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第2話 窓際社員

 こちらは現実の世界。

 この世界で暮らす青年、野星のほし求司きゅうじは、高校まで野球部に所属しており、全国大会を目指す球児であった。

 彼は外野のレギュラークラスにまでのぼりつめたものの、結局全国の舞台は踏むことが出来ず、さらに右肩の故障に悩まされていたこともあって、3年時の夏の大会を最後に野球部を引退した。

 卒業後は大学に通い、野球は休日の楽しみという形になった。

 そして大学を卒業すると一般企業に就職をし、親もとから離れてアパートで一人暮らしをしていた。

 入社2年目になると新入社員が入ってきて、求司は彼らに仕事を教えることが新たな役割になった。

 時を同じくしてこの部署では配置換えが行われ、求司の新たな机はオフィスの隅ということになった。

「阿井さん。どうして僕はここになるんですか?」

「新たな社員が入ってくるからよ。うちの部署は増員になった一方、広さはそのままだから、空いている場所使っていこうという話になって、こういう処置を取ることにしたの。」

「でもそれって…。」

 求司は一瞬、上司である阿井さんに『自分は窓際族になるってことですか?』と聞こうとした。

 しかしそんなことを言ってしまったら、自分の首を絞めることになりかねないため、慌てて口を閉じ、だまって彼女の指示に従うことにした。

 求司の新たな作業場所は他の社員から少し距離があり、しかも窓の方を向きながら作業をすることになってしまった。

(これじゃ、明らかに窓際社員だよな。僕、立場的にこれからどうなっていくんだろう…。)

 彼は心に不安を抱えながらパソコンを接続し、新入社員に仕事を教えるためのマニュアル作りに取り掛かった。


 翌日から彼は新入社員に仕事を教え、それを終えると今度は自身の報告書の作成をする日々になった。

 その結果、求司の仕事量がこれまで以上に増えたため、退社時間がさらに遅くなった。

 この調子で行けば、残業時間は間違いなく増えることになった。

(はあ…。今日も残業か…。これで今月は何回目だろう…。この調子でいくと今月は多分35時間になりそうだな…。もしかしたら40時間、いや、45時間になるのかな…。)

 彼がため息をつきながら作業をしている時点ですでに時刻は夕方になっており、外の景色は夕日を浴びて赤く染まっていた。

 残業時間に突入すると、彼は精神的に一気に疲れてしまい、作業の効率も明らかに落ちていった。

 そんな中、ため息をつきながら報告書を作成していると、ふと一人の女性社員がこちらにやってきた。

「野星君、ちょっといい?」

「はい。何でしょうか?阿井さん。」

「その報告書、今日中に出来上がりますか?」

「はい…。何とか仕上げます。」

「頼むから早く完成させてね。」

「分かりました…。」

 求司は明らかに疲れた口調で返した。

「あんたねえ、ため息なんかついてないで頑張りなさいよ。」

「はい…、でも…。」

「でも、何?」

「僕、連日の残業で…。」

「何言っているの。私なんて月50以上の残業をしているのよ!それに社員の中には月60になる人もいるんだから。」

「……。」

 阿井さんから追い打ちをかけるようなことを言われてしまい、求司はそれ以上何も言えなくなってしまった。

(とにかく、早く報告書を完成させよう。完成させて上司にOKをもらわないと今日は帰れないんだから…。)

 彼は精神的にますます打ちのめされながらも、気力を振り絞って作業を続けた。


 後日。求司は報告書を仕上げた後、今度はプレゼンテーション用の資料を作り、阿井さんをはじめとする上司や同僚、そして新入社員の前で初めての発表を行うことになった。

(僕がここに入社して1年余り。ようやく自分の仕事の成果を発表する機会が巡ってきた。それは喜ばしいことだけれど、同期の人達はすでに何人もプレゼンをしているし、次の内容に取り組んでいる。僕は遅れを取っている方だし、何とかみんなにくらいついていかなければ…。)

