54.茶を一服(本編35の裏側)
群衆男子視点
「おーい。おーい」
朝一で完全誓言の儀が行われる牡丹の間を見に行って、朝飯を食べた。
今日も月草と別行動で庭を歩いていると、どこからか声が聞こえてきた。
「そこの茶色いお前さんだよ」
声の出所を探していると、大きな池に向かって張り出した建物の欄干からこっちに向かって手招きする手が見えた。
……昨日も同じようなことがあったような気ぃするんだけど。
半分呆れながら近づくと、予想通りじいさんがいた。
「おいでおいで。菓子があるよ」
手招きされるまま、靴を脱いで縁側から上がり込む。
池に向かって開け放された部屋の中では、使用人たちがたくさんの座布団や茶器を片付けている最中だった。
「客人に暇をもて余させておくわけにもいかないからねぇ。ちょいとばかり茶をふるまってたってわけさ」
いつの間にか近くまで来ていたじいさんが笑いながら言う。
「あとの仕舞いはこっちでやっておくよ。ご苦労だったね」
こっちが口を開く暇もなく、じいさんは軽く手を振ってさっさと使用人たちを下がらせてしまう。
「まあそこにお座り。ちょいと一服しようじゃないか」
使用人たちが残していった一人分の茶器を手に持って、じいさんが言う。
……これは、待ち構えられてたと思ってよさそうだな。
内心で小さくため息をついて、おれはじいさんが示した場所に座った。
「昨日はずいぶんとあちこち確認に回っていたようだねえ」
じいさんがひしゃくですくった湯を茶碗に入れながら言ってくる。
「折角お膳立てしてくれてたってのに、台無しにして悪かったかね?」
「いや、おかげで挨拶と確認に集中できたんで助かりました」
*
……本当は昨日、月草には一緒に来客を出迎えるように言われていた。
だけど今の時点で月草と一緒に出迎えをしても、新しい群衆の従者ができたことが認識されるだけで、青柳たちにとっては大した効果はない。
だったら確実性には欠けるがうまくいけば効果の高い仕掛けを作っておこうと思って、一人であちこち確認して回ることにしたわけだ。
……その仕掛けの相手はじいさんだ。
今回の完全誓言の儀はあいつらの今後にとって重要なものだ。
もちろんおれたちも問題なく成功するようサポートするが、実は一番重要なのはじいさんの反応だ。
今現在、青柳家を仕切っているのはじいさんだ。
こんな風に言うと大げさに聞こえるかもしれないが、じいさんが白と言えば黒いカラスも白くなる。
それくらいの権力と影響力をじいさんは持っている。
完全誓言の儀の場でじいさんが二人に肯定的な態度を取ってくれれば、それだけで青柳家全体が二人にとって有利な方に向かう可能性が高くなる。
そのために完全誓言の儀の前に、あの二人に会わせておきたい。
見てるこっちが砂吐きそうなくらいでれっでれの青柳を見れば、じいさんは青柳のためにあいつを排斥させないように動いてくれるだろう。
じいさんはじいさんで、青柳とあいつのことが気になっているはずだ。
そうでなければ使用人棟に近いあんな場所でおれを待ち構えてたりはしない。
だけどじいさんが二人の様子を下手に見に行くと、その場で完全誓言のやり直しをおっ始められる危険性がある。もしそうならなくても、青柳が親戚衆を集められていることに気づく可能性は高い。
じいさんにとってもこの完全誓言の儀は失敗させたくないもののはずだ。
直前まで何食わぬ顔で過ごしておいて、逃げられないタイミングで青柳をひっつかまえて向かわせるのが一番成功率は高い。
じいさんにとって、二人の様子を事前に見に行くのはリスクが高い。
だけど気にはなる。
月草からはすでに色々と報告を受けているはずだ。
それ以外の情報を知りたいなら、おれに接触してくるだろう。
だからじいさんが接触しに来やすくするために、昨日は館中を確認してまわることにしたわけだ。
……まあ、予想外に早くじいさんが来たから、結果として挨拶と確認に集中できたわけだが。
*
「昨日は本のある場所を教えてもらって助かりました」
「いんや。こっちも楽しませてもらったからね」
しゃかしゃかと鮮やかな手つきで泡立てた抹茶をすっと差し出される。
目の前に置かれた小皿の、小さなクッキーみたいな菓子と見比べて途方に暮れる。
……これ、どうすんのが正しいんだ?
