40.替えがきかない
月草・群衆男子視点
「とりあえずお前は寝ろ。今日やっとかないといけない仕事は全部青柳に回したから」
「どうしてそんなことを!投げ出していたらどうするんですか」
「もし投げ出してたら明日尻拭いして回ろうぜ」
その言葉に明日も彼といられるんだと実感してほっとする。
話しながら歩いているうちに、色付きの寮に着いてしまった。
離れがたいけれど、理由もなく群衆を寮に入れるわけにはいかない。
「ご苦労様です」
悩んでいる間に彼は入口の部屋にいる寮監にポケットから取り出した何かを見せると、寮の中にあっさり入っていく。
「えっ。何見せたんですか?」
「入寮許可証。おれは青柳の従者だからな。主の部屋に入れないと困るだろ。就職した群衆用の特例があるんだよ」
「そうだったんですね」
「ほんっとに群衆のこと知らねえんだな。……ま、たいていの色付きなんてそんなもんか」
あきれたように言われてふと気づく。
「……どうして、オレが逃げていた時にそれを使わなかったんですか?」
寮で待ち伏せされればさすがに逃げられなかっただろう。
「逃げ場までなくしたらお前がキツいだろ」
オレはただ逃げていたのに、そこまで考えていてくれたなんて。
「本当に……あなたにはかないませんね」
「でもま、早いところ捕まえてやらないとお前がキツそうだったからな。……ったく、何日寝てないんだよ」
ため息をつきながら目の横を軽くつままれる。
「寝てましたよ」
「嘘つけ。朝になったら床に転がってるようなのは寝てるうちに入んねえよ」
「どうしてそれを?」
「青柳に聞いた」
「……なんだかずいぶんとうちとけていませんか?」
「アホなこと言ってないで寝ろ」
ため息をつかれて、自室のベッドに押し込まれてしまった。
*
よほど疲れていたのか、すぐに寝息をたて始めた月草をしばらく見つめていた。
「知らないなら知らないままでいいよな。
……生きてる間は、ずっとそばにいるから」
月草の前髪をそっとなでて、離れないようにと絡められた指をはずす。
「場所取って悪いな」
二段ベッドの上の段に引っ込んでいてくれた月草と同室の色付きに話しかけると、カーテンが開いて心配そうな顔が出てきた。
「大丈夫なんですか?最近戻ってこなくて心配してたんですけど」
「ちょっと仕事が立て込んでたんだよ。もし起きたらなんか軽いもんでも食べさせてやって」
「わかりました」
……さてと。インカム返しに行かないとな。
緑川先輩たちはまだ学園内にいるかな。
*
インカムを返しに行ったら緑川先輩は学園内の応接室で仕事をしていた。
「今日はありがとうございました」
「こちらこそ、だね。いろいろと参考になったよ」
インカムを渡して笑いあった後で、緑川先輩は何気ない感じで言った。
「きみは決めたんだね」
「……そうっすね」
「きみは承諾しないと思っていたよ」
「まあ、そうっすね。色付きと群衆は別々の方がいいとは今だって思ってますよ。それでも腹は括ったんで。あいつがおれのことをいらないって言うまでは、生きてる限り大事にします」
「死なないように気を付けるんだよ。きみは群衆が替えのきく存在だからって、目的のためなら無茶なこともやるからね。心配だよ」
「……おれが死んだら忘れてくれりゃいいんすけどね」
「経験からするとそれは難しいね。
……忘れてほしいって、みんな言うんだけどね。やっぱりそんな簡単には忘れられないよ」
緑川先輩は苦笑を浮かべた。
「僕は……色付きの中では群衆とよく関わっている人間だと思う。その分、群衆たちの死を見ることも多い。
きみたちは死ぬことなんて当たり前だと言うけれど、見送る側からするとやっぱりつらいよ。
特に、親しくしていた群衆が死ぬときはね。
死ぬのを見送るのももちろんつらいけれど……一番きついのは死んだ人がもう一度出現する瞬間だね。
出現するときって、死んだ時と同じ姿で出てくるでしょう。
昨日死んだ人間が今日また現れて、いつもと同じ顔、同じ声、同じ姿で中身だけが違う。
僕は相手を覚えているのに、相手には何の記憶もない。
あれは……何度経験しても慣れられないね」
緑川先輩は片手で顔半分を隠して、深く深くため息をつく。
「顔、分からないんじゃないんですか?」
今の話し方だと群衆の見分けがついているように聞こえる。
指摘すれば緑川先輩は目を見開いて、苦い顔をした。
「……しまったな。聞かなかったことにしては……もらえないよね。
まあ、きみは知っておいた方がいいかもしれないね」
緑川先輩はため息をついて再び話し始めた。
「今は本当に、まったく見分けがつかないけれど……昔は群衆たちの顔が見えていたんだよ。
でも、何度も何度も群衆たちの死と出現を経験するうちに、精神が耐えられなくなったんだろうね。ある日突然、まったく見分けがつかなくなって、そのままだよ。
僕はきみたちみたいに色付きと群衆を別の生き物だって、どうしても割りきれないんだ。……きっとそれが一番の問題なんだろうね。
群衆たちを守ると言いながら見分けもつかず、その理由が自分を守るためだなんてね。……情けない話だよ」
ここだけの話にしてくれると嬉しいね、と緑川先輩は笑う。
「まあ、言いふらすようなことでもないんで。……お礼に今度、とっておきの情報を教えますよ」
「きみのとっておきね。どんな内容かは教えてもらえないのかな?」
「今聞いても大したことじゃないっすよ。今じゃなくて、この先。絶対に青柳に会わないといけない状態になった時に役に立つ情報ですよ。まあ、緑川先輩が必要とするかもわかんないですけどね」
緑川先輩がこのままいくなら、きっと必要はないだろう。
「それなら楽しみにしておくよ。
……きみはもう月草にとっては替えがきかない存在なんだからね。
月草が僕と同じようになるかはわからないけれど。きみがいなくなったらきっと泣くよ。
ちゃんと自覚するようにね」
最後に言われてうなずく。
途中で死なない努力は最大限しよう。月草を泣かしたくはないからな。




