かくれんぼ少女
「かくれんぼ少女」
この公園に来ると、私はやはりその当時の出来事を鮮明に覚えている。
出来事と言うにはやや控えめな表現の様にも思える様な、異様で奇怪なその事件は、私がまだ小学生5年生と呼ばれた頃の話である。
私は当時「いじめられっ子」という階層に所属し、おおよそ人生の余興を行う階層上位の存在達に弄ばれる、都合の良い存在として、存在証明を受けていた。
その時の私は友人の作り方から表情の作り方一つに至るまで、何もかもが不器用で、ややもすると揶揄いがいのある目的物、畢竟集団における抑圧からの解放の吐口。そんな具合の存在だったのだろう。
しかし、クラスという集団の中に居ればその存在は誰かの許可なしでは存在し得ず、その存在をどうあっても認められなければ、教室の中で生きる事は不可能であった。
不器用な私は、私なりにこれでも精一杯にやっていた。友というのは果たしてどういったものだろうかと疑問に思えば、私はきちんと調べる性のものであったから、試しに国語辞典を引いてみたりもした。そこには、「親しく付き合っている相手。常に親しく交わる仲間。」とあった。では親しくとは?仲間とは?次から次へと増える疑問を図書室の国語辞典で、ひっそりと一人黙々と調べては、段々と友に関する言葉や慣用句、熟語、その他難解な言葉ばかりを覚えていく。そうして、その友とやらの定義をこぞって論う事だけは可能となっていった。
そんな私なのだから、否が応でも、悪い方向で目に付くのである。側から見れば、どう見ても口幅ったい奴に相違なかった。口や頭ばかりは達者になっても、ついぞ人の心持ちなど理解は出来ず、詭弁を弄して人を不快にさせていたのだろうと今では気づいているが、当時の私はそれが正しいと思っていたのである。しかしこの世は実に単純に出来ているもので、「容赦のない力」という武器は圧倒的であった。よって言葉で敵わないのなら暴力で押さえつけられれば人などと言う存在は存外簡単に屈服させられるのである。悲しくもあり情けなくもあるのだが、私もそれに名を連ねる、単純に弱きものであった。
私は毎回のその様な理不尽な取扱に、峻拒する程の気力や迫力も、もちろん腕っ節もいつもなら持ち合わせていない。いつもならそうなのだけれども、何故かその時に限って言えば、階層の上にいる上位の者の眼前にありながら、その行為を拒否したくなったのである。
よく考えればどうなるかなど分かりきった事だろうに、私のその身の程を知らずの、向こう見ずな行動は無論暴力で捩じ伏せられるかに思われた。しかしその階層の上に立つ上位の者は、ニタリと笑うと、憐憫の情か、はたまた何かの考えがあってか、その行為をやめさせた。終いには転げた私に手を貸してくると、何と公園に来て親しく付き合っている相手と共に行うと言われている、「遊び」とやらをしようと持ち掛けられた。
それはもちろん望外の結果と言えよう。何せ友とは何かを問うてきた私が漸くその友を知れる機会が訪れたのであれば、それはどれほどの喜びであっただろう。
今にしてみれば可笑しな話ではあるけれど、当の本人である私は内心相当に舞い上がっていた。やっとの思いが、積年の思いが、漸く通じたのかと思うと、胸には収まり切らないほどの思いが込み上げて来ていたし、この暗闇から遂に抜け出せると喜んだものである。
しかしこの後の出来事によって、喜びという感情は脆くも消え、代わりに、悲しみや怒り、屈辱、後悔。そして生来この一度きりと言っても余りある程の恐怖を、私の脳裏に刻み込んだ。故に冒頭に鮮明に。と書いたのは間違いない。主としてその鮮明に脳裏に染み付いて香る記憶は、奇しくも公園での「遊び」が発端となった。
放課後、友と呼べるであろうもの達と「遊び」をする事となった私は、宿題などの学事はそっちのけにすぐさまに公園へと向かった。
向かう途中に、何故だかボンヤリと点いては消える街灯に薄気味悪さを感じ、はたとそちらを一瞥した。するとその下には同い年くらいの少女が立っていた。何をするわけでもないその存在は何らの存在証明を受けていない、透明な存在であったのであろう。街行く人に気付かれる事も、友に遊びに誘われる事もない。
無論不憫に思わない事もない。私は「いじめられっ子」としての存在証明を受けていたけれど、透明人間としての扱いは、未だかつて経験しないところだったからだ。
