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新寿へようこそ! その2

「海上水族館......?」


 驚きがそのまま口からこぼれたような声をしていたのだろう、鈴木青年はふっと息を漏らした。


「もしかしてミノミズ、会場間違えたのか? 本当は別の職業見学キャンプに行く予定で、電車間違えたとか......。降りる駅は新寿であってるんだよな?」


「あぁ、うん。たぶん、大丈夫。只なんて言うか、リサーチ不足......だった。」


 家を出るギリギリまで粘って、できる限り部屋から出まいと努めていたのだから、もちろん行き先など調べてはいないし、パンフレットの取り寄せなどしていようはずもなかった。とはいえ最後には結局、こうして渋々出発したわけだが、それまでにどんな格闘があったかは察してほしい。

 とにかく、僕は両親に「言って帰ってくるまでお前に開ける扉はないと思え」と半ば勘当される形で出てきたので、持ち物といえば取っ組み合ってる最中にいつの間にか背負わされた小さなリュックサックと、まさに叩き出されて扉に鍵をかけられる寸前渡された古い携帯端末のようなGPSくらいなもので、まるで行き先に心当たりがなかったのだ。リュックサックから海水パンツの裾でもはみ出していれば行き先が海辺だと気づいたかもしれないが......。


「なっはははは! リサーチ不足って、普通サマーキャンプ応募すんのに行き先リサーチしない奴とかいないだろぉ。」


 鈴木青年は目に涙を浮かべている。無論悲しくて泣いているのではなくて、むしろ真逆も真逆の嬉々とした表情である。

 笑いたければ笑うがいい。僕だって他人事なら滑稽で泣くほど笑えたことだろうが、生憎今はそんな気になれないのでじっと黙っている。


「......馬鹿か。」


 隣の彼は自分の笑い声でまる聞こえなかったみたいだけど、電車の扉に備え付けられた窓の傍で佇む篠原少年がそう呟いたのを、幸か不幸か僕は聞き逃さなかった。否、気持ちの整理が追いついたので言い直すこととしよう。不幸なことに、僕は彼の言葉を聞き逃せなかったのだ。


「ミノミズ、じゃあパンフレットとか持ってきてねーの? それだとおまえ、日程とかわかんないだろ。」


「あ、うん。たぶん持ってきてない。と、思うけど......荷物確認するよ。」


 背負っていたリュックサックを膝の上に下ろし、その中に手を突っ込んで探り探りにまさぐるが、中には布の感触があるばかりで目ぼしそうなものはない。続いて、リュック表面のファスナーを引き、中を確認すると、カサと紙の擦れる音。


「......あったみたい。」


「あったみたいっておま......まぁいいや、貸してみ。」


 あきれ半分、おもしろ半分、ついでに親切をひとつまみした、そんな様子で僕の手からパンフレットらしき紙束を取り上げると、鈴木青年は表紙とその次のページをめくり、開かれた海上水族館の略図を指差して説明を始める。


「これが俺らが行く海上水族館の見取り図。ざっと八年前に埋め立てられた半島の先端に、同じく八年前に建てられた。元々は海洋研究施設だったらしくて、水族館って名前は付いてるけど一応今も海洋生物とかの研究はやってるみたいだぜ。つっても、俺たちが見学できるのは水族館部分だけだろうけどな。」


 その後も、彼の水族館についての語りは止まらなかった。僕はと言うと、説明してもらってる身分で大変申し訳ないことではあるが、最新鋭の水力発電機構であるとか、津波に備えた流体的なフォルムであるとか、そういった箇所の解説は窓の外でゆらめく海を眺めながら聞き流していた。どんどん話が逸れていると言うか、もはや完全に水族館の説明とは脱線している気がしたからだ。傍で聞いていた篠原少年も、一回だけ「オタクめ......」と呟いていたのでそれはもう間違いない。きっと水族館の見学には必要のない知識だったはずだ。


「まあここまでは前座みたいなもんだ。何よりすごいのは四日目から六日目に行くとこなんだよ。」


 そう言って鈴木青年は軽やかなペースで一枚、2枚、3枚とパンフレットをめくり、最後のページを開く。もったいぶっただけあって、そこに描かれた見取り図は素人の僕でもなかなかに目を見張る内容であった。


「なぁ? すげえだろ? 海上水族館って名の付く通り、ここの本命はこの海上施設なんだ。資金提供してる財団から取って、ルナティール水中海洋館って名前が付けられてる。

 全方位を海に囲まれた絶海の施設でな、このドーナツ状の建物は海の中にも続いてて、隣のこの図みたいに各階層に分かれてんだ。海上1階から水中のワンフロアまでが水族館として使われてて、そっから下は研究施設なんだとよ。」


「ずいぶん詳しいんだね。感心したよ。」


「なはは。まあな。オタクだからな。」


「......」


 こんどの篠原少年の発言は聞こえていたみたいだった。熱心に喋り込んでいたのでまるで聞こえていないものと思っていたのだろう。わずかながら彼の眉がぴくりと動いた。

 そうこうしている内に、車内に到着のアナウンスが流れる。電車は宣言通り徐々に速度を落とし、やがて吹き抜けの無人駅で止まった。車両を降りると、そこがほぼ海の間際、切り立った場所スレスレにあるのだと分かった。駅の方々へ視線を泳がせていると、僕らが降りた向かいのドアから見覚えのある女子が降りてくるのが目に留まる。


「あの子、同じ車両に乗ってた......ねぇ、あの子も職業見学かもね。」


 僕がそんなことを言うと、それが聞こえた様子で、一目散にこちらへ向かってきた。


「あんたたちね、電車の中でくらい静かに出来ないの?」


 もっともだと思った。

 その子はパーカーに短いスカートを履いていて、すこし目のやり場に困る感じの女子だった。長髪を後ろで束ねていて、歩くたびに馬の尻尾みたいに激しく揺れている。

 彼女は、感情の具合も高々といった声色で続ける。


「特にそこの赤毛の男子、あんたよ。騒々しいにも程があるわ! 喋るにしても隣の車両に届くようなボリュームで話すのはマナー違反だと思わないわけ?」


 鈴木青年を今にも手が出そうな距離間で問い詰める彼女の目は、憎しみを内包した薄茶色をしている。

 鈴木青年はと言うと、睨みつけられたのを意にも返さない様子で、「ん? 隣の車両には居なかっただろ? ミノミズが言ってたぞ。」などと飄々としている。というか火に油を注いでいる。


「ミノミズってのはどいつよ。」


「そいつだ。」


 キッと、彼女は睨む標的を僕に変えた。


「揚げ足とらないでくれない?」


 理不尽甚だしいことこの上ないと思ったが、不満を口にすることもなく「はい」と頷いた。蛇に睨まれた蛙である僕は、とうに意気消沈していた。そうしていると、彼女も再度標的を鈴木青年に切り替えて、大げさに後ろ髪を靡かせてみせた。


「なはは。悪かったって、すまんすまん、以後気をつけます。」


 結局、その一言と「ほんとでしょうね」の追撃ひとつで、波乱は幕を閉じることになる。その間篠原少年はというと、我関せずとイヤホンで音楽など聴いていた。

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