第三話 理由
第三話 理由
「まずは、お礼を。傷を治していただき、誠にありがとうございました。これでまた働くことができます」
ダンはベットの上で深々と頭を下げた。
「うむ。傷は治したが、体力は消耗しておるでな。しばらくは無茶をするでないぞ」
ダンの肩に手を添えると、ホフレは彼にベッドに横になるように促した。
「なんじゃ。まだ何か言いたいことでもあるのかの。遠慮せずに言うてみても良いぞ。聞ける願いかは分からぬがのう」
「はい。……儂には隊長たちがこの地へ来た理由を問う資格はありません。ですがどうか、あの子達を巻き込まないでいただきたい、そう願っております。二人は両親を亡くしたばかりで、心に大きな傷を負いました。そしてまだその傷は癒えていないのです」
「いくらお主とは言え、わしらがこの地に来た理由はまだ言えぬ。しかし、なぜわしらの来訪をそう警戒するのじゃ」
「隊長たちが動くのは、戦いの合図であると、この身にしみて理解しているからです」
「ふぉっふぉ。お主も言うようになったのう。ふむ。では一つ約束しよう。わしらがこの家におる間は、おぬしを含めた三人を守ると」
「儂は良いのです。しかし、あの二人だけは、失うわけにはいかんのです」
ダンは深いシワの刻まれた眦を吊り上げ、強い決意がこもった瞳でホフレの目を見つめた。
「昔から思っておったが、おぬしは本当に馬鹿じゃのう。若い娘子が命を賭してまで守ろうとした命、おぬし自身が大事にしなくてどうするのじゃ。あの子の気持ちを踏みにじるんでないわい」
ダンの瞳をまっすぐに見返しながら、ホフレは呆れたようにため息を吐いた。
「それは……」
言葉に詰まるダンの肩を、マルコが大きな手でガッシリと掴んだ。
「ダン。てめェはよ、昔っから家族が欲しいって、んで、所帯持ったら大切にするんだって言ってただろうが!だったら、その大事な家族を悲しませるようなことを言うんじゃねえよ」
「マルコ先輩」
「その呼び方も懐かしいぜ」
「子を孕んだ奥方に泣きつかれ、愛する家族のために臆病者の誹りを受けてまで、軍を抜けたことを忘れてしまったのですか。老いれば、頭髪とともに記憶も薄れましょうが、忘れてはいけないこともあるはずですよ」
「はっはっは、仰る通りです。コラード様の毒のきいた説教も懐かしいですな」
久々に再開した老人たちは子供たちが呼びに来るまで、取り留めのない昔話に花を咲かせたのだった。
◆ ◆ ◆
まだ日も上らぬ早朝。
かすかに湿り気を帯びた冷たい風が吹き抜ける。
「うおっ、やっぱまだ寒ィぜ」
村の中を一人の老人が無造作に歩いていた。
村人達はまだ家にこもっているのか、辺りに人気はなく、しんとしている。
「戻ったら一杯ひっかけるとするか」
喉を焼く酒の熱さに焦がれるように老人は足を進めた。
「なんでこんな時間に外にいるのよ! あなた、私の話を聞いていなかったの? 夜には魔物が出ると言ったはずよ!」
村の最奥にある一等立派な家屋。
村長であるダンの家の前で老人を出迎えたのはエミリアだった。
眦を釣り上げ、栗色の瞳で老人を睨みながら両腕を組んでいる。
「おう。嬢ちゃん、朝からずいぶんとご機嫌じゃねぇか」
「はあ!? わたしのどこがご機嫌に見えるのよ!? わたし、怒っているんだからね!」
「元気がいいのは良いこった。んで、何をそんなに怒ってんだ。オジちゃんに教えてくんねぇか」
「だーかーらッ! 魔物が出るっていっているでしょう! 本当に、危ないのよ!? マルコおじいちゃんは腕に自信があるんだろうけど、歳なんだから無茶しないで。囲まれたらどうするの!」
「囲まれたらブチのめす! って、なんだ? お嬢ちゃん、俺の事を心配してくれてんのか」
マルコは大きく口を開けて笑うと、後頭部をさすりながらそう言った。
風来坊な気質もあり、妻と死に別れて以来、人から心配されることのなかったマルコ。
彼にとって、孫のような年齢の少女から向けられる本気の感情は、少し照れくさくて、嬉しいものだった。
「当然でしょ! うちの客なんだから、何かあったら寝覚めが悪いじゃない!」
エミリアはマルコに馬鹿にされていると感じたようである。
彼女は両手を腰にやると、踏ん反り返るように胸をそらし、マルコを睨みつけた。
「ははは、ダンの娘らしい言い分だな! まあ、安心しろ。ションベンしながらでもこの地の魔物を数体ブチのめすくれぇわけないからよ」
「い、言わなかったわたしも悪いのだけど、お手洗いならうちの敷地にあるから。次からはそっちを使ってちょうだい」
マルコの恥じらいのない、直接的な言葉に戸惑いつつも、エミリアは厠を指差した。
「ああ? 狭ぇ囲いの中じゃなくて、大自然の中でするってのが良いんじゃねぇか」
マルコは耳の穴をほじった後、指先についた土埃を呼気で吹き飛ばした。
「はあっ!? 何いってるの!? 信じられない! このっ、変態ジジイ!」
わざわざ外で用を足すというマルコの言い分に、エミリアは顔を真っ赤にして怒鳴った。
村人には外で用を足すものもいるが、こうも堂々と言い張る者は、そう多くない。
特に、村長が溺愛している孫娘の前では。
「まあ、女にゃあの開放感は分からんだろうなァ」
「最低! 心配したわたしがバカだった!」
すっとぼけた調子で、まともに取り合おうとしないマルコに言い捨てると、エミリアは家に入り、扉を強く閉めた。
「おっと。怒らせちまったか。でもまあ、心配して外で待たれるよりは良いわなァ。なんかあったらそれこそ胸糞悪ィぜ」
マルコはそれを見送った後、壁に背をもたれた。
そうしてズボンのポケットからクシャクシャの紙タバコを引っ張り出す。
「うげ。血と汗で湿気ってやがる」
汗はマルコのものだが、血は違う。
「俺にしちゃあ珍しく、返り血を避けたんだがなあ……。他の面子は吸わねぇし、しばらくはお預けだな」
湿気ったタバコを再びズボンに押し込むと、マルコは家の中へと入っていった。