72.ファニーファニーハッピーランド
虎目・群衆男子視点
ファニーファニーハッピーランド。略してファニハピ。
昔からある遊園地だ。
社長からもらったパスを首からつるして、あれこれしゃべりながらうろつく。
「やっぱ、トイレは群衆用と色付き用が分かれてる方がいいよな」
「食べ歩きできる食いもんが少ないって!」
「えーでもあんまり多くてもゴミになるんじゃないー?」
「ゴミ箱増やしゃいいじゃん」
「あとさー地味にノドかわかねえ?」
「だな。休憩するかー」
自販機とベンチが並ぶ休憩スペースに入って炭酸入りのジュースを買う。
どうでもいいけど、同じものなのにこういうところで買うと高いのってなんでなんだろうな。
「ほらよ。ぼけっとしてんな?」
おれが貸した服を着て、チュロス片手に観覧車を見上げているあいつに声をかける。
「……ああ、悪いな。虎目」
自販機から出てきたばかりのペットボトルを差し出すと、あいつはこっちを振り向いて笑った。
こいつがさっきから無意識にいじっているピアスを見る。
金色の鳥かごの中に入った月草さんの色の石が光を反射してきらきらと光る。
社長たちからはさんざんな言われようだったが、月草さんがこのピアスをこいつに贈った気持ちはわからなくもない。
こいつを見ていて不安になるのは、月草さんだけじゃない。
*
こいつとは入学した次の日に学食で隣の席になって以来のダチだ。
「あんた何組?」
「おれは四組。そっちは?」
「一組。あーあ確実ハズレ引いたなあ」
「一組ってなんか危ない色付きがいるんだったっけ」
「いるいる。色付き群衆関係なく殺しまくるらしいぜ」
「それはヤバいな」
「ヤバいだろ」
おれはカレーを、あいつはカツ丼ををむしゃむしゃ食べつつ会話する。
「ま、短い付き合いになるかもしんないけど」
「そんときはそんときっしょ」
それからなんとなくウマが合って、一緒に飯食ったり休みの日に町まで出かけたりよく遊ぶようになった。
一組のヤバい色付きは意外と危ない人間ではなかったらしく、あいつは殺されることもなく一年が過ぎて。
二年になっていきなり状況が変わった。
青柳が群衆を大量に殺すようになって、そして顔色の悪いこいつが『クラス単位じゃらちがあかない。群衆全体で対応しねえと!』……と、おれのクラスに駆け込んできたときから、全部が変わってしまった。
**
「昨日はひっどい顔だったな」
炭酸を飲み終わって、パステルピンクの壁に寄りかかって涼んでいたら隣に立った虎目に声をかけられた。
他のやつらは少し離れたところであれこれしゃべっているみたいだ。
「みっともないとこ見せたな」
苦笑して答えたら、
「調子はマシになったのかよ?」
心配そうな顔で聞かれる。
「まあまあだな。薬でかなり楽になったしな」
「……最初の頃みたいな顔してたな」
懐かしむような苦いような表情で虎目が言って、ああ……あの頃のことかとすぐに気が付いた。
「青柳から身を守ろうって言いだした最初の頃はさ、指示するたびにひっどい顔色してたよな」
「ああ……よく覚えてるな」
苦笑する。
……一年ちょっと前。
群衆を手当たり次第に殺しだした青柳に対応しようとした最初の頃。
今みたいにできるだけ何かが起こらないように先に対応するやり方を見つけるまでは、うまく連携がとれなかったり、タイミングが悪かったりで指示した結果で死なせることも多かった。
「お前は人が死ぬたびにトイレで吐いてたな」
「そう言うお前は毎度毎度トイレのドアの前でおろおろしてたな」
昔のことと言うにはまだ近い、苦い記憶だ。
*
「あの頃は雰囲気も悪かったしな」
色付きの気まぐれで殺されるなら、どんなに理不尽でもそういうものだと納得できる。
だけど、動いて上手くいかなかった結果はそのままこいつに跳ね返る。
『こいつのせいで状況が悪化してるんじゃないか』
『こんなことしなくても、何もしない方がマシなんじゃないか』
そんなことも言われていた。
「今、踏ん張らないとまずいんだって、お前ずっと言ってたよな。
……あの時、お前にはどこまで見えてたんだ?」
ずっと聞きたかったことを聞いたら、苦笑が返ってきた。
「そんな大層なことじゃねえよ。ただ単にあのまま青柳が死体を使役獣に食わせ続けたら、記憶飛びどころじゃなく補充自体がなくなるんじゃないかって思っただけだよ。
実際、説明しようにも何の根拠もないカンでしかなかったしな」
「だけど……その『大層じゃない』ことが見えてたのは、お前だけだったんだよな」
誰も。おれも。
こいつが抱える危機感がなんなのかわからなかった。
なんであんなに必死になってるのか理解できなかった。
「……多分そこだよな。お前が考え方変えたの。
