第8話 心のケア
ゲームの世界から現実世界にやってきたマドリガルは、求司と一緒に彼の住むアパートに行くことになった。
2人が外に出るとそこに待っていたのは多くの自動車が行き交う光景で、それらを敵と認識してしまった彼女はおびえながら警戒をしていた。
「襲ってきたりはしないわよね。」
「大丈夫。心配しないで。」
求司はマドリガルを励ましながら歩道を歩いた。
すると彼は交差点で信号待ちをするために立ち止まった。
「えっ?何?ここを渡るの?こんな自動車というものと戦いながら?」
「違うよ。今は信号が赤だから待っているだけだよ。」
「信号って?」
「ほら、あれだよ。」
求司は歩行者信号を指さした。
「あれが赤の間は待つことになって、青になったらここを渡れるんだよ。」
「どうしたら青になるの?信号と戦って勝てば?」
「だから違うって。自動車や信号は戦うものじゃないよ。とにかくしばらく待てば大丈夫だから。」
2人が会話をしていると、間もなくこちら側の信号が青になった。
「さあ、渡るよ。」
「えっ?う、うん…。」
求司の後を追うようにマドリガルが歩き始めると、前方から左折車が2人に向かってきた。
「きゃあっ!やっぱり襲い掛かってくるじゃない!」
彼女は立ち止まると何か呪文を唱える素振りを始めた。
「ちょ、ちょっと!やめてよ!とにかく早く渡ろう!」
「でも、あたし達に向かってきたとなれば、倒さないと。」
「だめだよ。ここで立ち止まっているわけにはいかないし、行こう!」
求司は左手でマドリガルの右手をつかみ、半ば強引に走り出した。
「きゃあっ!痛いじゃない!何するのよ!」
「ごめん。でも早く渡ってしまおう。」
2人が何とか横断歩道を渡り切ると、その車に乗っていた運転手の人はギロっとこちらをにらみつけた後、アクセルをふかしながら走り去っていった。
すると他の車に乗っていた人や、歩行者、さらに自転車に乗っていた人達からジロジロ見られるようになってしまい、求司はその視線が気になって仕方なかった。
一方のマドリガルには自転車でさえも敵に見えてしまうのか、何度も身構えた。
(このままではまずい。)
嫌な予感を感じ取った求司は手をつないだまま、人目を避けるように建物の陰にかくれていった。
2人きりになると、求司はこの国では人間とモンスターの争いというものは存在せず、平和に過ごしていることを説明した。
「平和?あんなに色々な物がすごいスピードで通り過ぎているのに?」
「まあ、あの自動車が暴走したら確かに凶器になってしまうし、犯罪も無いわけではないけれど、この国では君の住んでいた世界のような戦闘は無いし、平和な世界なんだ。だから、そんなに警戒しなくていいよ。」
「本当に?」
「本当だよ。僕を信じて。」
「うん…。」
マドリガルはまだ戸惑いを隠せずにいたが、求司の言うことに素直に従うことにした。
そして、自動車や自転車、歩行者やペットを見ても不用意に反応したりせず、一緒に歩き続けた。
「ほら。あれが僕の住んでいるアパートだよ。」
「アパート?」
「まあ、家…ってところかな。でもあれ全部じゃなくて、一部分だけれどね。」
「そうなの…。」
マドリガルは再び警戒する表情を浮かべたが、求司と一緒に中に入っていくことにした。
「ちょっと散らかっていてごめんだけれど、とにかくゆっくりしていってよ。何か飲み物でも飲むかい?」
「それより、あたし…、お腹すいた…。」
「えっ?じゃあ、食べ物を用意してあげるよ。ちょっとそこで待ってて。」
「うん…。」
求司は台所に行くと菓子パン2個と牛乳、そしてみかんを用意し、マドリガルのいる居間にやってきた。
「遠慮なく食べていいよ。」
「本当にこれ、食べても大丈夫なの?」
「うん。僕だって食べているものだから。」
そう言われてもマドリガルはまだ疑っていたため、求司は菓子パンの一個を半分にして、一方を自分で一口食べた。
「ほら、大丈夫だよ。だから、安心して食べてよ。」
「…分かったわ…。」
マドリガルはやっと警戒心を解くと、パンを受け取り、恐る恐る一口食べた。
「おいしい…。」
その味が気に入ったのだろう。彼女はまた一口食べ、1分後には全部口の中に入れてしまった。
(本当にお腹がすいていたんだ。精神的にも相当まいっていたみたいだし、かわいそうに…。僕が彼女の心のケアをしてあげなければ…。)
求司はマドリガルがもう一個のパンを食べるのを見つめながら、そう心に誓った。
一方、丈二の家では安奈がやってきて、彼女の近況を兄に打ち明けていた。
「あれだけ音楽バンドが急成長している中で、どうしてクビに?」
「私だってこんなのを望んだわけじゃないの。でも、バンドの事情で…。」
「事情って?」
安奈はこれまでのことを兄に隠さず打ち明けることにした。
彼女は高校まで別のバンドでギターを担当していた。