 彼は緊張のあまりに足が震え、しかも不安や焦りを感じながら大舞台に挑んでいった。


 それから8分後。求司は足だけでなく、手や口も震わせながら何とか発表をやりとげた。

 しかし次に彼を待っていたのは厳しい意見の嵐だった。

「こういう結果になったのはどうしてですか?」

「君はこれをもとにして次は何をしようとしているのですか?」

「グラフがいまいちですね。それに考察もいまいちです。」

 これらの言葉を浴びせられるたびに、求司は心の中で(早く終わって欲しい。これ以上意見を求めないでほしい。)と思いながら、懸命に言葉を絞り出した。

 しかしその後も意見は止まなかった。

(もう限界だ。早く終わってくれ…。誰か助けてくれ…!)

 すでに心の中では彼は泣き叫んでおり、とうとう言葉に詰まってしまった。

 そんな雰囲気を察したのか、それとも時間切れになったのか、他の人達はこれ以上発言をすることはしなくなった。

「では、野星君の発表は以上とさせていただきます。ありがとうございました。」

 阿井さんがそう言うと、求司にとっての長い長い孤独な時間がようやく終了した。

「ありがとうございます…。」

 すでに力を使い果たしていた求司は自信なさそうに答えると、自分の席に戻っていった。

 彼は次の人のプレゼンテーションが始まっても何も考えられず、とてもその人の意見を聞く気持ちにはなれなかった。

 阿井さんはうつむきながら呆然と座っている彼の姿を見逃さず、ちゃんと話を聞き、質問が出来るように心の準備をするように小声で促してきた。

(すみません…。)

 求司は声には出さないものの、口を動かして謝ると、気持ちを切り替えて話を聞くことにした。


 プレゼンテーション終了後。彼は報告書に自分なりの考えを書き加えたり、グラフを書き換えながら報告書を作り直した。

 それに時間がかかってしまったこともあって、この日はいつも以上に残業をするになった。


 彼が空腹を感じながら仕事を終えて会社を後にした時、外はすでに真っ暗になっていた。

 午前中のプレゼンテーションの後、気力を振り絞って作業をし求司は、もはや何も考えられない精神状態だった。

 そんな彼の心を癒していたのは、夜空にキラキラと輝く星や町のがい灯。そして道路を行き交う車のヘッドライトだった。

(こんな日でも、世の中はいつも通り流れていくんだな…。)

 そう考えながら一歩ずつ歩みを進めていると、不意にお腹がグウウッと鳴った。

(あっ、そういやまだ夕飯も食べていなかったな。今日は途中の店に立ち寄って夕飯を買うことにしよう。)

