69.交渉の始まり
緑川視点
次の日。
彼の様子を見に行く。
「昨日はよく眠れたかい?」
「あ、はい。大丈夫っす」
返事をしながら彼が伏せたスマホにちらっとラインの画面が見えた。
月草とやりとりをしていたらしい。
「体調はどうだい?」
「昨日は迷惑かけてすんません。もう大丈夫っす」
彼の『大丈夫』は信用できないけれど。
……たしかに昨日に比べれば顔色も体調もかなり良くなっているようだ。
「食事は口に合ったかい?」
「うまかったっす。朝もバイキングとか久々だったんで。あいつらめちゃめちゃ食べてたけど大丈夫っすか?」
「いつものことだから大丈夫だよ。みんな物欲が少ないんだから食事くらい思いっ切り食べてくれないと困るよ」
食欲もあるなら、とりあえず回復には向かっているようでほっとする。
「これをピアスに付けておいて。術を無効化する道具だよ」
群青さんからもらった小さな箱を渡す。
一瞬躊躇をする彼に重ねて言う。
「月草が飛んでくると、まだ困るでしょう?」
「……」
彼が小箱から金色のリボンを取り出す。
「付けるってどうすればいいんすかね」
「結び付ければいいと思うよ」
小さくうなずいた彼が光沢のあるリボンをピアスの留め具に結び付けると、それはシュルシュルと形を変えて、つるで編んだ鳥かごのような形になった。
月草の色の石は金色の鳥かごの中におとなしく収まっている。
「体調が悪くなさそうなら、今日は気分転換に行っておいで」
「気分転換っすか?」
「そうだよ。玄関ホールまで行こうか」
玄関ホールには虎目や鷹目の他、彼と特に仲のいい群衆たちがそろっていた。
「さて。みんな準備はいいかな?パスは持ったね?」
「はい!準備万端っす!」
いい笑顔で敬礼してくる虎目。
「はい。きみにもね」
後ろをついてきて来ていた彼にもパスを手渡す。
パスケースに入った厚紙に印刷されているのは、色とりどりの風船とデフォルメされたクマのキャラクターが楽しそうに手を振るデザインだ。
「……なんでファニハピの一日パス?」
不思議そうに首をかしげる彼に、笑いかけた。
「今日は一日ここに行ってもらうからね」
「社長、次は遊園地作るんですかー?」
軽く手をあげて発言する鷹目に苦笑する。
「作りはしないよ。維持費がかかりすぎるからね。今回は新規参入できるポイントがないかのチェックだよ。
戻ってきたらそれぞれレポートを提出してもらうからそのつもりでね」
「了解っす!」
「えーレポート付きとか」
「一日遊べるんだからいいじゃん」
「社長あざっす!」
「ちょっと、一斉にしゃべらないの!」
口々に話すのをとめて、彼を振り返る。
「みんなと一緒に遊んでおいで。体調が悪くなったらあのおじさんたちに言うんだよ」
「誰がオジサンだコラ!」
今日は私服でとお願いしたら、勝さんは半袖パーカーとスウェットパンツという地味かつどこかチンピラ風味な服で現れてくれた。
妙に似合っていて笑ってしまう。足元だけはがっちりしたスニーカータイプの安全靴なのは、一応仕事を忘れていない証なのだろう。
青藍さんは青藍さんで羽織っているジャケットが妙に硬そうなのは内側に何が入っているのやら。
「十も年上なら充分おじさんでしょう」
「なら兄貴はしょぼくれたオッサンだな?」
「護さんはいつでも格好のいい紳士ですよ」
「は!シンシが聞いてあきれらあ!」
「はいはい。みんな。今日は勝さんと青藍さんに車を出してもらうからね。各自何かあったら必ず青藍さんに連絡をすること。あと個人行動はしないようにね」
「はーい!」
各自楽しそうに返事をしてくる。
まだ戸惑っている様子の彼の背中を押して、彼らに混じらせる。
「それじゃ、引率よろしくお願いします」
「ったくメンドウくせえなあ!おらガキども!とっとと乗れよ」
防弾仕様の大きなバンに勝さんと青藍さんも合わせて八人がぞろぞろと乗り込んでいく。
「楽しんでおいで」
手を振って送り出して、仕事場に戻る。
執務室に着いて、柚葉に指示を出す。
「面倒な案件をいくつか月草に投げておいて」
月草は術が無効化されたことにはもう気づいているだろう。
彼に連絡をする暇もないくらいに負荷をかけて。
「さあ。交渉を始めるとしようかな」
*
前回は月草に電話をかけて、その時点で青柳との面談は断られた。
けれど、今回は彼が教えてくれた青柳の電話番号がある。
まあ、まずは青柳が知らない番号からの着信を取ってくれるかというところが一番の問題だけれど。
電話をかけて八コール目で、回線がつながった。
『はい。俺に直接連絡してくるなんて珍しいね』
「……誰かと間違っていないかい?僕は緑川だけど」
『知ってるよ。何か用?』
……驚いた。青柳は僕の番号を知っていたのか。
「きみと直接話がしたいんだけど、今日の昼休みと放課後ならどっちの方が都合がいいかい?
