74.行きたいところは
群衆男子視点
「暇だなあ……」
昨日ファニハピから戻ってから軽く熱が出たので、今日一日は部屋でゆっくりするように言われているがとにかく暇だ。
「何かしてないと落ち着かないんだよなあ」
かといって、人の会社で手伝えることもないし、なんだか今日は普段に増してバタバタしている感じだ。
熱も下がったし、体調も良くなったし、そろそろ戻ることを考えないといけない気がする。
……色々放り出してきたけど、月草は大丈夫だろうか?
また仕事抱え込みすぎてないか、前みたいに無茶してないか心配だ。
ラインでは仕事のことは気にしなくていいと言ってきてるけど、どんな表情で言ってるのかわからないからどうにも安心できない。
電話は……声は聞きたいけど不安でもある。
前回みたいに声が出なくなったら月草を心配させてしまうだろう。
情けないけど、まだ自信が持てない。
「なんだかなあ……」
自分の思い切りの悪さにため息が出てくる。
背中押してもらって、逃げ場所まで用意してもらって何やってんだか。
……今のおれはあいつの役に立てるんだろうか。
今回、色々わかってしまった。自分の弱さや馬鹿さや情けなさ。
月草はおれのこと好きだって言ってくれたけど、それはいいところしか見せてこなかったからだ。
こんな情けないおれが月草と一緒にいられるんだろうか。
「愛想つかされたりして」
軽く言ったつもりで胃の底が冷えた。
「……怖いな」
月草にはいくらでも選択肢がある。
わざわざ群衆を選ばなくたって、青柳家で会っただけでも有能な色付きはたくさんいた。
そんなの全部押しのけておれを選ばせて、おれは月草に何をやれるんだろうか。
そんなことをぐるぐると考えていたら、一日が終わってしまった。
夕飯も終わって、やることもなくて。寝るにはまだ早いしなあと思っているとコンコンと部屋の戸がノックされた。
「どうぞ」
「入るよ」
戸が開いて、今まで仕事をしていたのかスーツ姿の緑川先輩が入ってきた。
「体調はどうだい?」
「問題ないっす」
答えたら、しばらく観察された後で、
「そうみたいだね」
ほっとしたように笑われた。
迷惑かけっぱなしで今更だけど、どうも緑川先輩には色々見透かされてる気がする。
「なんかバタバタしてたみたいっすけど」
「伝えるのが遅くなってごめん。
明日青柳の先代が来ることになってね。その準備で走り回ってたんだよ」
「なんで先代が来るんすか」
「青柳の寿命の対策についての話し合い、だね。
どうしてうちに来るのかは正直僕にもわからないよ」
緑川先輩は困ったようにまゆを下げて笑う。
「明日は多分、月草も来ると思う。
顔を合わせづらいなら、体調が悪いからって言い通すけど?」
……月草が来る。
ずっと隠し通せるとは思ってなかったけど、群衆の寿命について知られたんだな。
「いや……そろそろ戻ろうと思ってたところなんで、出ます」
「気持ちは落ち着いた?」
「……そっすね。いまなら月草とも……話せると思います」
月草は寿命を知ったときにどんな反応をしたのか。
不安はあるが、いつまでもぐだぐだ悩んでても仕方ない。
先がどうなるかなんてわからないけど、せめて仕事だけはしっかりやろう。それが雇ってくれた相手に対する最低限の礼儀だ。
「いつまでも逃げてても仕方ないんで」
組み合わせた指をぎゅっとにぎって、自信満々に見えるように笑う。
虎目には似合わないなんて言われたけど、これはおれが気合い入れるのに必要な顔なんだ。
「青柳家は副業は禁止かい?」
不意に緑川先輩が聞いてきて、目を瞬かせる。
「……いや……そんなん聞いたこともないっすけど」
そもそも副業とか考えたこともない。
「まあ、もし駄目でもねじ込むからいいけど。
今うちの社では特化した技術のある群衆を色付きに派遣する事業を始めようと思っているんだけどね、そのモニターをやってもらえないかい?」
「モニター?」
予想外の単語にオウム返ししかできない。
「そうだよ。信頼できる相手に頼みたかったところなんだ。
群衆たちが向き不向きも考慮されずに仕事を割り振られる今の状況は不合理だと思うんだよ。
レポートは出してもらうけど、うちの社に属する群衆は誰でも自由に使ってくれていい。
基本的に通常業務が優先ではあるし、うちに不利益にならない範囲内でということにはなるけれどね。
きみなら僕には考えつかないような運用をするでしょう?