「気楽に楽しめばいいさ」
にやりと笑われるが、こっちは茶道なんてかじったこともねえんだからどうしていいかさっぱりわからない。
菓子が先か?茶が先か?なんか茶碗回すんだっけか。
そこまで考えて、ため息をつく。
明らかに茶道に精通してるじいさんの前で、知識もないのに格好つけようとしたって全部お見通しだろう。
わからないものはどうしようもないと思いきったら、肩の力が抜けた。
「いただきます」
とりあえず、目の前の菓子が乗った小皿を手に取る。
あいつと青柳のことを知りたいじいさんと、じいさんの協力を得るためにあいつらに会わせたいおれ。
立場的にはそれほど大きな差はないはずだ。
だが、じいさんの方に遊べる余裕があるのは、それだけ相手が上手だからだ。
……まだまだ場数が足りねぇなあ。
思いながら、菓子を噛む。
あじさいをかたどった菓子は、口の中でほろほろと崩れる。
二個、三個とつまんで食べて、茶碗に手を伸ばす。
落としたらヤバいから両手で持った。きれいな赤い模様はなんとなくさけて、何もない地肌のところに口を付ける。
そのまま一気に飲み干した。
先に甘い菓子を食べていたせいか、思ったよりは苦くない。
……こんなんでいいのか?
正解がわからない。
せめて基本だけでも作法の勉強しとかないとなぁ。
……まあ、こうして茶に誘われたっていうことは昨日のやり取りは一応、及第点だったんだろう。
じいさんには立場上、色々な人間が寄ってくる。
ある程度話をするに値する相手だと認識されなければ、適当にあしらわれて終わりだ。
話をする場を与えられたっていうことは、ある程度の興味は引けたと考えていいだろう。
さて。後は話の流れ次第だな。うまくあいつらの様子を見に行くように仕向けられればいいんだけどな。
*
「ごちそうさまでした」
じいさんに頭を下げたら、にやりと愉快そうに笑われた。
「それにしても昨日は腹の皮がよじれるかと思ったよ。バカップルってえのは本当かい?」
楽しそうなじいさんに、ため息まじりに返事をする。
「盗み聞きは趣味が悪いぜ、じいさん」
「盗み聞きなもんかい。あれだけ丁寧に説明してやって気づかないはずがあるかい?
聞かれてるのを承知の上で主に手をあげるたあ、いい度胸だ」
まあ確かにじいさんの使役獣を付けられてるのはわかってたけどな。
「あれがベストだったんで」
「言い訳も無しかい?
……いや本当に、つくづくあの時断られたのは勿体なかったねえ」
にやにや笑いながら器用にため息をつくじいさん。
「何言ってんだじいさん。思惑通りだろ」
「おや。どうしてそう思うんだい?」
わざとらしく驚いた顔されてもなあ……。
「どっちにしろ青柳につけるつもりだったんだろ。人手足りてないの青柳だけじゃねえか」
「……違いないねえ」
じいさんは愉快そうに笑う。
「それで、あのお嬢ちゃんはどういう子なんだい?」
待っていた質問が来た。
……じいさんを動かすには、理だけでも情だけでも足りない。
興味を引けなければじいさんは動かせない。
じいさんがあいつに興味を持つような言葉を用意しては来ていたが、ふと考えてしまった。
あいつがどんなやつかって……。
「……妙なやつだよ。頭は悪くないのに変なとこ抜けてて。あとどうも群衆っぽくないな」
記憶が飛んでるせいもあるんだろうけど、物事に対する反応とか考え方が普通のやつらとはなんかズレてるんだよな。
あれはどこから来るんだろうな……?
思考に沈みかけていると、ふとじいさんの声がした。
「何時に迎えに行くつもりだい?」
「今のところ二時半」
「二時におし。お嬢ちゃんとちいとばかし話をしてみたいからね」
……よし。とりあえず目標は達成だ。
じいさんを味方にできればあの二人の今後はかなり楽になる。
妙な行動を起こそうとしているやつらも考え直すだろう。
あえて場所を与えて敵対者の動きを見るという当初の目的は叶わなくなるかもしれない。
だが、相手が何か行動を起こす前に敵対心を削ぐことができるなら、そっちの方が成果としては上だ。
おれにできるのは場を作るところまでだ。
あとはお前ら次第だぞ。