 彼は夜道を歩いたところににある薬局に立ち寄り、すでに割引で販売されていたパンやおにぎりを買った。

 そしてそれらを食べて腹ごしらえをしながらさらに夜道を10分ほど歩き、駅に向かっていった。


 彼の住んでいるアパートは降りた駅から徒歩8分程度のところにあった。

 扉の鍵を開けて中に入っていった求司は、すぐにパソコンの電源を入れて動画サイトを開いた。

 そのサイトは10年以上前に発売されたゲームのプレイ動画だった。

 彼はそのゲームのキャラクターの中で、魔法使いの少女であるマドリガルが気に入っており、彼女の姿を見るのが楽しみだった。

 マドリガルは仕様なのか、HPや攻撃力などの能力がかなり低かった。

 しかもレベルが上がってもHPがなかなか伸びないため、ルウやバンビーノはもちろん、カノンと比べても差が開く一方だった。

 ゲーム中で戦闘に参加出来るのは4人までで、マドリガルは4番目に仲間になるため、彼女はしばらくの間スタメンで戦うことが出来た。

 しかしこの動画のうp主は見るからに彼女を冷遇しており、嫌々戦闘に参加させているのが見て取れた。

 そしてしばらく動画を進めるとくノ一の忍者であるアリアが5人目の仲間としてパーティーに加わり、マドリガルは即座に戦闘メンバーから外されてしまった。

 アリアはHPが決して高い方ではなかったが、忍者ということもあってか素早さが高いため、かなりの確率で先制攻撃が出来る上に相手の攻撃をヒョイヒョイかわした。

 その甲斐もあって彼女は見かけよりもHPが高く、しかも特技を駆使して相手の武器や盾を叩き落とせるようになった。

 しかも彼女は刀以外にも鎖ガマや手裏剣を装備出来た。

 鎖ガマは刀より攻撃力が低いものの最大3体まで敵を攻撃出来、手裏剣は単体攻撃である一方、相手の通常攻撃が届かないところからでもダメージが与えられるという特徴を兼ね備えていた。

 さらに彼女は戦闘後にアイテムを手に入れることがあったため、金策としても役に立つキャラであった。

 その後は事実上、ルウ、バンビーノ、カノン、アリアの4人パーティーという形になり、マドリガルは付き人という形になってしまった。

(僕もこのゲームをプレイしたことがあったから気持ちは分からなくもないけれど、この女の子かわいそうだな。こんなにあからさまに仲間外れにしなくてもいいのに…。)

 求司がそう思っていると、そこで「次回に続く」という表示が出て動画が終わったため、彼はお風呂を沸かして入ることにした。


 お風呂から出た後、彼は再びパソコンを立ち上げ、寝る前にそのプレイ動画の続きを見ることにした。

 相変わらずマドリガルは戦闘に入れてもらえず、しかも装備も更新されなかったため、ますます空気のような存在になっていた。

 しばらくすると今度は6人目の仲間として、曲芸師のカブキが加わった。

 彼はHPがルウより低いものの、同レベルで比較すればアリアよりは高く、MPもある程度持っているキャラだった。

 素の攻撃力は彼女とほぼ同等だったが、装備出来る武器が少ないため、直接攻撃するよりも催眠術や相手を混乱させたり、味方の能力を上げる特技がメインだった。

 さらに、レベルアップすれば特技の踊りを駆使して移動中に少しずつHPを回復出来るため、ある程度は回復役にもなれるキャラだった。

 彼は最後に仲間になるだけあって初期のレベルが低く、スタメンで戦うには少々力不足だったため、最初は控えメンバーに甘んじていた。

 しかしストーリーを進めるにつれて、カブキの能力はぐんぐん上がっていき、うp主は戦闘になると相手の特徴に合わせてカノンと入れ替わりながら戦うようになった。

 その一方、マドリガルは装備が全然更新されないの状態だった。

 戦闘ではルウ、バンビーノは不動のレギュラーで、カノン、アリア、カブキのうちの2人が相手の特徴に合わせて選ばれている感じだった。

(マドリガルはどんな思いで同行しているんだろう。つらくないのかな。)

 求司は自身も窓際社員になってしまい、つらい思いをしているだけに、彼女を応援してあげたくなった。

 しかし自分でプレイしているわけではない以上、どうすることも出来ず、無力さを感じながら動画を閉じることにした。

(さあ、明日もまた仕事だ。今日は本当に長くてつらい一日だったけれど、それを乗り切れば土日休みが待っている。もう一日頑張ろう。)

 彼はパソコンをシャットダウンし、目覚まし時計をセットすると、部屋の電気を消してベッドに横になった。


名前の由来

・野星 求司:ずばり、僕のA.R.E.です。


・阿井:日本人の名字で最初に来るものを選んでみました。全国の阿井さん、ごめんなさい。


・アリア(ARIA):クラシックの曲「G線上のアリア」と「テレマンのアリア」から取りました。

 パッフェルベルのカノンの他に、これらの曲も気に入っています。


・カブキ(KABUKI):映画「ベイマックス」を見ていた時、キャラ名に外国語になった日本語(外行語)が使用されていたことを受けて、ぜひ使ってみたいと思い、これを選びました。


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