26.怖い番犬
群衆男子・柚葉視点
「お前、おれの知らないところでもしっかり守ってくれてたんだな。ありがとな」
その日の放課後、偶然会った月草に礼を言った。
「……煙草の匂いがしますね。柚葉ですか。脅されでもしましたか?」
ほんの少し低くなった声に首を振って答える。
「いや、そんなんじゃねえよ。単なる世間話」
実際、身の安全を考えろと忠告されただけだ。
「何かあったら必ずオレに言ってくださいね」
心配性な月草に笑う。
「わかってるよ。お前も休めよ」
「休んでますよ」
「嘘つけ」
軽く言葉を交わして別れる。
さてと、また妙なことが起きてないか軽く見回りでも行ってくるか。
*
主の商談相手を学園の正門まで送り届けた帰り、校舎横を歩いていたらいきなり腕が伸びてきた。
抵抗する間もなく後ろ手に関節をきめられて、そのまま柚葉は校舎の壁に右頬と肩でキスをする羽目になった。
「……要求は何?」
相手の姿が見えないままに聞けば、
「今日はオレの大切な人に楽しいお話をしてくださったみたいですね」
耳元で月草の声がした。
ひたり、と首すじに冷たい金属の感触がする。
「オレはあの人を死なせないと約束したんですよ。あの人に関することはオレを通してくださいね?」
顔を見ようとするが、壁に押し付けられた体はぴくりとも動かせない。
「あーうん。悪かった。次から気を付ける。だから武器突きつけるのやめてくれる?」
「……武器だなんて人聞きが悪いですね。単なるスプーンですよ」
言葉とともに拘束がとけて、目の前で食堂のスプーンがひらりと揺れる。
「取引でじわじわ締めてもいいんですが、こっちの方がわかりやすいでしょう?……どうか二度となさらないでくださいね」
言葉遣いは丁寧だが、ひたひたと静かに威圧される。
……ほらな、少年。見事な狂いっぷりだろ?
冷や汗をたっぷりかきつつなんとか解放されて、主のところに逃げ帰る。
*
「月草に会ったかい?」
応接室のソファで紅茶を飲みながら主が言う。
目の前のテーブルには手付かずの紅茶のカップが置かれたままだ。
「……こっちにも来たんですね?」
「従者の手綱をしっかり握るよう釘をさしていったよ」
「……いやあ、月草も生まれからすれば緑だし、うまくいけば二人とも引っ張れないかと思ったんですけどね。
あれは無理ですね。首かっ切られるかと思いましたよ」
「彼は月草の逆鱗だね」
苦笑して紅茶を口に運ぶ主。
「まあ、今回は少しばかり不利な取引内容をのむことになったけれど、将来の重要人物とパイプができたと思えば安いね」
「そうですね。少年には名前も覚えてもらいましたし」
「今後も良好な関係を維持するようにね」
「……近づくなって月草に脅されてきたところなんですけど」
「彼のほうは柚葉との関係を維持しようとするはずだよ。
うちの内情をリークしてるでしょ?」
眼鏡のレンズごしにちらりと見上げてくるのに苦笑する。
「リークだなんて人聞きが悪い。単なる世間話ですよ。有望そうな若者は支援してナンボでしょ」
「まあいいけどね。月草ににらまれないようにほどほどにね」
「なんだかんだ青柳のところは武闘派だって思い出しましたよ。おっかないから気をつけます」
「そうして。紅茶、片付けておいてくれるかい」
「かしこまりました」
主の渡してくる飲み終わったカップを受け取り、手付かずのカップとソーサーを回収して給湯室に向かう。
さてさてどうすればあの怖い番犬の目をかいくぐって少年に近づけるかな。ほんと、従者業も楽じゃないね。




