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フィンテック 生涯収入が表示される学園を投資術でのしあがれ!

作者: 試作439
掲載日:2018/08/15

「はうぅ。見知らぬおばあさんの道案内してたら遅れたですぅ」

 一日一善を日課にしている優しい少女、伊吹ルル子が街を走る。「ふぇーんっ遅刻遅刻ーっ!」と叫びながら、ずり落ちてくるリボンを懸命に右手で抑えている。乱れた寝ぐせが丸出しになっている事には気付いていない。ルル子は全力で足を動かしているが、進みは極めて遅かった。

 お約束テンプレならば道で死角から出てきた転校生とミラクルな出会いがあるはずだが、世界最先端の科学が浸透した首都の学園都市では、道路にブロック塀などという前時代の建築物は存在しない。街中の四つ角は安全を考慮し全て透明素材で作られているのだ。よほどのドジを踏まなければ、ありがちなロマンスは起こりえない。

 電柱は地下に埋設されてあり、広くとられた車道を走る自動車はAIによる自動運転。空は二十四時間体制で警察のドローンが監視しており、事件事故は極めて少ない。

 大都会なのに田舎のごとく視界の広い安全な道を、ルル子は走る。今日はルル子がいぬい学園第七学区中等部に進学して初の登校日だ。遅刻はできない。

 通学途中らしい鼻をたらした児童が、ルル子が走りながら振り回すカバンを避けた。

 しかしルル子が「ごめんねーっ」と叫ぶ声は、喧騒に掻き消されてしまう。交通量の多い道に人だかりができているためだ。


「なんでそいつと手を繋いでたのかって聞いてるの!」

「いや、その、これはええと、つまりそのう……」

「ねえ、この方とは別れたっておっしゃってましたわよね」

「何がこの方よ。スカしてんじゃねーよドリル髪!」

 修羅場が起きていた。通勤通学の時間帯だというのに、一人の男を間に挟み、二人の女が言い争いをしている。三人が着ているのは乾学園高等部の制服。ということは、今日から中等部一年生のルル子より年上だ。

「はわわっ。大人です。朝なのに昼メロです」

 ルル子はこそこそと野次馬の後列に潜り込む。周囲の会話から、男が二股をかけていたらしいな、という噂声が届いた。

「もう結構ですわ。私、好色な殿方とは付き合わないことにしておりますの」

「あっ、そんな、ちょっと待って……」

「フン。失せろビッチ。あたしの彼氏に二度と触れんな!」


 数秒後。痴話喧嘩は決した。男子生徒の横にいたお嬢様風の女子生徒が背中を向けると、ポニーテールの女子生徒が男子生徒の腕に自身の腕を絡ませた。

 その瞬間、お嬢様風の生徒の頭上に、黒い↑と数字が浮かんだ。


 ↑ 87,600 LC


 それと同時に、ポニーテールの生徒の頭上にも、赤い↓と数字が浮かぶ。


 ↓ 20,800 LC


 男子生徒はオロオロしながら二人の頭上を交互に見た。直後に、俺って下げチンだったの? と小声で呟きながら頭を抱えた。

 三者三様の光景を見たルル子は、見てはいけないものを見ちゃったと、胸の中に気まずさが広がった。でも仕方ない。それが乾学園に通う生徒の宿命なのだからと嫌な思いを飲み込む。


 初等部から大学まで一貫教育のいぬい学園に通う全生徒は、複数のスーパーコンピューターで構成されたネットワーク、通称『マター』により完全監視されている。マターによる生徒が生涯において稼ぎ出す収入評価、通称LCライフコインは正確である。そして、学園都市内において、LCの現在値が十パーセントを超える上下動があった時、頭上に遠隔受信ホログラムで表示されるようになっている。

 ということは、お嬢様風の生徒は男子生徒と別れたことが得になり、腕を絡めたポニーテールの生徒は付き合うことで損になる。そうマターは判断したのだ。


「うう……朝から嫌なもの見ちゃったよお」

 ルル子が離れようとした時。赤い↓の出ている女子生徒が、自身の頭の上の数字に気付いた。

「くそっ。これうざい。おまえら見てんじゃねーよっ!」

 女子生徒が暴れだして、野次馬達が後ろに押される。

 その時。外周にいる鼻をたらした児童が、車道に押し出されてしりもちをついた。倒れた児童には巨大なトラックが迫っている。

「危ないっ!」

 ルル子は反射的に駆け出し、児童を歩道に引き戻した。入れ替わりにバランスを崩して車道に倒れこむ。

 周囲の時間が遅くなり、楽しい思い出が脳裏をよぎる。

 あ、これ、死ぬパターンだ。ルル子は確信した。

 そして同時に、あの子が無事ならそれだけでも良かったかなと感じた。

 しかし。ルル子が目を固く閉じて数秒。

 周囲のざわめきで片目を開けると、トラックはかなり余裕のある距離で停まっていた。

 助かったんだ。安堵して腰の抜けたルル子の前に小さな陰が寄る。鼻を垂らした児童だ。

「あざらしパンツのねーちゃん、ばかなんじゃないの? AIの運転なんだから、トラックなんて安全装置で勝手に停まるのに」

「ふぁい?」

 児童に言われて、倒れているルル子は頭をあげた。自分の下半身に目を向けると、制服はめくれあがり、下着が丸出しになっていた。

 しまった。またやらかしてしまった。しかもこんなに人通りの多いところで。

 スカートを元に戻しながら、あざらしじゃないのに、ラッコなのにと胸の中で叫ぶルル子。その目は恥ずかしさでぐるぐると回っている。

「えっと、大丈夫かい?」

 更に人垣の中から学生服を着た少年が現れて、ルル子に手を差し伸べた。正義感が強そうな瞳と、制服のボタンを全てとめた優等生らしい雰囲気。ルル子とは別の学区の生徒だ。

「ひゃい、う、うん。大丈夫だよ」

 ルル子が立ち上がると、少年はルル子の膝に指を向けた。

「ひざ、擦りむいてるよ」

「あ、ほんとだ。今気付いたよ」

「ちょっと待っててね」

 少年がカバンの中から絆創膏を取り出して、ルル子の前に片膝をつけた。近くで見るとまつげが長い。少年の仕草は、ガラスの靴を履かせようとする王子様のように美しい。

 シンデレラってこんな気分なのかな。ルル子の周りを全裸の乳児がラッパを吹きながら飛び回る。

 いい感じの祝福の音楽がルル子の脳内で鳴り響いていたのだが、幸せな時間は長く続かなかった。

 周囲にいた人々が、ルル子の頭上に目を向けて指をさしたのだ。

 全裸の乳児を見つめる目ではない。下半身を露出する中年男を見るような、見てはならないものを見てしまったという、ばつの悪い目をしている。


「……198LC?」

「うっそ。ありえるの、あんなLC」

「なんてけがらわしいんだ」

「額面割れだ。Gだよ」

「あの女の子の制服、中学生だよね」

「生涯年収が百万円台。安すぎてひく……」

 ルル子は周囲のひそひそ声に釣られて自分の頭上を見た。そこには、赤い↓と落第生相当のLCが表示されていた。


 LC。ライフコイン。人生の価値を意味する略称。

 LCとはつまり、予測される生涯年収だ。一万円を1LCとして算出、公開される。どうやらマターは、ルル子が将来自力で稼ぐ金額は二百万円を切ると評価しているらしい。

 現在の国内では、一般人の生涯年収の平均はおよそ四億円。乾学園で世界随一と呼ばれる高度な教育を受けた生徒ならば、大卒時の平均が119,000LC。約三倍だ。これは、データ不足のため暫定的に平均生涯年収を半欠けさせた20,000LCで始まる初等部時代から、教育を積み重ねつつ体が成長することにより上下していく。

「やだっ、なんで? 昨日まで230LCだったのに。また下がった!」

 マターがルル子のLCを大きく下げた理由は、誰の目にも明らかだった。児童を助けるために、トラックの前に飛び出した愚行だ。後のことを考えず、自分から他者のために身を投げ出す姿勢。ルル子の善良性は、社会では大きなマイナスになる。それがマターの結論だ。

 仕事を多く押し付けられて、いつまでもサービス残業。疲弊してミスを犯し、職場に迷惑をかけ続ける。上手にストレスを解消できない。自分の意見をきちんと言えない。都合よく上司に使い捨てられる。後輩には先に出世されてしまう。批判されてうつ病になる。退職して何もしなくなる。マターは厳格かつ正確に、ルル子の残念な将来を予測していた。

「え? 二百三十? 一体なんのこと……」

「見ちゃだめえええっ!」

 顔を上げようとした少年に、LCを見られたくないルル子が覆いかぶさった。それと同時にルル子はつまずき、少年の上に倒れた。

「いたたたっ、ほへっ?」

 一回転したルル子の足は少年の首でタコ糸のように絡まり、芸術的な三角締めが決まっていた。ラッコパンツ丸出しのルル子の股間には、青黒く変色した白目をむく少年の顔が埋もれている。

