新寿へようこそ! その1
頬から顎を、大粒の汗が伝う。一粒滴となって落ちていったかと思えば、次から次へ、絶え間なく。
手の甲でそれらを乱暴に拭い取り、先ほど雑貨屋前の自販機で買ったボトル入りの水を喉に流し込む。目一杯に広がる青空と、チリリと焼き付ける太陽が目に痛い。
炎天下から逃げるようにして駅に駆け込み、ペットボトルの水でもう一度喉を冷却する。
「はあ......。」
夏というやつは暑いだけで今年何人を殺したのだろうか。現代においては冷房装置があるからまだいいものを、今に至るまで猛暑に気を違って命を絶った人間がいたというのにも納得の暑さを目の当たりにし、ため息が出る。まったくもって、日本の夏というやつは罪深い。そして、そんな夏の最中に俺を放り出した両親も罪深い。
とはいえ、いつまでも涼んでいるわけにもいかない。止めていた歩行を再開する。
しかし酷い話である。
──不登校支援プロジェクト、夏季職業見学キャンプ
僕の非情なる両親は、そんなチラシの見出しをこれ見よがしに見せつけてきたかと思えば、勝手に希望用紙に僕の名前を記入し、親切にも不登校児への気遣いから加えられたであろう参加児童に関する備考欄には「根性たたき直してやってください」などと書いて、本人である僕の許可などなしに乱暴に印鑑を叩きつけた後、郵便局に用紙入りの封筒をそそくさと送ってしまったのだった。
かくしていつの間にかその職業見学キャンプとやらに参加する手筈となった僕は、ボイコットを決められないようGPSを持たされて意気揚々と人を殺しかねない炎天の下へと送り出されてしまったわけだ。それが今僕が不本意ながら遠路はるばる吸血鬼よろしく日中を知らない貧弱な肌を焼かれながら涙を飲んで近場の駅まで足を運ぶこととなった大元の原因であった。
「たしか、新寿駅で14時に集合...だったよな。そこからは向こうで乗り物を用意してくれるとかなんとか。」
新寿駅は最寄り駅である現在地から2回程乗り継ぐ必要があるらしいものの、他県からの参加者のたどる道のりと比べれば遥かに些細な距離であろうことは間違いない。その点に文句はない。むしろ待ち合わせ場所が新幹線で云時間とかの距離のプログラムに強制参加させられなかっただけマシなのだ。
「一週間、我慢すれば終わるんだ......よし。」
忌々しいGPS端末を握りしめて、中学二年生の夏、僕は一年ぶりの日差しに目眩を起こしながらも、故郷の地を一時後にする。
◆
新寿駅に間も無く到着するとのアナウンスが流れ、電車は人工的なものといえば線路とそれを保護する柵だけの手付かずの山をくり抜く、暗いトンネルへ突入する。
ここまで来ると、乗客もそう多くはなかった。僕の乗っている車両には、せいぜい僕と違わない年齢と見える私服の男女が三名(男子二名、女子一名)、背広姿の男性が一名、シャツに海パンのようなパンツを履いた変わったファッションの男が一名──と言ったところである。この様子では、親から聞いていた通り、そう栄えた駅ではないらしい。駅内の冷房は期待できそうもないな、と思った。真夏にやる企画としては、いささか欠陥のあるプログラムである。
ごうごうと音を響かせながら、規則正しい間隔でトンネル内の照明が右から左へと吸い込まれていく。もう随分と長いことこうしている。
暗闇と照明という変わり映えしない景色に退屈になったのか、なぜかガラガラの車両内でシートに腰をかけず、ドア付近のパイプを握ってぶっきらぼうに外を眺めていた男子が、こちらにふと視線を向けた。
「新寿駅でおりるのか?」
男子は無造作につぶやいた。彼は学ランらしき上着を白Tシャツの上に着込んでおり、夏だというのに異様な服装をしている。少し幼さがある目元に、眉を遮る程度に垂れた黒い前髪。その上に学生帽のようなものを深く被っている。夏だというのに、見てるこっちが熱くなりそうな格好である。
「どうなんだ? 目的地は新寿駅か?」
