
俺はただ彼の言葉を受け入れることしか出来なかった。
目的地に向かうのはイグリート卿と七人の騎士のみ。俺はここに残ることとなった。イグリート卿に「皇女殿下のお傍に居てあげてください」と頭を下げられた。
フィーネ嬢はサファイアの瞳に涙を浮かべて「どうか、どうかっ……ご無事に帰ってきてください」と祈るように言った。
フィーネ嬢には全てを話している。
「イーダ様は何も悪くありません。イーダ様は兄を救うために自ら危険な地にいたのです。何もできず、お願いすることしかできない私が、どうしてイーダ様を責めましょうか。全部、全部……あの国が悪いのです。平和条約を破ったオルディウス帝国が……」
「私はあの国が……憎い……」とフィーネ嬢は涙を流しながら言った。
両親を、仲間を、民を殺され、国を奪われた。そして今度は、罠だと知りながらも仲間を送り出さなければならない。彼らを送らなければ今度はこの国が二の舞となる。
フィーネ嬢は今、絶望の縁に立たされてる。
俺はそんな彼女にかける言葉が見つからなかった。
(だから今は……)
彼らの生還をただ祈るしかなかった。
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月の光に照らされたファルディウス神の寝台は手入れがされておらず荒廃していた。初めて拝見した神聖な場所がこうして荒地と化してしまったことに心が痛むと同時に、オルディウス帝国に対する憎しみが増した。
「副団長、周りを確認しましたがそれらしい気配はありませんでした」
森の中を探索してきた部下たちが戻ってきた。
「そうか……」
私は暗闇に浮かぶ満月を見上げた。
再び足を踏み入れた故郷は酷く荒れ果てており、面影など何一つなかった。
(再構築に時間が掛かっているのかそれとも放置しているのか……)
見えるのは痩せこけた放浪者だけ。
『そういった類の人間を見ても決して差し伸べるな。足枷になりかねない。…………辛いだろうが、王太子殿下を救い出すまでは我慢してくれ』
第二王子殿下の言葉が脳裏に浮かび、拳を強く握り締めた。
「副団長必ず生きて帰りましょう……」
私の直ぐ背後で部下の一人がそう囁くように言った。振り返るとマントのフード下から見えた部下たちの瞳には無力な自分に対する苛立ち、オルディウス帝国に対する強い憎しみ、そして強い闘志に満ちていた。
「ああ、必ず……」
私は放浪者の縋るような眼差しを振り切って目的地へと向かった。
そろそろ深夜に差し掛かる時刻だ。
「警戒を決して怠るな。少しでも怪しい気配を……」
「へぇ、ちゃんと来たんだな」
「ッッッ!!」
突如聞こえた第三者の声に私たちは瞬時に剣を引き抜き構えた。それはいつの間に我々の傍に立っていた。マントを羽織ったそれはフードを深くかぶっており顔が見えなかった。声からして若い男のようだ。男は一頭の黒い馬を引き連れていた。
「お前らビビり過ぎだろっ!」
男はゲラゲラと腹を抱えて笑った。
(気配を一切感じられなかった)
こめかみに冷や汗が流れる。気配はおろか足音すら全く聞こえなかった。私は部下たちに周囲を警戒するようにと目配せをした。
「はぁ………笑った、笑った。あは、そんな警戒すんなよ。来たのは俺だけだし」
「その言葉を信じろと?」
私の言葉に「確かに?」と男は肩を震わせて笑った。
「そうだ。先に送ったプレゼントは気に入ったか?」
「? 一体 なんの話だ?」
「あれ? 見ていないのか? もしかして見せて貰ってない? なんだよ、折角喜ぶと思ったのにさぁ。……っつてもアレ、元々弟のもんだったけど。要らなかったぽかったし……」
「帰ったら見せてもらえよ?」と男は馬の背中から麻布に包まれた大きな荷物を乱暴に地面に落とした。
「ほら、お前らに返すぜ」
そう言って男は麻布を剥ぎ取った。
「!!!」
中から現れたのは目に包帯を巻かれた銀色の髪を持った青年……ベルナルド皇太子殿下だった。気を失っているのか殿下はピクリとも動かなかった。
「死んでいないから安心しろよ? ……まあ、暫くは使いものにはならないだろうけどな」
そいつは馬に跨ると「じゃあな」と俺たちに背を向けた。
「……っ! 待てっ!!」
「あ?」
男が振り返る。
「お前は一体………誰なんだ?」
答える筈がないと思いながらも私は男に問う。すると男がニィを口元を歪めフードを脱いだ。露わになった男の顔に私は息を飲んだ。
漆黒の髪に緑色の瞳。
「………第四王子殿下」
「せーい、かーい」
男……いや、第四王子殿下はケタケタと笑った。なぜ彼が?
「貴方の目的はなんだ?」
「目的? そんなの決まってんじゃん」
第四王子殿下は愉快そうに目を歪めた。
「俺は人間が孕んでいる狂気を見るのが大好きだ。特に聖人ぶってる奴が狂気に飲まれていく様は見ていて実に楽しい。あいつが狂っていく様は楽しかった。ただその狂気が一人の人間に向けられたのは少し残念だったが……。まあそのお陰で面白いおもちゃが手に入ったわけだが」
一体、誰のことを言っている?
「なぁ、お前らも狂気こそがもっとも人間らしいと思わないか?」
第四王子殿下の狂気に満ちた笑みにゾッと背筋が凍った。それは私だけじゃなかった。この場にいる全員が青年の狂気に底知れぬ恐怖を抱いた。
「そいつが目を覚ましたら伝えろ。”今度は救えるといいな”ってな」
第四王子殿下はゲラゲラ笑いながら馬の腹を蹴ってその場を去っていった。私たちは唖然とその後ろ姿を見ていた。
誰一人指一本動かすことが……できなかった。