「やっ、しゅみましぇええええええんっ!」

 ルル子は泣いた。泣きながら駆け出した。グッバイ王子様と叫びながら、豪快なストライド走法で駆け続けた。

 しかしやはり、足は遅かった。

          



「ふぇえん。中等部の始業式は三十分遅れなの忘れてたあ。走る必要無かったよ。通学中の生徒がいっぱいいたんだから、そこで気付けてたら、恥ずかしい目にあわなくても済んだのに……」

「ルルちゃん、せんせがこっち見てるよ」


 始業式の最中、朝の出来事を引きずり、うじうじとひとり言を繰り返すルル子の制服の袖を、初等部時代からの友達が指で引いた。

 ルル子は背筋を伸ばし、講堂の壇上で演説をしている、中等部生徒会副会長という眼鏡の女生徒に注目した。中等部の女生徒にしては背が高い。やや低めの落ち着いた声だ。


『人間の成長性。ファジー領域に立ち入る予測不可能だった未来視は、マターの並列思考により九分九里実現しました。乾学園に通う全生徒は、フレキシブルカード化した生徒手帳に限らず、制服のボタンや校章などにも、複数のワンチップマイクロコンピュータ、略称チップが仕込まれてます。電子キーの働きも持つそれらは、ソーラー発電や学生の体温から得られる熱エネルギーを受けて起動し、通信や辞典といったIT機器のベーシック機能を利用できるだけではなく、CTやMRIのような人体スキャン機能も備えております。

 チップが生徒から収拾する血圧や脈拍などのデータは、健康管理を軸として、怪我の予防や急病の事後対応などにも活かされます。更には発汗成分や吐息に含まれる酵素からストレス因子ファクターを常時分析。不安、不満、混乱といった心の問題もプロテクト。それらから推測される全生徒の思想、信条、理想。およそ七十万人を超えるデータは、マターにより秘匿されつつ、常時解析処理されます。そして、入学前に行った先天性疾患の有無の検査及び、DNA登録とゲノム診断から判明する、シナプス繊維数や骨格の成長性など最先端の推測医学的観点と重ね合わせて、膨大な人類史のデータと照らし合わせることにより、乾学園の生徒が未来に得られる生涯年収をLCライフコインとして可視化。乾学園に通う生徒だけが可能である自己認識は、皆さんの将来を明るく照らしてくれることでしょう。

 当学園の創設初期は、世界中からディストピア主義だと批判を受けました。しかし卒業生が社会で活躍を続けたことにより評価は一変。当然です。乾学園を卒業した生徒は、他の学校で教育を終えた者のように、就職していくらも働かないうちに無責任にも退職したりはしない。己の理想的天職を学生時代に理解し、卒業後は自分の持つ才能を最も活用できる職に就き、水を得た魚のように優れた能力を発揮する。そうして多くの卒業生が、マターの評価した卒業時点のLC値を越える利益を採用先にもたらしました。

 雇用する側は面接という不確実な制度によるリスクが減り、理想的な人材確保により利益を得る。卒業生は生涯において収入のおよそ一%から三%を乾学園に納めることになりますが、それを差し引いても他の学校の卒業生よりはるかに平均収入は高い。社会と卒業生。双方に利益をもたらしつつ世界の変革に貢献する。それがこの乾学園であり……』


 しばらくあくびをかみ殺しながら、立て板に水のような話を理解しようと努力していたルル子は、結局あきらめた。頭の良い方の話は難しくて厳しいのです。

 集中力のきれてきたルル子の耳に、前の席の男子生徒たちの私語が届いてくる。

「はああ。副会長いいなあ。まじ憧れるう」

「お前趣味悪いな。あんなロボットみたいな女やだよ。マターを褒め過ぎててちょっときもいし」

「たしかに雰囲気は固いけど、美人だからどうでもいいんだよ。胸もでっかいし。知ってるか、あの人1,000,000LCを超えてるらしいぞ」

「まじかっ、てことは、生涯年収が百億円を超えるってこと?」

「しっ。声が大きいよ。何でもいくつかの特許を持ってて、政府からも……」


 ルル子は男子生徒たちの会話を聞きながら、肩身が狭い思いをしていた。

 乾学園の生徒は、LCの向上にこだわる。そして、LCの高低は、そのままスクールカーストを位置付ける。高い者は目をかけられ、低い者は嫌われる。

 マターから問題があると認められたら、LCは下がり続ける。意地の悪い生徒はそれを、病気を抱えている、親が借金持ちだなどと噂する。

 ルル子は同級生や教師から、LCが低すぎる理由はお人よしすぎるからだと指摘を受けてはいた。だが、困っている人を見つけると体が動いてしまう性格は変えられなかった。幾度となく失敗を繰り返し、貧乏くじを引き続けた挙句、今の低LCに至っている。

 演説を終えて退場する副生徒会長。歩くと揺れる副会長の横乳と、ブラの必要すら無い自身のまな板を見比べ、嫉妬を抱きつつ格の違いを思い知った。

 ああいう人とは学園生活で言葉を交わすことすら無いんだろうなあ。ルル子は小市民らしくぼやくと、胸を寄せてため息を吐いた。

          



 全校集会が終わり教室に戻る時。ルル子は困った。

「ありゃ? 扉が無いよ……」

 クラスメイトの列から外れてトイレに寄り、遅れて教室に戻るとドアが無かったのだ。

 キョロキョロと挙動不審な動きをしながら取っ手を探していると、後ろから肩を押された。

「おら、邪魔だぞ。Gが道を塞ぐんじゃねえ」

「あぅ、ごめんね、井川君」

 ルル子を押したのは、井川いがわいばら。短気で小太り。口が悪く、上級生にも恐れることなく向かっていく戦闘民族である。

 伊吹と井川。苗字が似ているので授業の時に席が近くなる機会も多く、ルル子とは初等部からの顔馴染みだった。

 低いLCの学生に強くあたる井川は、ルル子にしょっちゅう厳しい言葉を浴びせる。だが、からかわれることに慣れているルル子は、むしろ井川と共にいる二人を苦手にしていた。

「井川さん。クラスメイトをGなんて呼ばないで。これから仲間になるのだから大切に付き合いなさい」

 井川の後ろにでんと構える男が、ルル子に声をかけてきた。同学年のスクールカースト上位の男、池田いけだみゆきだ。

「伊吹さん。中等部から教室の出入りは掌紋しょうもん認証になるわよ。こうやってドアの印の前で手のひらをかざすの。それだけで通れるわよ」

「あ、うん。ありがとう池田君」

 池田は親切だが、ルル子と目を合わさなかった。おねえ口調の池田は、細身で髪が長く顔も良い。プロのダンサーとして芸能事務所に籍を置き、テレビCMや映画にも度々出演する人気者だ。LCの高い生徒には、かすり傷ひとつ負わせただけで大問題になりかねない。欠けやすい宝石が校内を歩いているようなもの。すれ違うだけでルル子は萎縮いしゅくする。

 池田が教室に入ると、続く後ろの男、来島くるしまよるが、空中描写装置エアリアルデバイスを開いた。来島が画面を人差し指でタップすると、ルル子のエアリアルデバイスからメールの着信音が鳴った。

「そこのページを見ればいい。初等部と中等部の施設の違いが見やすくまとめられている」

 池田以上に痩せ型でキツネ目の来島がルル子に言った。顔は笑顔に見えるが、口元は作られたように固く、内心は読めない。

「うん。どうも……」

 行動は優しい。だがルル子は本能的に、来島とも肌が合わない。池田からは精神的に気圧されるだけだが、来島は生理的に合わないタイプだった。

 ダンサー池田の後ろを、小太りの井川と、冷たい目をした来島が続く。後ろを歩く二人は池田の幼馴染であり腰巾着だった。まるでタヌキとキツネを引き連れた旅芸人だが、同学年での存在感はトップクラス。池田が歩くと、教室の空気が引き締まり、池田の前で道が割れた。

「はぁ……気が重いなあ」

 初等部の時は井川以外の二人とはクラスが別だった。だが中等部から同じになってしまった。井川の毒舌だけならルル子も我慢できる。だが、三人一緒だと、のん気にあくびもできない。


 自分の席に座ったルル子は、エアリアルデバイスを開いた。

 エアリアルデバイスとは、乾学園の生徒が持つ生徒手帳の校章などに埋めこまれているワンチップマイクロコンピュータの機能の一部で、空中に浮かぶホログラムの電子機器だ。全生徒が標準で装着しており、授業でも活用される。電話やネットは当然として、簡単なゲームや設定した好みのアバターとの会話も可能。使い放題の文明の利器だ。