ちなみに僕が提供するのは、きみが大切にしている群衆の彼女に関する大切な話だよ」
『放課後ならいいよ。生徒会室まで来てくれる?』
「それじゃあ、今日の放課後に」
『うん。また後で』
あっさりとアポが取れて電話が切れる。
拍子抜けしたような気分で、椅子の背に全身をあずけた。
両手で顔を覆いながら、薄明るい闇の中にため息を吐きだす。
さあ、ここからが正念場だ。青柳相手に自分がどこまで通用するのか。
正直なところ……まったく予測がつかない。
青柳司は天才だ。
生徒会で一緒だった二年間で嫌というほど思い知らされた。
青柳は何事にも興味や執着は薄いが、仕事は正確でおそろしく速い。
たまに不思議そうな顔で『なんでこうしないの?』と出してくる改革案は今までになかった方向性からのアプローチで。言われてしまえば、『なぜ今まで誰も気づかなかったのか』というくらい効率がいい。
僕自身は自分がそれほど仕事ができない方ではないと思ってはいるけれど、青柳は次元が違う。
新しいことだろうが難しいことだろうが試行錯誤も必要なく、最初からわかっていたようにまっすぐに正解をつかむ。
……本音を言うと、僕は青柳本人とは関わりたくない。
だってどうしたって妬ましい。
僕の努力など何の意味のないのだと思わされるような天才性。
青柳家という盤石の権力。約束された跡継ぎの座。
そしてその強大な魔力。
そのどれか一つでも。ほんのひとかけらでも僕にあればと、どうしたって思ってしまうから。
……とはいえ、こんな機会はきっと二度とない。
少しでも、有益な情報を引き出せるように改めて準備をしよう。
どれほど力不足を思い知らされることになろうとも。
後悔だけは、しないように。
*
普段通りの仕事と、空き時間での青柳とのやり取りのシミュレーションと資料の作成であっという間に時間は過ぎて。
ついに放課後がやってきた。
緊張を無理やり笑みに変えて、生徒会室への道をたどる。
「ねえ、柚葉。僕の手足はちゃんと交互に出ているかい?」
一番苦手で、一番避けたい相手との交渉に今の時点から口の中が妙に乾いて仕方がない。
「はいはいちゃんと出てますよ、ポンコツ主」
「……本当に意気地がなくて嫌になるね」
「あきらめる気もないなら、怖気づくだけ無駄でしょうよ」
いつもと同じようにあきれたように言ってくる柚葉の声に、少しだけ肩の力が抜ける。
「はは。それはそうだね」
できるだけのことはやってきた。
あとは今まで必死にもがいてきた時間を、こんな僕を助けてくれた人たちを信じよう。
意識して大きく息を吐いて、生徒会室の扉をノックする。
さあ、意識を切り替えろ。
交渉の条件は対等だ。
僕の行動ですべてが変わる。