みんなと横並びで頑張ろうっていうのをやめて、上と下、指揮官と指揮される奴らにって。元々ダチは多かったけど、役に立ちそうな相手を次々引き入れて、中心になって。いつの間にかふてぶてしい笑い方が板について、弱音も吐かなくなって」
トイレにこもることもなくなって、真っ青な顔色で唇をかむ姿もいつの間にか見なくなっていた。
いつだって自信満々で求心力のある頼りがいのあるやつに。
……こいつは、おれたちをまとめるために自分を変えたんだ。
**
「おれらが失敗して何人も死んだ時も『あの時はあれがベストだった』って、胸張って笑って言ってたよな。
おれらが気に病まないようにあれが悪かったとか、誰のせいだとか一切言わずにさ。
……多分、お前がああしなきゃ総崩れになってた。
ああ、お前は立派だよ。だけどさ!」
虎目はくしゃりと顔をゆがめた。
「ダチなら謝るくらいさせろよ……!」
胸ぐらをつかまれて、しぼり出すように言われる。
……かみしめた奥歯がぎりっと音を立てた。
ああ覚えてる。
やっと何かがあってから動くんじゃ被害が大きすぎることに気付いて、先回りして回避するように動くようになった頃だ。
連絡がうまく伝わらずに、青柳に正面からはちあわせたやつらがごっそり死んだ。真っ赤に染まった廊下を生き残った全員が見た。
その中でおれは虎目に『よくやった!』って笑って言ったんだ。
あの場面で、実行役のトップの虎目に謝らせるわけには絶対にいかなかったから。
「そんなの……上の人間が謝ったら、一緒にやったやつらまで間違ったことになるだろ。
命なんか取り返しがつかないのに、間違ったなんて言えない。たとえ人が死んでもそれは次に繋がったって、言わないといけないんだよ!」
間近にある虎目の胸ぐらをつかみ返して叫んだ。
「なんっ……で!お前が責任全部ひっかぶらないといけないんだ!」
「それが。指示を出した人間の責任だからだ」
目をそらさずに答える。
そんなことも分からずに人の生き死にを決めたりしない。
今まで死んだどんなやつだって。それぞれの人生があって、考えて、生きて動いてた。
色付きにとっては誰だって同じかもしれない。だけど、おれらにとってはそうじゃない。顔も個性もある人間だ。
『全体のため』にあいつらを、死地にやる指示をしたのは間違いなくおれだ。
……そのおれが、『間違ってた』なんて言えるはずがない。
「おれが始めたことだ。責任持つのは当たり前だろ」
「……当たり前じゃねえよ。
お前にはずっと言いたかったことがあるんだよ。
お前の代わりなんかいるかバァカ!
そんなんいたらお前にこんなキツい思いさせてないんだよ!」
叫び声と一緒にがつん!と頭突きをくらわされた。
「痛えな!何すんだよ!」
「平気そうな顔で言いやがって!
何かあるたび自信満々な顔を貼り付けたままひとりでどこかに消えてしばらくしてからいつも通りの顔を取りつくろって出てくるの、気づいてないとでも思ってるのかよ。
お前がキツいのわかってて、それでも見ないふりしてたんだよ。
誰も、お前ほど先を見て動ける奴がいなかったから。
お前がいなくなったら全滅するのがわかってたから!
……だから全員お前に甘えてたんだ」
ぎりぎりと、虎目の口から歯をかみしめる音がする。
「おれらにできることなんて、いつも通りバカ笑いしてお前が頼むって言ってきたときにすぐに動けるようにしておくことくらいだ。
おれらじゃどんなに頭ひっくり返して考えたってお前と同じものは見えないんだ。
お前が少しでも人が死ぬかも知れない命令を出さずにすむように、立ち回ることくらいしかできなかったんだよ!」
「なんだよ!それのどこが悪いんだ」
充分だろう。頼むって一言言えば現場で判断して、自分たちで動いてくれる。それにどれだけ助けられたか。
「おれはバカだから難しいことはわかんねえ。
だけどお前が自分を投げてんのは知ってるぞ!」
「……なんだよそれ」
「お前、生き残る人間の勘定に自分を入れてないだろ」
似合わない真剣な顔で見据えられて、笑いそこねた。
「お前、自分で気付いてないのかもしれないけど、ずっと『誰かのため』『何かのため』って言ってるんだよ。
おれらのことは就職先とかまで色々考えるくせに、自分の評価にはいつだって『普通だろ』とか『誰でもできる』とかそんなんばっかりで。
先のこと考えてる風でもなくて。
こないだのだってそうだ。
なんだよあれ。
他のやつら全員には死ぬなってあれだけ言っておいて自分は三階から跳ぶって。
お前は自分の命を度外視しすぎなんだよ!」
「……なんだよ。それ。そんな話じゃねえよ。群衆が色付き相手に何かをやろうと思ったら、天秤にかけられるのは命くらいしかないだろ」
今まで『全体のため』に何人も殺してきた。
おれの命だって同じだ。効率が良ければ使うっていうだけのことだ。
「命を盾に取るようなことしなくたってお前なら他のやり方いくらでも考え付くだろ!