 モニターを手のひらサイズに縮小して、来島からのメールをタップ。開いたページにある中等部施設の案内を流し読みしていく。

 画面の下のほうに、『LCの投資について』という、赤枠で囲われた文字を見つけた。それと同時に、井川から言われたGという言葉が、ルル子の頭の中で繰り返された。


 G。乾学園内だけで通用する蔑称だ。Gとは額面割れを意味するGである。つまりは、LCが額面割れをおこしている生徒を揶揄やゆする単語だった。


 LCを高めることが正しいと考える乾学園。実は初等部から大学まで、生徒間で自分のLCを株式のように他人に投資することが認められている。それはそのまま、生徒を株に置き換えた売買のようなもので、上がると利益になり、下がると損失が生まれるようにできていた。

 例えば、AとB、二人の50,000LCの生徒がいたとする。そしてAが30,000LCをBに投資した。すると、Bは80,000LCの生徒としての価値を得られる。更に卒業時にもLC相応の人材として、それに見合った雇用先から声がかかるようになる。当然Aは20,000LCになるが、投資したLCは含み資産として計上できるので影響は小さい。その後、Bが80,000LCとしてふさわしい仕事を続ける限り、AはBからマターのように一定割合の配当収入が得られる仕組みとなっている。

 しかし逆に、Bが80,000LCから値を下げてしまうと困ったことになる。下落率に応じてAの投資した30,000LCも目減りしてしまうのだ。更にはBが卒業後に80,000LCの人材として劣った働きをしてしまうと、今度はAがBの雇用先に対して損害を支払う義務が生じてしまう。投資対象の生徒が卒業してしまうとLCを売却して元に戻す手続きも困難になるので、完全に不良債権化してしまうのだ。

 要は、普通の金融商品と全く同じで、投資対象の価値が上がれば得になり、価値が下がれば損をする。乾学園では、その行為を生徒に対して認めているということだった。そして、乾学園の生徒における額面割れとは、LCが三桁以下、つまり生涯年収が一千万円未満と推測される生徒のことを意味している。生涯収入の平均が四億円の時代に、人生で一千万円すら稼ぎ出せない者は小ばかにされる。そういったルル子のような額面割れは、心無い者からGと呼ばれていた。


「ふん。どうせあたしは額面割れですよーだ……。いいんだもん。お金よりも大切なことは、世の中にはいっぱいあるはずだもん……」

 顔を伏せて寝たふりを始めたルル子の机に、キャンディーが置かれた。白地の表面にはミルク味を示す牛の顔が描かれている。

「鼻をたらした子供からのお詫びだってさ。『お姉ちゃんバカって言ってごめん。それと助けようとしてくれてありがとう』って伝えるよう頼まれたよ」

「って、朝の王子さ……朝の人!」

 突然ルル子の隣に現れたのは、ルル子のひざに絆創膏を貼ろうとしてくれた朝の少年だった。制服の首元にはルル子の三角締めによるあざが残っている。だが、そのことを既に忘れているルル子は、何も考えていない満面の笑みで少年と向かい合った。

「同じクラスとは運が良かった。探す手間がはぶけたよ」

「同級生だったんだね。びっくりしたあ。制服が違うから別の学区の人だと思ったよ」

 由利ゆり主税ちから。少年は自身のエアリアルデバイスを呼び出して名乗った。ルル子もすぐに名乗り返す。

「今日から第七学区に編入することになったんだ。制服は指定のものが服屋さんの都合で間に合わなくてね。数日は前の学区の制服で過ごすことになった」

 学生服のスラックスの折り目をつまみ上げる由利。その姿はルル子の好きな中世ヨーロッパが舞台のコミックに登場する主人公のようで、ルル子の鼻息が激しく熱を持った。

『体温が激しく上昇中。風邪には生姜湯が効くッコ』

 突然ルル子のエアリアルデバイスが起動し、目の前にラッコのアバターが現れた。デフォルトで設定しているルル子のアバターだ。

「きゃっ、お呼びでない!」

『興奮しているッコ。脳波が荒れているッコ』

 ラッコは続けてサーフボードに乗り、空中にルル子の脳波を表示すると波乗りを始めた。

「人の脳波でマリンスポーツやらないで!」

 ルル子はラッコのアバターをかき消そうと手をわちゃわちゃ振る。だが、ラッコはサーフボードを素早いターンで操り、ルル子の攻撃をかわしながらあざ笑う。諦めが早く闘争心も子ウサギ並みのルル子は、ラッコに対して早々に泣きを入れた。

「ははは。マターのアシスタント機能だね。初期設定のはポンコツで、的外れなことを言い出すんだよ」

「そ、そうそう。困るんだよ。脳波とか何言ってんだろね。『お前を消す方法』で調べたんだけど分かんなくって、このままにしておいたんだ」

「良かったら僕が消そう。機能を最低限に設定しておくよ」

 由利がルル子の前に身を乗り出し、ルル子のエアリアルデバイスの操作を始めた。

 ふぉおおお。掃除機のように鼻から息を吸い込み、由利の匂いを肺に取り込むルル子。

「伊吹さんはラッコが好きなの?」

「げふっ、え? うん。大好き……」

 むせて咳をしたルル子は、由利の口から出たラッコという言葉と同時に、由利に三角締めをキメたことと、ラッコのパンツを見られてたことを思い出した。恥ずかしくて逃げ出したい。けど、事故とはいえ由利には迷惑をかけた。根が真面目なルル子は、素直に由利に謝ろうと思った。

「あのっ、今朝はごめんなさい。あのあと逃げ出しちゃって……」

「ははは。なんとも思ってないよ。僕のことはいいとして、伊吹さんの膝のけがは大丈夫?」

「うん。へへへ。あたしはよく転ぶから、あの程度のけがはへっちゃらだよ」

 ルル子がひざを見せて足を動かすと、つま先が由利のすねを直撃した。

「ふぐうっ」

「ひゃあああっ、度々申し訳ございませんっ!」

          



 担任の教師が入室して、中等部初のホームルームが始まった。一人ずつ自己紹介が進み、だらけた空気の中で私語も目立つ。

 学園都市には十三の学区がある。ルル子のいる第七学区は、初等部から中等部に進学する時、クラスメートはそれほど入れ替わらない。多くが顔見知りなので、名乗る必要もあまり無いのだ。気心の知れた者に対して真面目に挨拶するのも気恥ずかしい。井川に至っては「井川。帰宅部。肉が好き」と、名前すら言わなかった。

 それでも池田と来島が立ち上がった時は、教室もしんと引き締まった。皆が緊張しているのだ。由利の自己紹介以外に興味が無かったルル子も、一応は背筋を伸ばして聞いてますよとアピールをしておく。

「時間が余ったなあ。せっかくだから、学級委員も決めてしまおう。誰か司会をやってくれないか」

 担任が言った時。ルル子の予期していないことが起こった。

「俺がやりますよ」

 なんと、井川が司会に立候補したのだ。

 ルル子が初等部時代から知る井川は、面倒そうな出来事には一切協力しないタイプの生徒だった。それが突然、この積極性。

 中等部でまさかの真面目デビューかと、ルル子は不自然なものを感じた。


「俺は池田君を学級委員長に推薦する。副委員長に来島だ。文句のある奴は何か言え」


 教室が大きくざわついた。当然だ。井川の口調は、推薦というよりも強制だった。

 ルル子も内心では反発した。だが、井川は言葉遣いが乱暴すぎて、周りから誤解を受ける場合も多い。井川は池田からこう言えと命令されたのではないかと、ルル子は考えた。もう少し詳しく話を聞きたいと思った時。

「池田君の考えや、学級委員長の運営方針を聞いてみないと……」

 どこかから蚊の鳴くような声があがった。ルル子も声に反応して頷く。

 池田が立ち上がり、靴音を高く響かせ井川の横に並んだ。いつの間にか来島も池田の斜め後ろにいた。三役揃い踏みだ。

「このクラスで運動系の部活をしている人は全員、あたくしが初等部時代から所属する第四ダンス部に入部していただくわ。また、その他の人には監査や会計などの雑務を担当していただきます」

 教室全体が大きく揺れた。運動部の生徒は当然として、普段は決して池田に逆らいそうにはない生徒までもが抗議している。

 突然、井川が黒板を殴った。途端に教室のざわめきも治まる。

「井川君、荒っぽいことはダメだよ」

「先生、俺は司会者です。担任は生徒間の議論に口を挟めない。校則で決まってるでしょう」

「そうそう。自主性に任せるマターの方針に逆らうおつもりですか?」

 井川と池田が担任を黙らせる。二人の言い分は正しく、乾学園における担任は、学級委員長や高LCの生徒よりも発言権が下なのだ。

「昨今、定数制のスポーツよりも、大人数で変数制のスポーツのほうが、保護者や教育界から好まれる傾向にあるわ。そう考えると、競技ダンスは最も有益なスポーツなの」

 池田が指を鳴らすと、来島がエアリアルデバイスを操作して、クラス全員にデータの添付されたメールを送りつけてきた。明らかにあらかじめ用意されていた資料だ。データは主に、ダンスに関する経済市場の伸び率と、野球やサッカーなど人気スポーツの競技人口減少に関する比較グラフとレポート。よくまとめられていて見やすい。

