第二話 再会
第二話 再会
「ええ、まあね。小さな村だから、そんな大した特典はないんだけど──ジョン! 私よ」
エミリアが古いつくりの木の扉を叩き、誰かの名前を呼んだ。
すると内鍵を開ける音とともに扉が振動し、ややあった後に開かれる。
「姉ちゃん! お帰り!! ずいぶん早かったみたいだけど、その人たちが?」
中から現れたのはエミリアよりも少し下の、10代前半くらいの少年であった。
姉であるエミリアと同じ薄茶色の髪と瞳、白い頬にそばかすが浮かんでいるところまでよく似ている。
「落ち着いて、ジョン。まずはおじいちゃんの所へ行くのよ」
エミリアは落ち着かない様子の弟をなだめながら、一行を二階にある祖父の寝室まで案内する。
「あのね。祖父の足はちょっと、いえ、大分酷いのだけれど……覚悟はいい?」
彼女は寝室の前で客人達を振り返ると、神妙な面持ちでそう尋ねた。
少女の真剣な瞳を受けて、老人達が頷く。
「お嬢さんの勇気に報いると誓おう」
魔物が跋扈する夜の森。
その森を命がけで走り抜けた少女の勇気に報いる。
ホフレは常と変わらぬ落ち着いた笑みで答えたのだった。
◆ ◆ ◆
エミリアの祖父の寝室には、テーブルと椅子が一つずつ備え付けてあった。
部屋の大部分を占めるのはしっかりとした作りのベッドである。
室内に満ちるのは湿った木の香りと、腐臭だった。
「足が壊死しておるのか」
「ええ。村の子供が土竜に噛まれそうになったのを庇って……ちゃんと手当てしたのに、全然良くならないの」
エミリアは高熱にうなされ、意識が朦朧としている祖父を見て、唇を噛み締めた。
「隣村のお医者様に依頼を出しているんだけど、なかなか来てくれないから、迎えに行こうと思って」
「それでこんな夜中にあの森を抜けようとしたんじゃな」
「ええ。もしかしたら明日まで持たないんじゃないかって、そう思うと怖かったの」
「土竜の唾液には毒が含まれておってな。噛まれた部分から腐敗し、やがて死に至る。そうなる前に噛まれた部分を切断するのが定石じゃが、出血死する場合もあるでな。医術の知識があるものの下で処置をせねばならん」
ベッドの上で脂汗をかき、浅い呼吸を繰り返す老人。
ホフレはその足元の毛布をめくって、状態を確認した。
「膝から下は、ほとんど血が通っておらんようじゃな」
老人の右足はスネの部分からつま先にかけて、黒紫色に変色しつつあった。
「そんなッ!? おじいちゃんの足を切っちゃうの……!?」
「通常ならば切断しなければならん。じゃがわしは魔術師じゃ。しかも治療の術は得意中の得意でな。ほれ」
ホフレの口から黒い煙が生き物のように宙を舞い、老人を囲むように魔術陣を編み上げる。
「──こんなもんかのう」
陣から黒煙が上がった後には、少し細くはあるが綺麗な右足が現れた。
「は? ええッ!? うっそー……そんな、凄い! あの足が一瞬で治るなんて!」
エミリアは驚きのあまり仰け反って、叫んだ。
口を大きく開け、叫びの表情で固まったままのエミリアの背後から、ジョンが顔を出す。
「まじゅつし? って、すごいんだね!」
瞳を輝かせてホフレを見るジョン。
歓喜に叫ぶ二人の姉弟へコラードが声をかける。
「あれを治せるのはこの方ぐらいですので、普通は足を切ることになります。今後は土竜に重々注意するよう、村の人々にも伝えてくださいね」
「おい、コラード。ガキを怯えさせるようなこと、言うんじゃねぇよ」
マルコは舌打ちとともに、コラードを睨みつけた。
「ですがマルコ。これ特別な状況だと教えておかないと、あとで辛い目に合うかもしれませんから」
人が五人も入ると、とても広いとは言えない部屋の中で、あれやこれやと騒ぐ一行。
「うう……」
すぐそばで口論が始まったせいで目が覚めたのだろう。
「……なにか……懐かしい夢を、見たような……」
うめき声をあげながら、ベッドの上の老人がゆっくりと体を起こす。
少し痩せてはいたが、服の上からでも見てわかるほど、骨太でがっしりとした体格をしている。
耳から顎にかけて蓄えられている、ごわごわとした口髭は、老人によく似合っていた。
「おじいちゃん!」
「エミリア? そちらの方々は一体──、そんな、まさか!」
駆け寄る孫娘を抱きしめ、辺りを見回した老人は驚愕の表情で硬直した。
「この人達はね、えっとー」
祖父に無断で家に人をあげたことを咎められたと思ったのか、エミリアは目を泳がせ、気まずい表情になった。
上手いこと説明をしようにも、エミリアは老人達のことをほとんど知らない。
彼女は観念して正直に話をすることにした。
「……森で、拾ったの」
「森で!?」
「うん」
「拾ったァッ!?」
「そう」
「一体どうしてそうなった!? お前はこの方々が一体どういうお方達かを知っているのか!?」
「魔術師のおじいちゃんとそのお友達でしょう。昔ね、王都で魔術師がどんな人達か聞いたことはあったけど、聞いていたよりずっとすごかった。あの足を一瞬で直したのよ!」
「それはそうだろう! このお方はかの英傑──」
「まあ、落ち着け、ダン。かつてのわしにはいろんな呼び名があったがの。今はただのおじいちゃんじゃ」
興奮した老人がまくし立てる言葉にホフレから待ったがかかった。
「いや、しかし……閣下、いえ、隊長がそうおっしゃるのなら」
茶目っ気たっぷりに片目を閉じて、正体を明かすことを止めたホフレの意思を正確に読み取って老人──ダンは口をつぐんだ。
「おいおい。ダンってぇと、あの、ダンか?」
マルコはダンという名前を聞いてポカンと口を開くと、コラードを振り返った。
「ええ。戦いよりも愛を取り、隊長へと挑んだ、勇敢なるダンですよ。マルコ、あなたあんなに可愛がっていたのに、気づいていなかったんですか」
「俺の記憶の中じゃあ、いつまでも若ぇままだったからよ。こんなジジイになっているたァな! 驚いたぜ!」
「何を言っているんですか、マルコ。あなたがジジイなんですから、ダンだって歳をとるでしょう」
コラードとマルコのやり取りを横で聞きながら、ダンは驚いたように目を見張った。
「まさか、儂のことを覚えていてくださったとは」
「この国でわしに挑んでくる者は珍しいでな。エミリアもおぬしによく似て勇敢なお嬢さんじゃ」
「エミリアもジョンも儂の宝です」
「二人の両親は?」
「亡くなりました」
「そうか」
ホフレは短くうなづいて、小さく息を吐いた。
「おぬしも苦労したようじゃな」
「儂には二人の孫が居ます。それだけで幸せだと思うのです。……エミリア、ジョン、客室の準備を」
「わかった!」
エミリアとジョンは元気に返事をして部屋を出て行った。