お嬢さま離れのできない地味メイドが恋に落ちるまで
「お嬢さま。今日の髪飾りは、王太子さまの瞳の色に合わせたエメラルド色はいかがでしょうか」
手のひらに乗せて見せると、お嬢さまはにっこりと微笑んだ。
「いいわね。それにするわ」
鈴を鳴らしたような、凛としたお声。今日もお嬢さまは美しい。
着飾らなくても、誰よりも綺麗であるのは周知のこと。そんな彼女がドレスを身につければ、光り輝いて見える。
金髪の御髪を結って、エメラルド色の羽のモチーフの髪飾りを付ける。すると、手の届かないところまで羽ばたいて行ってしまうような錯覚をした。
「ーーエラ。どうしたの?」
心配そうに顔を覗き込まれて、わたしは頭を軽く振った。
顔には出していないはずなのに、お嬢さまは鋭い。
「なんでもありません。お嬢さまもすっかり大人の女性になったな……と思っただけです」
「もう18よ? 充分に成人の年だわ。それに、王太子さまとの婚約が決まってから、周りの人からの視線が変わってきた気がするの。注目が集まっているから当然なんだけれどね」
長いまつげを伏せて呟くお嬢さまは、既に王太子妃としての自覚が出ておられる。
お嬢さまとお呼びできるのも、あと少しになるのは寂しいところ。
今日は公爵家のご令嬢であらせられるエカテリーナさまと王太子さまの婚約披露パーティだ。
「結婚されても、ずっとお側で見守らせていただきます」
「エラ、わたしに着いて王宮まで来てくれなくていいのよ。あちらでは専属の護衛の騎士さまもつけてもらえるらしいわ」
お嬢さまがわたしの顔色を見ながら話してくださる。
そんな気遣いをされてしまうことが申し訳なかったけれど、表情を顔に出さないように努めていたのに気持ちが揺れてしまう。
「そんな……。わたしはもう必要ないということでしょうか」
想像した途端に心がザワリとした。
お嬢さまをお守りする、という役目を失った自分。それはショックが大きかった。
公爵家のお嬢様に仕えるメイドは表の顔で、実は戦えるメイドなのだ。
物心がつく前に、メイドとしての礼儀作法と、主人を守る剣術を身につけた。
初めての顔合わせで、長いふわふわな金髪の女の子を見た瞬間に、命懸けで守るべき存在だと直感した。
それが続くと思っていたのに。ずっと、ずっと……。
「違うのよ。エラには幸せになってほしいの。いい人がいれば、わたしのことは気にしなくていいのよ」
「……そんな人などいません。お嬢さまのお側にいれば、それで満足なんです」
わたしは嘘をついた。頭の中に、あの男が思い浮かんだ。
数ヶ月前。夏の長期休暇をいただいて実家に帰ったときに、兄の友人と鉢合わせた。
しっかりと顔を合わせたのは子どものとき以来で、失礼なことを言われなければ気づかなかったかもしれない。
飴色の髪に茶褐色の瞳の背の高い好青年。
口を開かなければだが。
「エラディか。今は公爵家で働いているんだってな。チラッと見たことあるが、昔のお前とは別人みたいだな。ピリッとして、話しかけづらかった」
「……仕事中ですから、気持ちを切り替えるのは当然でしょう?」
これだけ言って、後ろに下がって距離を取る。
ズバズバと物申すこの男と、これ以上は話をしたくない。
後ろから追いかけてくる気配を無視して、パタンと扉を閉じた。
「ちょっと、待てよ……!」
「ミラージュ、諦めろ。嫌われたな」
彼は兄に慰められていたけれど、同情はしない。
あの笑顔が鼻につく。あの耳ざわりの良い声に惑われそうになる。
あの人の視界に入りたくない。恥ずかしくて、どこかに隠れてしまいたい。
顔を合わせると作り上げてきた完璧なメイド像がきっと崩れてしまう。
彼はわたしの初恋だった。
わたしが7才、兄とミラージュが10才の時。剣術の師範をしていた父のもとに、ミラージュはわたしの家まで習いに来ていた。
両親は女の子だから習い事はダンスや裁縫……と決めつけるのではなく、好きなことをさせてくれた。
わたしが兄に引っ付いて剣を習いたいと言っても、父は「剣はいいぞぉ。心も体も鍛えられる!」と嬉しそうに言っていた。母は最低限の行儀を身につけてくれれば、好きなことをしてもいいと許してくれた。
稽古の後、たびたび兄とミラージュの三人で遊んだ。木登りはお手のものだ。今はもうしないけれど。
シロツメクサで花輪を作ろうとして、指先が器用ではなかったから、兄が編んでくれた。
わたしは頭の上に花輪を乗っけて、ミラージュに問いかける。
「どう? 兄さまに作ってもらったの! 似合ってる?」