 そこでルル子は、来島が新聞部だったことを思い出した。資料を集めたのは池田ではなくて来島なのかもしれない。この勧誘は、かなり前から計画されていたものだと感じた。

「……以上のように、ダンス経験者は今後、社会において優位に立てることは確定してますの。あなたたちは幸運ね。学園全体でもトップクラスの天才ダンサーと同じクラスになれたのですから。才能のある方は、あたくしが直々に指導して、適切なダンスレッスンプログラムを組んであげるわ。今後は共に手を取り合い、LCをどんどん高めあっていきましょう」

 池田が仰々しい動きで、目をギラギラさせながら説明を終えた。ルル子を含めて全員が、池田の言葉と来島のレポートを吟味している。

 たしかに、LC上昇にこだわる生徒にはおいしい話である。


 ルル子の住む国では、二〇一七年四月、改正資金決済法により、仮想通貨事業が登録制になった。

 ビットコインのバブルに始まったフィンテック革命は、VALU株という個人や有名人への直接投資の市場を生み、わずか半年で五百億円を超える資金を集める者まで誕生させた。乾学園の経営もそれにならっており、LCは準法定通貨として学園都市内で流通している。とても割高だから利用者は少ないが、生徒は購買で円通貨を使うことなく、LCで備品を購入することも可能なのだ。仮に、池田の言う通りに行動してLCが増えるのなら、それはルル子を含むクラスメート全員にとって利益になる提案だ。強引な池田の姿勢は、たくましいリーダーと受け取ることもできる。

 更に、池田に従うメリットはLCだけではない。将来的に池田から、余分なLCを投資してもらえる可能性もあるのだ。就職したい企業にちょっとだけLCが足りない。そんな時、LCの豊富な池田が融通してくれるかもしれない。クラスメイト全員を、いずれは池田が支配することになるだろう第四ダンス部に取り込む。打算的に考えて、池田はそれほど悪いことを言ってはいないのだ。


 だが、投資に危険は付き物。はたして、そううまくいくのだろうか。


 ルル子の周りにいるクラスメートが周囲を見回している。そのうちの数人は、隣の生徒の頭上に目線を合わせていた。上下の矢印を探しているのだ。

 生徒は全員、何か大きな行動や覚悟をした時、LCが十パーセント以上変動して矢印が出る。ボーイフレンドの奪い合いや、子供を助けるためトラックの前に飛び出した時などがそれだ。


 ルル子は初等部の頃、運動会で優勝したクラス全体から、プラス評価の黒い↑が浮き上がるのを見た。向上心や負けん気の強さがマターからプラス評価されたものだ。しかし、よくよく見ると、ごく少数だが↑の出ない生徒もいた。そして、一人だけLCが下がり赤い↓が出た生徒も見た。↑の出なかった生徒は、既に一定の体力評価がマターにより加算されていた生徒。↓の出た生徒は、運動会の優勝により、運動系カリキュラムが増えてしまうクラスの方針に引き摺られることになり、マイナスになる生徒。いわゆる文科系能力が高い生徒だった。

 ルル子はその時、マターの意地の悪さに気付いた。クラスの中で空気に馴染めない生徒を一人混ぜることにより、人の振り見て我が振りを直させるという教育システムだ。

 マターはその文科系生徒を他の仲間を作りやすいクラスに編入させることもできる。しかし、一人を犠牲にすることにより、全体がかえって良くなることを知っていて優先した。

 成績が悪くとも、心優しいルル子だからこそ本能で気付けた真実。

 マターには、悪意がある。


 人にはそれぞれ、得手不得手がある。マターはそれを、極めて分かりやすく教えてくれる。音楽が好きな生徒がいたとする。その生徒が夢の実現を望むとする。アイドルを目指す。作曲家を目指す。演奏者。指揮者。評論家になろうとする。本人が迷っている時、マターは最も適正の高い将来をLCとして示してくれる。

 だが、とルル子は考える。

 マターに導かれることにより高収入を得られる人生は、本当に正しいの?


 いくらすんごいコンピュータだって、完璧に人の未来を予測できるとは信じられない。もしかしたら、マターすら気付けなかった、生徒個人が自分の力で辿りつけたはずの、すばらしい未来。そういうのをマターがへし折ったことも、過去にあったのでは。

「そろそろ決を取りましょう。あたくしの提案に反対の人は立ち上がりなさい」

 池田がよく通る声で言った。

 ルル子の周りには、他人の頭上を探す生徒しかいなかった。様子見のまま動かない。それも正しいとルル子は思う。

 別に、この場で池田に抵抗する必要は無いのだ。池田に賛成した直後に、全員に赤い↓が出る可能性だってある。結論はマターにゆだねて、それから反対しても遅くはない。

 だがこの時。ルル子は、逆らうことを決めた。池田に対してではなく、マターに対して。マターの作る、LCこそ全てという世界に対して。

 ふんすと荒い鼻息を吹き出しながら、ルル子は立ち上がった。


 正面に立つ三人がルル子に視線を向けて、中央の池田が口元をひん曲げながらルル子を睨む。刀の切っ先を向けられているかのように感じられて、ルル子は背筋が冷えた。

「フッ。198LC。落伍者が王に対してやぶれかぶれの抵抗か」

 来島はルル子のLCをエアリアルデバイスでチェックすると、キツネ目を細めながら言った。

 つばを飲み込み、ルル子は声を振り絞った。

「自分の都合で人の将来を決めるのは良くないと思いまぁす」

「ああん?」

 ルル子に対して、井川が急に大声で凄んだ。ルル子は口を閉じて、奥歯を噛み締める。引いてたまるかと両手の拳を握り締めるが、その姿はまねき猫のように迫力が無かった。

 井川は肩を怒らせながらルル子に迫ろうとする。それを池田が左手で止めた。

「なるほど。まさかあたくしに逆らおうとするお馬鹿さんが二人もいるとは。面白い」

 ……え? 二人?

 振り返ったルル子は、教室の一番後ろの席にいる、不機嫌そうな顔をした由利を見つけた。立ち上がり両手を胸の前で組んでいる。

「由利君!」

 由利はルル子と目を合わせると、とろけるような笑みを浮かべ、ルル子のそばに歩いてきた。

 かっこいい。絵になるわあ。ルル子はよだれが垂れそうになるのを我慢した。


「僕も伊吹さんと同じ意見だよ。池田君は強引過ぎる。従う気にはなれないな」

「うふふ。由利君、あなたは乾学園の校則を知っているのかしら?」

「……ああ。LCが高い者の意見には極力従うべしっていう一文のこと?」

「そう。そこのお馬鹿さんと違って、あなたは賢そうなのに。あたくしのLCを知った上で歯向かっているのかしら?」

 ルル子は記憶の中にある池田のLCを思い出していた。たしか、最後に噂で聞いた時には、135,000LC。初等部の時点で生涯年収十三億五〇〇〇万円と判定されており、乾学園系列の大卒者平均よりも評価が上。

 初等部や中等部の時点で大学生よりもLCが上の生徒は、クリスタルチルドレンと呼ばれて一目置かれる存在となる。

 はっ、まさか。

 ルル子は考えた。由利君はもしかしたら、池田よりも高いLCなのではないか。


 しかし、同じ事を来島も考えたらしい。素早くエアリアルデバイスを操作していた来島は、直後に大笑いを始めた。

「くはっ、はははっ、何だよ君、ありえるのかこんなLC」

 来島が全員に見えるように、自身のエアリアルデバイスを拡大して見せた。そこには、由利のLCが赤字で大きく表示されていた。


 マイナス 3,830 LC


 その数字の意味を、ルル子はすぐに飲み込めなかった。

 3830LCのマイナス。つまりは、人生で三八三〇万円のマイナスを社会に与える男。生涯収入どころの話ではない。


 それは、実家に一生涯働いても返済できないほどの借金があるとか、ニートで家族の資産を食い潰すようになるとか、ギャンブルで借金を作るとか、将来は犯罪者になるという判を押されたサイコパス予備軍等々。存在そのものが関わる者に損失を与えると、マターから見極められたようなもの。


 ソノオトコハキケン。カカワルトフコウニナル。

 ルル子は頭の中にマターの電子音声が響いたような気がした。

 教室のざわめきが強くなる。教室の中にいる多くの者が、由利という人物をはかりとることができていない。

「伊吹さん。僕を信じてくれるかな?」

 その時、由利がルル子の耳元でささやいた。

 由利のLCに驚いていたルル子は冷静に戻り、由利の目を見つめる。

 ルル子は元々、自身のLCの上下すら気にかけない人間だ。由利のLCがマイナスであろうと、クラスメートほど嫌悪をしない。なにより、ルル子は数字を通して人を見ない。ただ直感を信じるだけだった。


 由利君には言葉で表せない何かがある。きっとあたしに代わって池田たちを説得してくれる。そう考えたルル子は、親指を立てて歯を見せた。

「よし。伊吹さん」

「はい!」

「頑張って君が池田君を倒すんだ」

「はい……え?」


 なんですと? 

