なろう(ほぼ)読み専の独白
なろうにおいて小説はだいたい六つに分けられる。
一つは短編や完結した終わりのある小説。
一つは毎日投稿される小説。
一つは二日から一週間ほどで定期更新される小説。
一つは一ヶ月から半年ほどで更新される小説。
一つはエタりかけだけど一年に一回くらいは更新される小説。
一つはエタった小説。
この六つだと私は思う。
なろうは地獄である。
六年前から時が止まっているめちゃくちゃ面白い未完結の小説があれば、数ヶ月に一回しか更新がないけど面白い小説もある。
なろうは地獄である。
毎日投稿されている小説は大抵エタる。
更新されていても、徐々に投稿間隔が空き数ヶ月に一回しか更新されなくなることもしばしばだ。
私はブックマークを整理しているとふと思うのだ。
この小説の中の登場人物はこの後どう動いたのだろうか、と。
彼らが動くことはもうないのだろう。
だけど、いつか彼らが動けるようになった時に備えてブックマークは残しておこう、と。
更新通知が来るように設定しておこう、と。
そうして五年ほどが過ぎた。
なろうは地獄である。
面白い小説とはなんだろうか。
それはリアリティのある小説ではない。
よくリアリティがどうとかよく言われているけど、そんなの面白ければどうでもいいのだ。
魔法を受け入れている時点でリアリティなど気にするだけ無駄だ。
…と思う。
面白いってなんなのだろうか。
数ヶ月に一回しか更新がないのにブックマークを外せないのは面白いからだ。
更新が来て「やった、やっと来た。」と思えるのはそれまでがとても面白かったからだ。
ふと思い出して「あの作品は完結するのだろうか」と思えるのも面白いからだ。
なろうは地獄だが面白い。
世の中には凄い人がたくさんいる。
二日から三日ほどのスパンでの投稿をずっと続ける人や週間投稿を何年も続けている人がいる。
しかも面白いと来た。
正直こういう人たちを褒める言葉は自分と語彙には無い。
凄すぎやしないか、と定期投稿を守っている作品の十倍以上エタった作品を見てきた人間として思う。
完結しない作品は山ほどある。
商業ですら終わらないことがほとんどだ。
だからこそ、追ってきた小説が完結したのを見た時は虚無と達成感があるのだ。
「ああ、終わってしまった。だけど最後まで物語を見れた。」という感情はその時だけ味わえるものだ。
面白い小説を見つけて作者のマイページにとび、完結作品がずらりと並んでいるのを見た時、思わず感動してしまう。
終わりがあるというのは悲しい気がするが、実は安心するのだ。
面白い小説を見つけて作者のマイページにとび、未完結の作品がずらりと並んでいるのを見た時の悲しみはなんとも言えない。
きっと、その小説は私のブックマークの中で更新を待つことになるのだろう。
そう思えてしまうからだ。
なろうは地獄である。