すぐには返事をくれない。おや、と頭を傾げる。
当然、誉めてくれるのかと思いきや、わたしの考えが甘かった。
「全然似合ってない……」
「え……?」
ミラージュはお世辞は言わない。似合っていないと思ったから、そう言ったのだろう。
わたしがショックな顔をしていても、ミラージュは何も言ってくれない。
お姫さまみたいな飾りが、似合わないということなんだわ。
初恋は花輪と一緒に散った。
可愛らしいものが似合わないとわかったから、今ではいい思い出なんだけれど。
ドレスで着飾るよりもメイドの制服、巻き髪よりは引っ詰めたお団子頭。笑顔よりもキリッとした表情。
わたしには地味なメイドがお似合いだ。
こりもせずにその翌日もミラージュはいた。兄のアドバイスなのか、わたしの好きなチーズタルトを用意して。よほど暇なのだろうか。
取り合うつもりはないのに、ミラージュは話しかけてくる。
「エラディ。元気にしているか?」
「病気をしたことはありませんから、元気なんだと思います」
わたしの返答に、ミラージュは困ったように眉を寄せた。
そんな回答が欲しかったわけではないらしい。
会話の糸口を探しているような……。
「いつから機械的に話すようになったんだよ……。そんなこと言い続けていたら、また無視されるだろうから簡潔に言う。王太子の婚約披露パーティーに令嬢側の手伝いで出席するだろう?」
「そうですね」
「俺も王太子側の手伝いで出席する。会ったら昔のよしみでよろしくな」
「昔のよしみ……」
「大きなパーティだから、エラディが……同郷の幼馴染みがいると思うと安心するんだ。会ったときに無視されたら寂しいじゃないか」
「……そういうことですか」
よほど構ってほしいのだろうか。
ミラージュは王立騎士団に所属しているから、会場の警備にあたるのだろう。
「それだけだ。じゃあな」
「……では、また」
ミラージュは話を切り上げると、小さく手を振った。
つられて手を上げて振り返す。
幼馴染みを見て安心したいくらいのプレッシャーでもあるのだろうか。つれない態度を取る可愛げのない性格なのに?
ミラージュが置いていったチーズタルトはしっかり食べ切った。
婚約披露パーティは、国内の貴族から外国の要人まで招待客は多く、執事やメイドなどの使用人も忙しく動いていた。
人が多ければミラージュが見つかるはずがないと思っていたのに、すぐに目に入った。
王立騎士団の白い制服に身を包んだミラージュがいた。整列した数人の騎士団員を取りまとめているようだ。
わたしの視線に気づいたミラージュが軽く手を振ってきた。
公衆の場であからさまに無視するのも悪いような気がして、前で組んだ手をそっと離して、小さく振り返した。
すると、嬉しそうな目をしたのだ。
ドキン、とした。仕事中なのに、鼓動が早くなっていく。なんか、おかしいな。
「ねえ。エラディ。王立騎士団の方に知り合いがいるの?」
急に話かけられたことに驚き、ビクッと肩を震わせた。
わたしとしたことが、メイド仲間がすぐ横まで来ていたことに気づかなかった。
やっぱり無視しておけば良かった………と思ったのは後の祭りだ。
「ええ、そうだけど……」
「あの人、騎士団長のミラージュさまよね。今度紹介して!」
王立騎士団に入ったことは知っていたが、騎士団長になっているとは。会場警備の重要な役目だ。
メイド仲間はキャッキャと舞い上がっている。パーティで気分も高揚しているのだろう。公爵家の屋敷の中では出会いが少ないから。
王立騎士団は実力主義で、庶民からも集められている。ミラージュは貴族出身だけど、次男坊で家督は継がないらしい。
執事がローストビーフを持ってくると、美味しそうな香りにつられて何人か皿をもらいにくる。
あの人……執事の黒い服を着ているけれど、発する闘気が他の人と明らかに違う。何かを狙う者の気配だ。
「紹介するのは機会があれば……わたし、少し外します」
そう言い残して、メイド仲間から離れる。
執事の動きに目を向けたのは、おそらく近くにいたわたしだけだ。
客人たちの注目は、この場に現れた王太子さまと王太子妃にさま集まっている。
「この婚約披露パーティに、大勢の人から祝福に駆けつけてもらい、大変感謝している。もてなしの料理と楽団を用意した。大いに楽しんでほしい」
王太子さまの言葉に、拍手が鳴り響いた。
執事は料理を配り終えると、王太子さまの方へ歩き始めた。
袖元が光の加減によりキラッと輝いて見えたのは、隠し持った短剣だった。
王太子さまの命が狙われている! 今すぐに止めなくては!