 倒す(物理)ってことですか?

 突然何言ってるとですたい。

 まさかの丸投げ? あたし一人に?

 由利は腰をひねりながらイナバウアーのように反らし、左手を変な角度に曲げ、薬指と小指の間から右目を光らせている。

 何か空間がズレてきている。ルル子は混乱して目から涙が染み出した。


LC決闘デュエルのことね。生徒間で意見が対立した時は、議論の終了時間によりLCの高い側の意見に無条件で従う」

 釣られた魚のような口の動きをしていたルル子の前に池田が立った。

「ああ、うん。そういう意味だったかあ。当然だよね」


 ルル子もLC決闘は知っている。初等部時代から他人のLC決闘を幾度か見たこともある。要は多数決のようなルールを個人のLCに置き換えただけだ。主張を違えた二つのチームが代表者一人を選び、時間制限付きで議論して、終了時に代表者のLCが高いチームの意見が勝利。

 一見すると民主主義的だが、実際はLCの高い者に従い続けろというマターの作った絶対君主制だ。

 ルル子が過去に目撃したLC決闘は、家庭科の班編成に不満があるとか、徒競走のフライングの有無とか、デュエルとすら言えない小さな揉め事ばかりだった。LCが近い者同士のLC決闘なら、議論による時間内のLCの上下動で意見が覆されることもある。だがルル子と池田のLC差では、始める前から結果が分かりきっていた。

 それでもルル子は、由利を信じると決意したのだから、このまま進むしかない。

「まあ、LCがマイナスの奴よりは、Gのほうがまだましだわな」

 井川に言われて、ルル子も納得した。額面割れとはいえ、ルル子のLCは由利よりも上なのだから、代表者になるのは当然だ。

 とはいえ、198LCのルル子と100,000LCを大きく超える池田では勝負にならないはず。どうするというのだろう。


「僕が伊吹さんの参謀になるくらいは認めてくれるよね」

「いいわよ」

「時間は十一時がリミット。それまでによりLCの高いほうが勝利。伊吹さんが勝てば、池田君は第四ダンス部全員加入の提案を引き下げる。池田君が勝てば、僕たちも池田君に従おう。僕もダンス部に入って踊ってあげるよ」

「フン。由利君にだけ特別厳しいレッスンを用意してあげるわ。それと伊吹さん。あなたはあたくしの芸能事務所でダンスユニットを組み、どんなに下手くそだろうと強制的にセンターでデビューさせてあげるんだから。覚悟しなさい」

「ひぎいいっ!」

 池田の目は本気だった。

 運動神経ゼロのルル子は、盆踊りでも流れに乗れないリズム感だ。ダンスで芸能デビュー。そうなったらもはや、ルル子は町を歩けない。『雨乞いでもしてるのか?』『この動きでよく今まで生きてこられたな』『熱湯かけられて苦しむタコのようだ』。ルル子の頭の中に、罵倒コメントで埋め尽くされた自分の動画が再生された。

 事がどんどん大事になっていく。ルル子は目が回って倒れそうになる。だがもはや引き返せない。


 教室に備えつけられているエアリアルデバイスが起動し、LC決闘デュエルの文字が現れる。それと同時に、ルル子と池田のLCが表示されたプライスボードが現れた。これは、頭の上では本人が確認しづらいためのマターによる処置だ。


 伊吹ルル子 198 LC


 池田幸 141,000 LC


 増えとるじゃないどすか。十四万超えてまんがな。この働き者め。

 ルル子が愚痴を呟いた時、残り時間のタイマーが空中に現れ、数字が減り始めた。

          



「さて。そういうわけで、伊吹さんは何をすればいいか分かるかな?」

「制限時間内に池田君よりもLCを高くする……」

「その通り」

 由利はニコニコと笑っているが、ルル子の頭はパンク寸前だった。

 残り時間は数十分。それまでに自分のLCを140,000以上高める。それは、今すぐに十四億円稼ぎ出せと無茶振りされたようなものだった。


「LCを株価のように考えれば分かりやすい。要するにマターは人を企業に置き換えつつ拡大解釈している。本質は単純な金融技術フィンテックであり、あっという間に値を吊り上げることもできるんだよ。難しく考える必要は無いさ」

 由利に言われても、ルル子には方法が分からない。アニメや漫画のように気合を入れたらLCが上がるってわけでもないはず。あくまでルル子の価値を上げなければならないのだ。ルル子の頭に思い浮かんだ方法は、今すぐに油田を掘り当てて石油王になるって程度だった。


「で、今すぐにLCを上げるには?」

「スコップを買ってくる」

「うん。違うね。冷静になろう。ヒントは、LC決闘を経済活動として置き換えることさ」

 ルル子はやや考えて、由利の言葉の意味を飲み込んだ。

「お金を借りてくる?」

「その通り。稼がなくても借りればいい。投資や配当が認められているのだから、提携や調達といった手段も認められているのさ。ただ乾学園の場合、銀行にあたる存在はマターだけで、マターは頼んでもなかなかLCを貸してはくれない」由利は由利の出方をうかがっている池田達三人の後ろに行き続けた。「自分の住む町に、ある日外国の巨大企業がやってきて、乱暴にも町の真ん中にビルを建てると宣言した。伊吹さんは町の八百屋さんで、それを阻止したい。どうやって戦う?」

「地元の人たちの力を合わせるかな……」

「そう。そして、後ろを振り返ってごらん」

 ルル子は振り返った。そして気付いた。クラスメート全員が、ルル子に視線を向けている。

 初等部時代からずっと仲の良い友達や、ルル子をGとののしっていた男子。半数近くが、顔に不安をのぞかせていた。中には両手を祈るように重ねて、瞳を潤ませながらルル子を見つめている女生徒までいる。

「投資といっても、LCそのものを移動させる必要は全く無いのさ。同じ目的を持つ者同士で集まり、一時的に一つの集合体になる。それが『LC提携』。小さな魚が身を守るため群れで巨大な魚影を作るように、伊吹さんが陣頭指揮を執り、皆をまとめあげればいい」

「うん……、わかった。やってみる」

 ルル子が協力を呼びかけようとした瞬間。

「私、ルルちゃんを信じるよっ!」

 突然、眼鏡をかけた三つ編みの生徒が立ち上がった。


「さっちん!」

 ルル子からさっちんと呼ばれた生徒は、ルル子にかけ寄ると抱きついて泣き出した。

「私、ルルちゃんにいつも助けられてばかりだもん。ガラスを割った時は一緒に謝ってくれたし、ごはんをこぼした時もルルちゃんは半分分けてくれた。忘れてないから。私のLC使ってっ!」

 ルル子は泣き続けるさっちんをなだめる。その横に由利が並び、頷いた。

「伊吹さん、エアリアルデバイスを開いて」

 ルル子が由利に従うと、由利は両手の指を使い、ルル子のエアリアルデバイスのタップを始めた。投資に関するかなり複雑な手続きを行っている。

「これでよし。さっちん、右手をここにかざして『アライアンス』って言って」

 さっちんが由利の指示に従い「アライアンス」と口に出した。その途端、さっちんのLCが浮かび上がった。29,200LC。さっちんは失敗が多いけど、国語の成績はとても良い。その点をマターからも評価されているんだなと、ルル子は思った。 

 さっちんのLCが、教室のLC決闘プライスボードに移動する。


 伊吹ルル子 (連) 29,400 LC


「わっ、増えた」

「真ん中にある連結マークが『LC提携』の絆さ。投資すること無く提携している状態。さっちんのLCを減らすこと無く、伊吹さんが借りていることになる。ちなみにLCの数字は上三桁から下が全て切り捨て表示になる。気をつけてね。この状態で伊吹さんがLCを上下させる行動をとると、その影響がさっちんにも現れるから」

「う、うん」

 由利の言葉で、ルル子の身も引き締まる。今は文字通り、さっちんの未来を借り受けているんだ。絶対に期待を裏切りたくはないと、拳を握って気合を入れる。


「ねえ。由利君だっけ。そのLC提携ってやつ、一時的でいいんだよねえ」

 すぐ近くの髪にゆるくウェーブをかけた女子が言った。ルル子の知らない女子だった。数少ない編入組だ。

「いつでも解消できる。池田君とのLC決闘が終わってすぐにでも可能さ」

「じゃあ乗るよ。あたいはリサ。ヒップホップやってんの。ダンスは好きだけど、池田が誘う競技ダンスは考えられない。そいつの出演してた映画見たけど、タイツはいて踊るなんてマジありえない」