「あ、え? あぁ、僕?」
男子のこちらを見る目がかすかに細くなる。少し不審そうに僕を見る。頭が一瞬漂白される。
僕は昔から人と接するのが苦手だった。なんというか、単純なコミュニケーション動作とされるようなものでも、まるで僕にはさっぱりなのだ。きっと目線を合わせてから話すというのは、話しかけるときの仕草として一番基本的なものなのだろうけど、それを受けても僕はそれが自分に向けられた言葉だと、うまく認識できない。自分のそういう鈍いじゃ済まされないような馬鹿馬鹿しいところが、本当に嫌になる。
「あぁ、うん。そうだよ。」
「そうか。じゃあおれと同じだな。」
それだけ言って、男子は口を閉じる。そうしてまた窓の外に目をやると、彼は暗闇と照明が流れていくだけの単調な景色を見続ける作業に戻ってしまった。
「なぁ、もしかしてさ、きみらも見学キャンプの参加者だったりする?」
先程の会話を聞きつけてか、僕の向かいに座っていた長身の赤髪の青年が、僕の隣に席を移す。きっとこれも、僕に話しかけているんだろう。今度は失敗しなかった。
「もしかして、君も?」
「何を隠そう俺もそうさ。仲間が居て良かったぜ〜。俺ちょっと心細くてさ、なんつーか、人少なすぎて遅刻してんじゃねぇのかって少しばかり不安になってたんだよ。なはは。」
青年はそう言って鼻の頭を掻く。あぁ、なんか、眩しい。こんな人がいっぱい参加してるのかな。僕のような暗い奴には目に毒すぎる。もう帰りたくなってきた。
「ところでさ、きみら名前なんて言うの? 俺、鈴木健な。よろしく。」
青年は鈴木健というらしかった。学ランの方の男子は先ほど一瞥をくれてから鈴木青年のほうには見向きもせず、じっと窓の外を凝視している。このまま黙っていると間が持たないので、僕から答えることにした。
「僕、箕水功太。その、よろしく。」
「おう、よろしくぅ! ミノミズぅ!」
鈴木青年は僕の右手を強引に掴むと、ぶんぶんと縦に振り回した。スキンシップがすごい、握手なんて校長先生と卒業式のときしたきりだ。今思うと校長先生が卒業生全員と握手なんて変な卒業式だったよなうちの小学校。
「んで、きみはなんていうんだ? 名前。」
鈴木青年が学ランの男子に顔を向ける。
「篠原捧。」
ついに観念したのか、彼も口を割った。相変わらず視線は窓の外に張り付いたまま、無愛想な口調ではあったが。
「シノハラか、一週間よろしくな〜!」
そう言って鈴木青年が手を振った直後、篠原少年が注目する窓の外に変化が現れる。暗闇と薄暗い照明に慣れてしまった僕らには少しばかり目を細めたくなる光が差し込み、少し経つと、一気に視界が開けた。
「海だ......。」
車両の左右の窓、そのどちらも満たす満面ブルーの海と空が見えた。遥か遠くに浮かぶ巨大な入道雲が曇りのない海面の一部に影を落としていて、それ以外は後はひたすら海と青空とが水平線を境に拮抗している。
「なに言ってんだよミノミズ、当たり前だろ? 新寿っつったら半島になってる埋め立て地だし、なによりこの見学キャンプは───
◆
「みなさん、よく来てくれましたね。新寿へようこそ、歓迎しますよ。
いまここでみなさんの来訪を祝したい気持ちはやまやまですが、駅では通行の妨げになるおそれがありますので、それでは早速、今回のキャンプツアー海上の『新寿海上水族館』へ送迎しましょう。あちらにバスが用意してありますので、遅れないよう私についてきてくださいね。」
『海上水族館』見学キャンプの案内役だと語る男性は、底抜けに優しげな口調で僕らをバスへ誘導する。
「海上、水族館.......」
「なんだよミノミズ、ほんとうに知らなかったんだな。お前それで参加するつもりだったのか? なははは。面白いな〜お前。」
海上水族館という響きには不本意ながらワクワクしたものの、何も知らず行き当たりばったりな僕のキャンプツアーは、このまま平穏に終わるビジョンを見せてくれない。