気配を消して、執事の後ろに立って短剣を奪おうとする。
敵の野生の勘だろうか。焦りが伝わってしまったようで、急に執事は振り向いた。
執事が短剣をこちらに切り掛かるのと、わたしがスカートの膝下に隠し持った短剣で受け止めたのは同時だった。
キィンッと火花が散る。
異様な音に、歓談の声が止んだ。
人々の目に映ったのは、執事とメイドの剣の攻防戦だった。
「王太子さまの命が狙われています! 早くお逃げください!」
嘘を言い放ったのは執事だった。
あなたの方が暗殺者のくせに……!
周囲をあっという間に味方にして、メイドの方が暗殺者だ! という視線が突き刺さる。
調べれば執事が嘘をついていることは明白なのに、この場を混乱させて、どさくさに紛れて逃げるに違いない。
嘘をついているのはあなたの方です! 意を決して、言おうとしたら……。
「メイドのエラディは俺の幼馴染みだ。身元は保証する」
白い騎士団服に身を包んだミラージュが助け舟を出してくれた。
ミラージュの顔を見た途端に、ホッとした。
味方が現れたという安心感より、もっと別な感情のような気がする。
「メイドは騎士団長の知り合い? それじゃあ執事が……」
招待客の一人が状況を理解した。それを皮切りに、波紋は広がっていく。
不利を悟った執事は逃げようとするが、ミラージュは足で短剣を払い落とし、素早く腕を捻り上げた。
「観念しろ。すぐに牢屋へ連れて行け。……俺のエラディを危ない目にあわせやがって」
俺のエラディ⁉︎
その一言はわたしにしか聞こえなかったようで、王立騎士団の仲間たちによって、つつがなく執事は退場させられる。
ミラージュが駆け寄ってきた。
「一人で頑張ったな、もう大丈夫だ」
「さっきの……俺のエラディってどういうことですか?」
「俺が騎士団長になるまで待ってろって言っていたの忘れたのか?」
「ーーーえ?」
かなり昔、全寮制の騎士学校に入学する前に、そんなことを言われたような気がする。
でも、それって手合わせを、剣の対戦を待ってろってことじゃなかったの?
小さい頃はわたしの方が強かったから。
「……ま、そういうことだから」
「そういうことって、どういうことか、ちゃんと言ってくれないとわかりません」
地味のメイドの化けの皮が剥がれていったような気がする。きっと顔は真っ赤だ。
「俺の両親が貴族の令嬢との縁談を進めていたが、騎士団長になればそれはなかったことにしてくれると約束してくれた。ーー俺はエラディしか妻にしたいと思ったことがない」
ミラージュは男爵家だった。わたしの家は庶民で爵位がない。
ミラージュのご両親が次男坊の彼を婿入りさせたいと思うのも当然の展開かもしれない。
「昔、シロツメクサの花輪を似合わないって言ったじゃないですか。わたしには可愛いものが似合わないと思ったんですから」
八つ当たりだとわかっているのに、つい憎まれ口をたたいてしまう。本当は素直にわたしも好きでしたと言いたいのに。
「それは……エラディの兄貴が大事そうに作った花輪だろう。本当は俺が作ってあげたかったのに、嫉妬した。エラディは何をつけても可愛かったのに」
「可愛いって……そんなこと、今更言わないでほしいです」
「剣が強いのも、つれない態度をするのに顔が真っ赤なのも好きだ。そんなところも全部可愛い」
「……甘いセリフは仕事が終わってからにしてください」
言った瞬間に後悔した。それじゃあまるで……。
「仕事が終わればいいんだな」
「もう!!」
言い合っているうちに人垣が割れて、婚約披露パーティの主役の二人、王太子さまと王太子妃さまが現れた。
ミラージュが胸に手を当てて敬礼しているのを見て、わたしもスカートの両端を持って少し腰を落とした。
「騎士団長のミラージュとメイドのエラディ。勇気ある行動に感謝する」
「はっ!」
王太子さまの言葉に、ミラージュは再度頭を下げた。わたしも淑女の礼をして感謝を受け取った。
「エラ、お手柄だったみたいね。それに騎士団長さまも。ありがとう」
「お嬢さまをお守りするのは当然のことです!」
屋敷にいるときの癖で、お嬢さまと呼んでしまった。
そんなことは気にせずに、王太子妃さまは、ふふふと微笑む。
「わたしにはエラの顔を見ただけで、何が言いたいのかわかるわ。最近は元気がないと思っていたの。けれど、今は違うみたいだわ」
「そ、そうですか?」
「ええ」
ミラージュとのやりとりは聞かれていないはずなのに。お嬢さま、いえ、王太子妃さまにはすべて見透かされていた。
大切な人ができたということを。
後で聞いた話だが、王太子妃さまの専属の騎士は、内定していた騎士が既にいたとのことだが、暗殺者確保の功績をたたえられたことと王太子妃さまの計らいにより、わたしもメイド兼護衛として王宮に上がることとなった。
わたしとミラージュの仕事場が一緒となり、さらに愛を深めていくのは、また別の話。