 リサもそのまま、さっちんのようにLC提携を行った。


 伊吹ルル子 (連) 45,300 LC


 リサのLCは16,000と低かった。だが、リサと由利のやり取りで教室内の流れが変わった。一時的な提携で良いのならと、女生徒が数人動き出した。

「私も以前、体育祭の嫌な仕事を伊吹に代わってもらったことがあるしな」

「風邪で寝込んでる時、ルルが見舞いに来てくれたっけ。あたしが治るのと入れ替わりにルルが倒れて大変だったよね」

 仲間こそ力。池田のオーラに押されていたルル子の友達は、由利と共に戦うルル子から勇気を貰ったらしい。乾学園初等部卒業時点の生徒の平均LCは、およそ30,000LC。ルル子の協力者たちは皆、平均値よりもLCが低かった。

 だが結局、六人目のLC提携で、ルル子のLCは池田を抜いた。


 伊吹ルル子 (連) 151,000 LC


 池田幸 141,000 LC


「やった! 由利君、上回ったよ!」

「いや。まだまだこれからさ」

 喜ぶルル子達に、由利の対応は冷たかった。いつの間にか由利は自身のエアリアルデバイスを使い、集中しながら何かを操作していた。ルル子は覗こうとしたが、偏光機能がかかっていて見えなかった。エアリアルデバイスをカスタマイズするには、ややLCが消費される。

 由利はLCがマイナスなのに、なぜそんなことができるんだろうと、ルル子は不思議に感じた。

「おほほほっ。かわいいわね、伊吹さん。その程度であたくしに勝ったつもりなのかしら?」

「むっ。池田君、あなたの負けです。おとなしく降参したらどうですかっ」

「あら。随分と強気になったわね。けど残念」

 池田の後ろでエアリアルデバイスを操作している来島が前に出た。

「残念って、どういう意味なの」

「自惚れるなよ伊吹。愚かな奴だ。LCの提携方法を知るのが由利だけだと思ったか」

 その時。池田のエアリアルデバイスが開き、来島と井川が右の手のひらをかざした。

「アライアンス!」

 二人からLCが浮き上がる。井川が15,400LC。来島が16,900LCだ。それが、池田のプライスボードに吸い込まれていく。


 伊吹ルル子 (連) 151,000 LC


 池田幸 (連) 173,000 LC


「フッ。これで逆転だ。残念だったな」

「うぐぐっ……」

 ルル子が歯噛みをして悔しがっていると、井川がルル子に近寄ってきて、目の前で笑い始めた。

「ぶひゃひゃひゃひゃっ。残念だったなG。おまえの作った絆なんて、池田君を中心にしたおれら三人に勝てねーよ。まだ足掻くの? うん? 無駄な努力と分かっても、まだ俺達に歯向かっちゃうのお?」

「うっ、うるさいっ。まだ、一人か二人、LC提携してくれる人が見つかれば……」

 ルル子は教室を見回して、ルル子に協力してくれそうな生徒を探した。だが、これ以上は自主的に手を上げる生徒が見つかりそうにない。まだまだ多くの生徒が池田ら三人に怯えているのだ。

 恐れ。様子見。面白半分。傍観者たちは腰が重い。仕方ない、一人ずつ声をかけて説得しようと、ルル子が歩き始めた瞬間、由利がルル子の肩に手を置いた。


「伊吹さん、その必要は無い。君が勝利する鍵は既に手に入れているのだから」

「えっ?」

「落ち着いて考えよう。今の池田君たちを見て、何か引っかかる所は無かったかい?」

「……引っかかるところ?」

 由利がルル子に尋ねると、ルル子の後ろから仲間達も声をあげた。

「うん……。何か変だったような……」

「私も思ったあ。具体的にはわかんないんだけど……」

 落ち着けあたしと、ルル子は心の中で言う。今はみんなのLCも預かっているのだから。経験したことの無い緊張状態の中で集中力が高まっていたルル子は、由利の言葉から、すぐに答えを探り当てた。

「……井川君と来島君のLCが少なすぎる?」

 由利が指で丸を作り、笑顔を見せた。

「そうだね。更に付け加えると……、いや。これは心優しい伊吹さんには指摘しづらい点だろうね。僕から言おう。来島君のLCが少なすぎる」

 ルル子が気付いていたことを、由利はよく通る声で言い切った。由利の指摘は井川のプライドに傷をつけることになる。そのため、ルル子はあえて言わなかったのだ。


 来島と井川。池田に従う二人には、明らかに人材として差がありすぎる。来島はデータ集めやLC決闘に関しては、池田を凌ぐ知識を持つように見える。井川よりはるかに働いており、池田の右腕として大活躍している。対して井川は、ほぼ何もしていない。それなのに、二人のLC差が1500しか無いというのはしっくりこない。


「ところで伊吹さん。現在のわが国で、投資を経験したことのある国民は何割程度だと思う?」

「え? えっと、半分くらい?」

「違うね。二割未満さ。そして、投資により恒常的に利益を得ている者はその半分以下なんだよ。マターが乾学園にフィンテック制度を導入しているのは、投資に対する知識や積極性を植えつけたいという考えもあると思う。ただ、マターの狙いは生徒に届いていない。七十万人全ての学生を合わせても、実際に投資活動を実践している者は一割に満たないらしいからね」

 由利は喋りながら、自身のエアリアルデバイスを巨大化させた。トップページには大きく『学園四季報スクールレポート』と書いてある。

 それを見た途端、来島が明らかにうろたえ始めた。


「伊吹さんは、バスケット買いという言葉を知っているかな?」

「よっ、よせ、由利」

 来島が由利に飛びかかろうとした。LC決闘の最中の暴力行為は大きなマイナスになる。池田が首をかしげながら合図すると、井川も戸惑いながら来島を止めた。

「簡単に説明しよう。バスケット買いとは、資本をダブつかせた大口の投資家が、個別の銘柄ではなくて、銘柄群が属する集団にまとめて買いを入れる投資手法さ。鶏一羽には投資する意味は無いが、鶏卵工場には投資価値が生まれるようなものでね。乾学園にもマターがバスケット買いを入れる基準があるんだよ。それは『部活の総在籍者が百人を超えた』瞬間。その途端、投資対象の価値が何倍にも上がる」

 由利が四季報レポートを指でスライドさせた。ページがめくれてモーションが止まる。表示されているのは、第四ダンス部会計、投資家一覧表。

「一定のLCを支払うと、最新のデータを見ることができる。それが投資家のバイブルとも言えるこの学園四季報さ。ここの一番下を見てほしい」

 そこには、来島頼の名前と、30,000LCという数字があった。

「そして、これが現在の第四ダンス部の総在籍者数」

 その総人数。そして、ルル子のクラスメートの数。

 クラスメートの大半を加入させると、ちょうど百人を超えるラインだった。


「インサイダー取引じゃねえかよ!」

 男子生徒の一人が、激怒しながら立ち上がった。

「汚ねえぞ来島。俺達をダシにして自分だけ大儲けしようとしてやがったな!」

「共にLCを高めましょうなんて言いつつ抜け駆けかよ!」

「ちっ、違うぞ。俺はダンスを習得する生徒の未来は明るいと純粋に信じた上で投資していただけだ。下心は無いっ」

「それならば、なぜ池田君が在籍している第四ダンス部だけをバスケット買いして、他のダンス部には投資をしていないのかな?」

「ぐっ、それはっ……」

 由利の問いかけに、来島は答えられなかった。直後に、怒りにあふれた男子生徒が数人、ルル子へのLC提携を申し出た。

 残り時間が十分を切った時。ルル子は圧倒的大差で再逆転した。


 伊吹ルル子 (連) 293,000 LC


 池田幸 (連) 173,000 LC


「来島あっ!」

 井川が髪の毛を逆立てながら、来島に殴りかかった。

「おやめなさい!」

 しかしその時、池田が来島を守るようにして、井川の前に立った。井川は寸前の所で拳を止める。池田は芸能の仕事をしているので顔は商売道具だ。もしも拳を振り抜いていたならば、その瞬間に井川のLCはマイナス転落もありえるほどの大暴落をしていただろう。