それなのにいつだって一番危険な場所に行きたがる。心配なんだよ!」
*
「お前はいつだって自分は代わりがきくって言う。
そんなことあるかバカ!おれらはお前だからついてったんだ。お前だから支えてやりたいと思ったんだ!
……この間、お前が三階から飛び降りた時。なんであんな人数が集まったんだと思う?」
参加したいって言うやつは本当はもっといた。多すぎるからって減らしてやっと五十人だ。
「お前の!『個人的な』頼みだったからだよ!」
自分のことどこかにやっちまって、誰かのことばっか言ってるお前が言ったわがままだったから。
『月草と一緒にいたいんだ』って、お前が言ったとき本当に嬉しかったんだ。
一緒の目線で話せる相手ができたんだなって。
もうお前はひとりじゃないんだなって。
「おれたちにはお前が何を考えてるのかわからなかったけど。今のこの状況はお前がずっと用意をしてきたからたどり着けたんじゃないのか?」
「……そんなに大したことはしてねえよ。
実際に色々なことを動かしたのは緑川先輩や、月草や、青柳だ。
おれじゃ、場を作るので精一杯だよ」
それでも、こいつが動いてなかったらきっと今の状況はない。
「昨日、学園であいつら見たよ」
「……ああ。幸せそうだったろ?」
満足そうに、嬉しそうに笑う。
「もう大丈夫だ。もうあの頃みたいな状況になることはないだろ」
「それで気が抜けて今までの無理の分、体調崩してんじゃないのかよ」
「……ああ……確かにそうかもなあ……」
言われて今初めて気づいたみたいな顔で苦笑する。
「……もういいだろ。
ピンク女もいなくなったらしいし、青柳だってあんなだ。
お前ももう無茶しなくていいんだ」
「……ああ。そうなのかもな」
**
虎目の言葉に妙に納得してしまった。
じいさんにあいつらのことを任せることができて、もう大丈夫だって気が抜けた部分は確かにある。
気が抜けたとたん、こんな状況になってるわけだけど。
「だけどなあ……月草が好きになってくれたのは格好よくて頼れるおれだからなあ」
格好よくも頼れもしない平凡な群衆なんて、相手にされないんじゃねえかなあ。
「アホか。月草さんはそんなに見る目のない人なのかよ。
格好つけてなくたってお前はいい奴だよ。
つーかなんだよあの作り物の自信満々の笑顔。ずっと言いたかったけど全然似合ってねえよ!」
笑って言って、虎目はおれの目をまっすぐに見た。
「もしも月草さんがお前の良さをわからない奴なら逃げてこい。
おれら全員でかくまうから。
お前が今まで頑張ってくれた分、全力で誰が来ても何があっても逃がしてやる」
「……は?」
まさか今までの全部、これを言いたいためだったのか?
「……バッカじゃねえの?」
本当にこいつは一直線の馬鹿だ。馬鹿だ。馬鹿すぎる。
それなのに、口が勝手に緩みそうになる。
こんなバカの言葉で、重苦しかった胸の奥が楽になったのなんか……なんだか腹が立つから言ってやらない。
「月草を出し抜くのは無茶苦茶難しいぞ」
「そこはほら、お前がうまいことやってくれんだろ?」
「なんでこの場面でおれ頼みなんだよ!」
「それはお前が一番頭がいいからだ!」
「胸張って言うことかよ。アホ!」
さんざんガキみたいな口げんかをした後で、さっきから口も挟まずこっちを見ている鷹目に目をやった。
「ったく。……まさか鷹目もこいつと同じレベルじゃないだろうな?」
「おれは虎目ほど熱くないから安心してー。虎目みたいに最初から知り合いってわけでもないしね。
ただ、助けてもらったのも確かだし、いい就職先も紹介してもらったからね。みんなと一緒に撹乱くらいはしてもいいよー?」
鷹目らしい言い方に笑ってしまった。
「……よかったぜ。全員虎目みたいな馬鹿だったらどうしようかと思ってたとこだ」
「んだと、コラ!」
ヘッドロックをかけてこようとする虎目から、笑いながら逃げる。
*
月草さん月草さん。
こいつはさ、ちょっと勘と頭がよかっただけなんだよ。
それなのにこんなキツい役割することになって、でも放り出せもしなくって。
その上、格好良さとか頼りがいとかこじらせて弱音も吐けなくなったバカだけど。
それでもおれらの大事なダチなんで。
こいつのこと、大事にしてやってよ。
ねえ。月草さん。