違う種類の痛みを知るものとして、少しの気がそちらに向いた時、後ろから階層の上位に立つそのものが肩を組んできた。
突然肩を組まれた事に多少驚きはしたが、これが友というものなのかと、ほんの少し嬉しくもあった。しかし本当に残念な事なのだけれど、そのニタリと笑うその顔が陥穽を仕組んだものの顔付きであった事をこの機に知る事となった。
それは何も知らない無垢で、ある意味無知な私であったから成功した事ではあるけれど、それは本来なら成功しない方がよかったのやもしれないと、私は後悔もしている。
公園までの道すがらをそのものと一緒にした、私は少し大きな心持ちにもなり、満足した顔を晒していたと思う。
そんな私は着いた公園で、水飲場の蛇口から水を一口ほど含んだ。公園の入口付近にある水飲み場から見るその公園の姿は、そんなに大きな公園ではないけれど、小学生が遊ぶには十分な広さと遊具を兼ね備えていたし、ひと休みするベンチを陰で覆うパーゴラもある。そんな様なごく一般的な公園だった。
時刻もまだ日没とはまだ二時間程の猶予があると、公園の時計で認識していたけれど、私にはその時の公園はやけに暗く、陰の多い日であったように感じた。実際にその日は太陽が日出る様な日ではなかったし、雲の影響で暗く、周囲が陰に包まれている様に感じるのは自明の理であるのだが、そんな気象や天文学と言った科学を超越した何かが私の胸の中をざわめかせた。
直に上位の存在が皆を集めて高らかに「遊び」の内容を宣言した。「かくれんぼ」だ。
普段はお呼びのかからない、「私」なんてものをわざわざ巻き込んで開催する「遊び」が小学生なら一度や二度ならずとも、随分とやっていて既に食傷気味の「遊び」とはずいぶんと可愛らしい選択の様にも思えるのだけれど、「かくれんぼ」を選択したのには訳があった。
問答無用で鬼に指名された辺りから私は気づくべきだったのだろうけど、律儀に数を数えては、散り散りになって遊具や木々に、見つかりまいと、隠れた筈の、友と呼べる存在を探し回っていた。
そうして遂に一人も見つけられる事はなく、夕闇に茫然と立ち尽くしていた時に、ひらりと落ちた付箋に記された乱雑で、品のない言葉で気づくのだから、どうにも救いようのない。
「バーカ」
私は国語辞典で引かずともその言葉の意味は知っていたし、何より今更何を気づこうとも遅いのだ。
誰もいなくなった公園のベンチに一人ポツンと座ると、時刻は既に日没などとうに過ぎていた。
この時間になれば、およそ殆どのものは帰路に就くのだけれど、どうにも意固地な私はまだベンチに残っていたのだ。
誰もいなくなった公園は街灯で照らされてはいるものの、圧倒的に少ない光源は公園の暗がりを照らしてはいなかった。
俯き加減であった私なのだけれど、ふと、目の前を通り過ぎていく存在を感じた。その存在は公園の向こうへとフワリと消えていった。
向こうと言うのは、公園の近くにある貯水用のタンクを囲むフェンスの向こうの事で、そこへは高いフェンスで囲われて、子供も大人も容易には出入り出来ぬようになっていた。
どうしたってこの状況下で私を待っている友などいないのに、最後に残ったその場所を私は調べずにはいられなかった。
その行動の理由としては、私の信じるものが救われるかの瀬戸際であったのもあるし、半ばやけでもあった。兎に角その向こうを知る事で私はその場にいる事実を掻き消したいほどの思いだった。
不思議と消えていった、その存在を追いかけたいのだけれど、どうにもその囲いの側面には穴らしいものはなく、かと言って小学生では乗り越えるには無理があった。
私は仕方なく水飲み場付近の方へと回ると、これまた不思議と言うか、奇妙と言うか、貯水タンクをぐるりと囲むフェンスの扉が何故か開いていたのだ。
平生ならあり得ない事だし、この時間帯に点検作業など行うはずもない。ならばやはり誰か忍び込んだに違いないと踏んだ私は、勇気を持ってその場所へと入っていった。
入って細見すると、コンクリートの地面には落ち葉が散乱しておよそ管理者が立ち寄った形跡はない。勿論貯水タンクの周辺や外壁を調べても、何ら見つかるものはない。残るはタンクの中だと、外壁についた梯子に手をかけそうになったその時、
「みーつけた。」
後ろから声がした。