「来島さん。あたくしはあなたを親友だと考えているし、全幅の信頼を寄せてます」

「池田君、俺は……」

「良いのです。すべてを水に流しましょう。井川さんもいいですね?」

「でもさあ、きちんとケジメをつけないと」

「私達は既に運命を共にする仲なのです。仮に来島さんが抜け駆けして利益を得ようとも、それを素直に喜んであげるくらいの度量を持ってください」

 池田が井川を説き伏せた。化けの皮が剥がれた来島は、動揺して汗をタラタラと流している。来島も池田を恐れているのだなと、ルル子は感じた。

「二人とも落ち着きなさい。デュエルはまだ終わってません。それに、私達には来島さんが用意しておいた切り札があるじゃないですか。慌てる必要はありませんよ」

 そんなものあるわけねえよ、負け惜しみだ、はったりだと、ルル子の後ろから罵声が飛ぶ。

 ルル子は由利を見たが、由利は今も集中して何か別の操作をしていた。


「伊吹さん。お馬鹿さんなあなたが、仁の力だけであたくしをここまで追い詰めるとは見事です。御輿としては中々ご立派ね」

「あたし、お御輿ほど重くはないもん」

「……とにかく、あなたに人を引き寄せる力があることは認めましょう。そして、その力の源は人を思いやることのようですね。ですが、あなたが生み出せる絆の力は、あたくし達の支えあう信念に勝てるのかしら?」

「どういう意味なの?」

 池田が指を鳴らすと、未だに緊張の解けていない様子の来島が前に出た。

「俺やお前がやっているLC提携ってのは、いわば業務提携。協力と口約束の段階だ。本当の絆ってのは、命を預け合うこと。LCを実際に渡し合う資本提携の段階になってこそ、絆は盟約と呼ばれる黄金の鎖になる」

 来島の目の前に、池田と井川のエアリアルデバイスが開かれた。自身のものと合わせて三人分の操作を来島が一人で行っている。

「由利ならば方法は知っているだろうが、俺達のつながりの深さまでは気付いてないだろう。俺達は『LC交換』と呼ばれる方法で結ばれている。株式でいうならば株式交換だ。一定のLCを互いに持ち合うことにより、決して崩れない関係を作り出す。これは投資にならない業務の提携なので現在のLC値には反映されていない。まさかこのような場面で役に立つとは思ってもなかったぜ」

「持ち合い?」

 ルル子は由利を見た。だが、由利は苦いものを噛んだかのように顔をしかめている。来島の言う通り、由利にも想定外のことが起きているらしい。

「これよりLCを売り、持ち合いを解消する。これが俺達三人の真のLCだ!」

 その時、池田達の頭上に浮き上がったLC値が、黒い↑と共に大きく変動した。


 井川茨 59,900 LC


 来島頼 91,400 LC


 池田幸 178,000 LC


「ゆっ、由利君っ、あれどういうこと?」

「……なるほど。二十五%ルールかな。あれが三人の本当のLCなんだよ。池田君が井川君と来島君の総LC値の二十五%相当にLCを渡して、井川君と来島君が池田君の総LCの二十五%を取得する。こうすることにより、池田君を中心にして、運命を左右するほどの大きな選択を下す時には互いに干渉できるという議決権を得る仕組みさ。更に来島君は第四ダンス部のバスケット買いも解除したようだね」

「その通り。俺はマネージャーで井川はプロデューサー。俺と井川は生涯に渡って池田君をサポートすると既に決めていたのだよ。身を切られる思いだが、このLC決闘は絶対に負けさせない」

 未来の成功が確実視される池田に、生涯つき従うと既に誓っている。ルル子は来島や井川の忠義心を過小評価していた。LCとは金銭であり人生だ。それを交換して委ね合う。平凡な中等部の生徒には甘くはない覚悟であった。

 池田達三人の加算された真のLCが、プライスボードに反映される。LC決闘デュエルの残り時間が百秒を切った時。再び池田がルル子を逆転した。


 伊吹ルル子 (連) 293,000 LC


 池田幸 (連) 329,000 LC


 ルル子の息が浅くなり、手のひらが汗でべたつく。LC決闘の桁が違いすぎる。一万円を持ち歩くだけで挙動不審になってしまう小心者のルル子には、仮の状態とはいえ約三十億円相当のLCを抱えている今の状況が耐えがたいプレッシャーだった。今ここで椅子に座っただけで自分の背負ったLCが大暴落する気がして、手の先が冷え感覚が薄くなる。

 青天井につり上がっていくルル子と池田のLC値は、教室全体の空気も重くしている。限界まで膨らんだ風船の前にいるかのように、ほとんどの生徒が体を強張らせたまま動かなかった。


「どうです? 臣にして友。あたくしの腹心は中々優秀でしょう」

 しかし、池田だけは場慣れしている。幼い頃から舞台で活躍してきた池田には、教室の緊迫感を楽しむ余裕すらあるようだ。

「どうやら、あたくしたちの勝利のようですわね。中々美味な娯楽でした。敗戦の弁があるなら聞いてあげてもよろしくてよ」

「ちょっとタイムしてトイレに行ってもいいかな?」

「……もう少しだから我慢してくれないかしら」

 ルル子の緊張感の無い要求を池田が拒否した直後。由利のエアリアルデバイスから雄牛のアバターが飛び出し『約定したぜ』と、太い声で言った。

 危なかった。由利の小さな呟きを、ルル子は確かに聞いた。

「由利君?」

「安心して、伊吹さん。それと色々心配をさせてごめんね。現在値だけに注目してしまい、その裏にある情報を見落としてしまう。投資の初心者が陥りやすい悪い点だ。僕が最初から彼らの含み資産までをチェックしておけば、ここまで追い込まれることも無かった」

 残り時間が少ないのに、由利は落ち着いている。質問をしようとしたルル子を、来島の声が遮った。

「フッ。この期に及んでもまだ強がっていられるのか。俺達のLC交換に気付かなかった事が貴様らの敗因だ。もはや打つ手が無いだろう」

「うん。反省した。来島君には勉強させてもらったよ。LC決闘をする時は、値段だけで判断せず、面倒でも賃借対照表たいしゃくたいしょうひょうに目を通したほうがいい」

 ルル子は首をかしげた。早口言葉のような経済用語だ。ルル子の知識には無い単語だった。


「賃借対照表ってなに?」

「バランスシートといってね。簡単にいうと、資産と負債を合わせた総資産を知ることができる財務諸表さ。自分のLCを向上させることしか考えない、投資に興味を持たない人には無関係な代物だが、投資家にはとても重要な情報を与えてくれる」

 由利が四季報をめくり、ルル子のバランスシートを表示した。そこには、さっちんやリサ達とのLC提携状況が細かく記載されていた。

「このように、LC変動の外部要因の大半を確認することができるのさ」

「ええい、それがどうしたっ!」

 由利は話に割り込んできた来島を見て、言った。

「僕のLCがなぜマイナスなのか、理由をきちんと考えてみたかな」


「ああん? それはっ、貴様が無能だからっ……」

 来島は焦りをぶつけるかのように叫んだが、直後に口を閉じた。

 来島は自分の誤解を悟ったのだろうと、ルル子は察した。同時に、ルル子もまた、由利という人物を頭の中で再評価しなおした。

 ルル子は直感だけで由利と共に戦うことを決めたが、そもそも最初の疑問である、聡い雰囲気の由利のLCがマイナスという違和感。そのアンバランスな謎についての答えを未だに得ていない。

「LCがマイナスの理由……。バランスシート……。貴様の持つ投資の知識……」

 来島のキツネ目が、大きく見開かれた。

「気付いたようだね」

「まさか、信用取引か?」


「その通り。マターと信用取引の契約をすると、自分のLCを担保にして、銀行から融資を受けるかのごとくマターからLCを借りられるようになる。するとレバレッジを効かせた取引が可能になるのさ。しかし、取引中はマターから信用取引で借りているLCの数パーセントを金利として支払わなければならなくなってしまう。そこの部分だけは借り受けとして赤字になるんだよね。つまりは、自分が持つ全てのLCプラス信用取引で投資活動をしていると、どうしても現在値が赤字になってしまうのさ。池田君たちのLC交換が現在のLCに反映されてなかったように、僕の真のLCはバランスシートを精査しなければ分からなくなっていたんだよ。そしてつい先ほど、僕は取引を決済した」

『由利主税。LCはどうする?』

「そのまま現在値に反映させてくれ。再投資はしない」

『わかった』

 由利が雄牛のアバターに言うと、由利のプライスボードが浮き上がり、由利のマイナスのLCが一気にプラスになった。

 ルル子は由利のLCを当惑しながら声に出す。

「一、十、百……え、なにそれ」


 由利主税 301,000 LC


 上昇の停止した由利のLC。それは、クリスタルチルドレンと呼ばれる池田のLCすらも上回っていた。

「なっ、なんだあのLCは!」「何者なの、由利って奴」

 蜂の巣をつついたような騒ぎになった教室の中で、由利がルル子の耳に口を近づけ、大声を出した。

「言っただろう。伊吹さんは僕と組んだ時点で勝利が決まっていたのさ」

 由利がルル子のエアリアルデバイスに右手のひらをかざした。

「アライアンス!」

 由利のLCとルル子のLCが提携される。それが終わった瞬間に、LC決闘の終了時間が訪れた。


 伊吹ルル子 (連) 594,000 LC


 池田幸 (連) 329,000 LC


『デュエル終了。勝者伊吹ルル子。池田幸の提案は否決されました』

 プライスボードから合成音声が教室に響くと同時に、ルル子は抱きついてきた女子の支援者に押し倒され、もみくちゃにされた。

          