きみがどんなふうに彼らを使うかは、これから彼らがどんなふうに活用できるかという指針にもなる」
「なんでそんなんおれに……」
条件付きとはいえ他の会社の人間を好きに使えるなんて、しかもおれがどう使うかがこれからの指針になるなんて聞くだけで責任重大だ。
「僕がきみを高く評価しているからだよ。
それだけじゃ理由にならないかい?」
「なるわけないっすよ」
そんなふわっとした理由でこの人は動かないはずだ。
「昨日のレポートは読ませてもらったよ。
彼らには今までにも何度か同じようなことはさせたんだけどね。
きみが入ったときの方が明らかに全員の意見が社として必要な要点を押さえたものになっている。しかも画一化させるんじゃなくてそれぞれの感性は残したままでね。
これは群衆色付き関係なく他の人間に簡単にできることじゃない。
きみが自分の力で磨き上げてきた力だよ。誇っていい」
「……ありがとう、ございます」
「うん」
評価を受け取ると、よくできましたというようにくしゃくしゃと頭をなでられた。
「まあ、ここまでが本音であり建前。
ずっと色付きに囲まれて気が抜けないんじゃ疲れるでしょう。
時々息抜きしにおいで。ただの群衆として何も考えずに笑って遊ぶ時間も必要だよ。
……仕事じゃないとなかなか集まれないでしょ?
それに、青柳家でやっていくことを考えるなら、自分で動かせる人間はいくらいてもいいはずだよ」
……それ、おれにとってのメリットしかなくないか?
「緑川先輩……お人好しすぎじゃないっすか」
「そうでもないよ。僕にとってもメリットはあるしね。
正直、先代と初めて会うことに震えがくるくらい緊張しているんだよ。
交渉事があれば、その場では対等だって自分に言い聞かせられるからね」
……あれ?それっておかしくないか?
「初対面なんすか?じいさんのことよく知ってる感じだったのに」
「僕みたいな駆け出しが先代に会えるわけないでしょう。護さんと勝さんから話を聞いただけだよ。
それよりじいさんって何だい。いくらきみでも先代の前で言ったら駄目だよ」
真面目に注意された。
……駄目だな。どうにも緑川先輩の前では気が緩む。
仕事の時は意識して気を引き締めないとマズそうだ。
「今のは口が滑っただけで、仕事の場では言わないっすよ」
「『仕事の場では』って……まさかご本人に言ったりしてないだろうね?」
「個人的な場では素のままで話せって言われてるんで……」
「本当にきみは……それで『どこにでもいる』なんて、自分に対する評価が低すぎるよ」
「そうっすかね……?」
「つくづく月草に持っていかれたのは惜しいね。
もし折り合いがつかなかったら僕の所においで。きみなら喜んで雇い入れるよ」
「ありがとうございます。
でもすんません。行きたいところは決まってるんで」
いつか言われたのと同じ言葉に破顔する。
「そうかい?残念だね」
緑川先輩はさらりと笑った。
おれがどう答えるかなんてわかってたんだろう。
「明日先代から許可をもらったら、改めて契約については書面に起こすよ」
「色々お世話になりました」
立ち上がって頭を下げる。
「今後ともよろしくね」
「こちらこそ」
笑いあって握手する。
明日。
明日だ。
……いい加減、腹括らないとな。