しかし卒業を前に解散になったため、大学に入学した後、新たなバンドを探してQZXに加入させてもらうことにした。
とはいえ、ギターはすでにIYOKOが担当しており、しかも安奈は左利きのため、立ち位置などの事情もあってボーカルのMALICEとキーボード兼リーダーのRAYからはドラムス担当になって欲しいという要望を出されてしまった。
「その時はお前も大変だったな。」
「うん。本当に悩んだわ。正直自信はなかったけれど、成功するためなら頑張ろうって。」
「その担当変更を後押ししたのは他でもない、僕だったからな。僕としても何だか責任を感じるな。」
「お兄ちゃんのせいじゃないわ。私だって一生懸命練習してうまくなったんだから。」
「とはいえ、クビになった理由が解せないんだけど。」
「実は…。」
安奈はこうなった理由の一つが曲作りであることを打ち明けた。
QZXは最初こそコピーバンドであったが、次第にオリジナル曲で勝負しようということになった。
中心メンバーであるMALICEとRAYは当初から自分達で作詞、作曲(編曲はメンバー全員)をしており、新たなメンバー加入後も全曲を担当するつもりだった。
そしてIYOKOとベースのASTRIDはその方針に同意していたが、安奈はそれに反発し、自分で作曲をさせて欲しいと申し出た。
RAY『それで、作詞はどうするの?』
『それは、あんた達にお願い出来れば…。』
MALICE『あたし達に詞を書かせるつもりなの?』
『えっと…。』
安奈は作曲こそ得意だが、作詞が大の苦手だったため、最初から詞を他の人にお願いするつもりだった。
『このバンドでは作詞、作曲の両方を担当するという決まりなんだから、あんたが書いてよね。』
『分かりました…。』
RAYにはさすがに逆らえないこともあり、安奈はいさぎよくその意見に従うことにした。
その後、何とか詞を書きあげて提出したものの、メンバーからの評価はかんばしくなかった。
結局彼女の書いた曲は却下されてしまい、その後もなかなか採用してもらえない状況が続いた。
内心では不満を抱えながらも、演奏に専念することになった安奈は決して本職ではない楽器に苦戦しながらも、何とか人気のために頑張り続けた。
その甲斐あって、演奏会では高い評価を得て人気も上がっていき、さらに上を目指していける状況になった。
しかし安奈の心の中にくすぶっていた気持ちは決して消えたわけではなく、彼女は度々衝突を起こすことがあった。
そんなある日。RAYがすでに対バン形式で見ていた別のバンドの女性ドラマー、SARAと親しくなった。
2人で話をしているうちに、SARAは所属バンドが解散しそうな状態だったため、新たな所属先を探していることを打ち明けた。
それを知ったRAYは一度MALICEと3人で音合わせを行うことにした。
『君、激しい曲でもしっかりと演奏をこなせるのね。さすがだわ。』
『しかも演奏後もバテないスタミナを持ち合わせているわね。』
MALICEとRAYは確かな手ごたえを感じ、性格も素直であったため、秘密裏にドラマーの交代を決めた。
しかし安奈にはその事実が伏せられており、それを知らない彼女は当日のライブで精いっぱいの演奏を披露した。
結果、会場での大歓声を浴びた上に、結果発表で上位に食い込んだため、安奈は頑張って良かったという満足感に浸りながらステージを後にした。
しかしその日の夜、彼女を待っていたのはドラマー交代という、それまで予想すらしていなかった事実だった。
安奈はあまりにも突然過ぎる宣告に現実が受け入れられず、他のメンバーに食って掛かった。
『すまないわね。でも、私達はメジャーデビューを目指す以上、実力者をそろえるのは必然的なことよ。』
RAYはこの事態になったことを謝罪したものの、態度を変えることはなかった。
安奈以外のメンバーはすでにこうなることを把握していたこともあってか、異議を唱えることはなかった。
すでにこのバンドに自分の居場所が無いことを悟った安奈は途端に泣き出し、その場から走って立ち去ってしまった。
「こんなことになるなんて…。私、悔しい…。」
「確かに、こんな形で離れることになったら、耐えきれないだろうな。」
「うん…。私、これからどうすれば…。」
未だに現実を受け入れられずにいる妹を見て、丈二はその姿が求司やマドリガルに重なって見えた。
(とにかく、彼女も心のケアが必要だな。キュージもきっとマドリガルをケアするだろうし、しばらくはこういう日々になりそうだな。)
そう考えた丈二は、間髪入れずに求司と連絡を取ることにした。
そして明日4人で会ってゆっくり過ごすことを提案した。
『分かった。でも、マドリガルはまだ外を歩くことを怖がっているみたいだから、ジョーとアンがこっちにきてくれる?』
「分かった。じゃあ、僕達が明日の9時にそっちに行くから、待っていてくれ。」
『OK。』
求司は丈二の要望を快く受け入れてくれた。