私は驚き振り向くと、行きに見かけた少女であった。
その少女の姿は赤いワンピースを纏っていた。しかしその赤は何かを「ぐちゃり」と握り潰した後に飛ぶ血潮が、その布地全体に、ものの見事に広がった様な、そんな鮮血の赤であったのもあり、私は動揺から体から「わなわな」と震えが起きるのが分かったし、そんな自分を再認識すると余計に怖くなり、思わず唾を「ゴクリ」と飲んだ。
そもそも、鬼であった私が見つけられるとは、「かくれんぼ」のルールでは通用しない事態であるし、そんな道理はない。それでもその存在は確かに私を指差して言ったのだ。
「こんな所に隠れたら、もう見つからなくなっちゃうよ?」
確かに少女だと思われるが、私はその時に見た光景が忘れ得ない。
長い黒髪の間から垣間見得たその顔が、真っ黒で存在しなかったのだ。
まるで塗り潰された絵の様に顔はなく、その表情などおよそ読み取りようもない。しかしその少女は微かに笑ったように感じた。
それは一瞬の事であったにも関わらず、私は鮮明に覚えている。雨上がりの土の匂いが漂うあの場所に、確かにこの世の存在証明を受けていない。この世の概念の外にある存在を目の前にし、私は恐れ慄き、腰から砕けた。
そして弾みにタンクに頭部をぶつけたこともあり、私は間もなく気を失い、気づいた時には先程までいたベンチに横になっていた。思わず飛び起きたが、無論恐怖から、その事象の原因など探る勇気もなく。私は急いで家路に就いた。
しかし翌日の事である。昨日確かに私と肩を組んで、「バーカ」と書いた付箋を背中に貼り付けた上位の存在が、行方不明になっている事を知った。
何処にでもいる普通の小学生を探す大人達は方々探し回った。それこそ、河川から田畑の用水路まで挙げうる限りの場所を探し尽くした。だが見つからなかった。
私はやはり一種の恐怖を感じたし、しかしそれと同時にどこか胸の空く思いを感じていた。それでも私は、なんて不謹慎な胸三寸を持ち得てしまったのだろうと、自己嫌悪に陥ると同時に、結果として後悔したのだ。
それは、いつまで経っても行方の知れない同級生の存在に、私はやはり何か引っかかっていたし、この出来事が私が同級生を許せずにいた事が原因ではないかとすら思っていたからだ。
結局、臆病な私は意を決するに一ヶ月も経過してしまったのだけれど、漸く私はあの時の公園に赴いた。
そしてやはりとも言えるが、貯水タンクを囲うフェンスに穴はなかったし、扉も鍵がかかって固く閉じられていた。念の為に事件当時の時刻まで待ってまでして調べたけれども、何も手がかりは掴めず、結局徒労に終わった。
事件の真相究明を諦めた私はとぼとぼと、元来た道を引き返すと、あの街灯の下にあの少女の姿を見た。すると急にあの時の恐怖を思い出して恐ろしくなり、全身の毛が逆立つのがよく分かった。何よりあの時の匂いだ。
雨上がりの土の匂い。
その匂いが私の記憶にこびり付いて離れないのだ。
そして少女はこちらを向いた、今度は顔らしきものがあった。
「かくれんぼおーしまい。」
人間の様な顔の彼女はそうして暗闇に消えていった。私はその街灯の下まで走って行ったのだけれど、やはりその下も、その先にもこの世の人間は誰も存在していなかった。
そして漸く私が彼女が発したその言葉の意味を理解したのは翌日の事であった。
貯水タンクの点検に訪れた作業員がタンク内部の異変に気づいてタンクを開けると、中から変色し、腐敗した小学生位の遺体が発見されたのだ。後に歯形で、行方不明になっていた同級生であった事が分かり、全てに合点がいった。
以来毎年私は彼の命日と思われるその日に花をたむけて、手を合わせる。今の私は、私を弄んで陥穽をした彼を恨んでなどいない。
だからどうか、「かくれんぼ少女」さん。
もう子供を連れては行かないでください。
そしていつの日か、悲しみにくれて、一人ベンチに座っている人がいるなら、今度は「かくれんぼ」じゃなくて、
みんなが一緒になって笑顔になれる遊びを、夢中になってやりましょう。
いつか見たかった筈の光景を、
今、目の前にしている、大きくなった私からのお願いです。
そうして心の中で願った私。すると今度は後ろから呟く。
「今度は大縄だね。」
振り向くとそこには何も居なかった。
この世のものは、居なかった。
これをハッピーエンドととるか否かはあなた次第。