 小よく大を制す。こうしてルル子は、池田の強権政治の始まりを未然に防ぐと共に、自身がアイドルとして恥をかく未来を阻止することにも成功した。ルル子がおんぶにだっこの状態で、ほとんどの手続きを代行してくれた男は「まぎれも無い伊吹さんの才能だよ。僕の用意したLCだけでは、池田君達に勝てなかった。伊吹さんの求心力があったからこそ、最後には圧勝できたんだ。他人を思いやる人の下には、たくさんの人が集まる。僕もそのうちの一人だったってだけさ」と、きれいに話をまとめて終わった。

 池田らとも和解し、ピリピリした空気も和み、ルル子の平凡な中等部生活はまったりとスタートする。

はずだった。


『クリスタルチルドレンの池田がGに倒された』


 ルル子のあずかり知らない所で、ルル子の急激なLC上昇という情報は、乾学園全体に広まっていた。ルル子は後にリサから伝え知ることになるのだが、乾学園全体には、投資家タイプの生徒向けに『LC値上がり率ランキング』という情報がリアルタイムで公開されていたらしい。午後にはルル子に対する投資を申し出る者がイナゴのように現れた。

 買いが買いを呼び、マネーゲーム化したルル子のLCは、あれよあれよという間に1,000,000直前まで膨れ上がっていた。

 その影響は、ルル子とLC提携をしていた仲間にまで波及。特にさっちんはミラクルだった。一番最初にルル子とLC提携したさっちんは、ルル子のLC上昇率ボーナスから得た恩恵だけでもすさまじかった上に、ルル子関連銘柄の筆頭とまで呼ばれるほど人気者になった。最もLCが割高だった由利には買いが集まらなかったが、割安だったルル子のLC提携仲間は、ルル子と連動して爆発的に値上がりを続けた。


 大国の大統領の隠し子らしい。闇で武器商人をしているそうだ。国家機密を握っている。マターの開発を統括した天才だとか。やがてルル子に関する冗談のような風説の流布が飛び交い始めた頃。ルル子バブルは弾けて終息に向かった。

 しかし、それでもルル子には何かがある。そう考えた投資家は多いらしい。結局、ルル子のLCは四十万前後で落ち着き、今も少しづつ上下に振れている。


「それは仕手株という現象でね。破綻する心配の無い超低位株を安い段階で買い占めて、値を吊り上げて提灯がつき、大騒ぎになってから売り抜けて利益を得るって戦術さ」

 LCが三十万を超える者しか立ち入りを許されない、乾学園中等部最上階のカフェテリア『セブンピラー』の窓際の席に、ルル子は座っていた。

 目の前にいるのは、生徒会副会長。中等部の始業式で演説をしていた眼鏡の女生徒だった。

 別世界の人間だと考えていた相手だが、池田とのデュエルでルル子の器は磨かれつつ鍛え上げられた。上位のクリスタルチルドレンと一対一で向き合おうとも全く萎縮していない。


「なるほどねえ。話を聞いた限りでは、由利は池田の方針に反発して君に協力したようだが、本心は違うところにあったのかもしれないな」

「はい? そんなはずは無いと思います。由利君は純粋にクラスメートのためを考えて立ち上がったと……」

「甘いな君は。まあ、その甘さが君の長所であり求心力の源なのだろう。人望を持つ者のところには、不思議と優れた部下が集まる。君は劉備のように成り上がる運命なのかもしれない」

「そんな……。買いかぶりすぎですよ。あたしのLCは既に天井に頭をぶつけました。これ以上目立つような出来事は起こりません」

 ルル子とのLC決闘に敗北した池田は、学級委員の立候補も辞退した。空いた席には、なぜかところてんのように押し出されたルル子が座らされ、そのまま今に至っている。

 仕事にも慣れた現在、副生徒会長から呼び出されたルル子は、これが学級委員としての仕事の呼び出しではなくて、池田との騒動の事情聴取であると気付いた。


「あの。池田君との出来事は、副生徒会長には無関係ですよね。そろそろ午後の授業が始まるので戻らないといけないのですが……」

「フフ。噂通りか。君は真面目になったそうだなあ。成績もぐんぐん上がっているようだし。立場が人を作るというが、君はLCに向かって成長するタイプだな」

 副生徒会長はルル子を教室に帰そうとしない。なんだかんだと話を引き伸ばしルル子を足止めしてくる。


 ルル子はたしかに成長していた。よく食べよく眠り、授業では決して居眠りをしなくなった。朝は予習とジョギング。夜は復習と護身術中心のトレーニング。心技体とバランスよく自分を研ぎ続けて、生まれ変わったかのように全ての能力が高まっている。生活に誰よりも厳しい規律を取り入れたのだ。

 LCが四十万。それは、生涯年収で四十億円を稼ぎ出すべき人として、ルル子に投資している人がいるということ。

 周りから受ける期待を裏切るわけにはいかない。仲間を失望させたくない。自分のためではなくて、他人のため。クラスメートや自分に投資する人のためにと、ルル子の努力は続いていた。


「まあ落ち着いてくれ。別に君と池田のLC決闘は、私に無関係だったというわけではないぞ」

 椅子から腰を半ば浮かしていたルル子は、副生徒会長の言葉で再び座り直した。

「どういう意味ですか?」

「由利が最後に換金したLCは、私に投資していた300,000LCだ。ようするに彼は、私と縁を切り、君に投資対象を乗り換えたということさ」

 副生徒会長がエアリアルデバイスを開いた。シャム猫のアバターがモニターを拡大させる。言葉を裏付けるかのように、噂で聞いていた副生徒会長のLCから相応の価値が引かれていた。

「由利君は副生徒会長のことを知っていたんですか?」

「ああ。それなりに古い付き合いだ。君は由利が第一学区にいた頃の彼の二つ名を知らないのかい?」

「二つ名?」

 副生徒会長は立ち上がると、腰をひねりながらイナバウアーのように反らし、左手を変な角度に曲げ、薬指と小指の間にある右目だけでルル子を見た。

不死鳥フェニックス孵化ハッチャーさせる者」


 ルル子は微妙な衝撃を受けた。

 副生徒会長のとっているポーズは、由利がLC決闘が始まる前にとっていたポーズと同じだった。

 このポーズはおそらく、彼自身のきめポーズだったのだ。

 自意識過剰なヒーローが名乗りながらやるような。

 由利君、あなたはそういうキャラだったんだね。ちょっぴり痛い系だったんだね。

 でも嫌いじゃないよと、ルル子は頭の中で由利を応援した。

「さすがに中等部に上がって、彼もそういうキャラから脱却したようだな」

 完全には抜け切っていない。もうちょっと時間がかかりそうです。ルル子は思ったが、由利の名誉のために黙っておいた。


「フェニックスを孵化させる。ようするに彼は、マターにすら見抜けない、額面割れしている埋もれた原石に投資して、その殻を破らせる事を得意とするタイプの投資家だったのさ」

 シャム猫のアバターが肉球を使い、過去のデータを表示させた。そこには、副生徒会長のLC推移がチャートとして載っていた。

「私も元は額面割れ。Gだった。彼から受けた投資を元手に成長したのだよ」


 最安値、LC53。生涯年収、五十三万円。

 副生徒会長の数年前のLCは、ルル子すら下回っていた。


「乾学園で信用取引口座を開設するには、三年以上の投資経験が必要でね。なおかつマターの審査に合格した者だけに認められる制度なんだ。私が由利と出会ったのは、私が初等部六年生で、彼が初等部四年生の時だった。その時点で彼は自身のLCを信用取引でフル回転させながら、薄氷を踏むような投資を繰り返していた。ということは、初等部入学直後からLC投資を経験していたことになる。私を助けた直後にあいつは『世の中を創っていくのはいつだって投資家さ』と笑いながら言ってたが、私の目には、由利は革命家に見えたな。だが、派手に稼ぐと嫉妬を買うもの。第一学区で敵を作り過ぎた事により、彼は急速に変わったと聞いたことがある。それ以降は、自分のLCを低く見せかけ、投資活動が目立たないように工夫を凝らしていたそうだ」

「ということは、普段から信用取引の金利支払いでLCをマイナスに見せていたのは、元から計算の上だったのですか?」

「そういうことさ。相場には『買いは処女のごとく、売りは脱兎のごとく』という格言がある。安い銘柄を買う時は目立たずこっそりと。売り抜ける時は素早く動け。優れた投資家というものは、常日頃から目立とうとはしない。周囲に狙いを見せないように工夫しているものなのだよ」

「へえ……、ん?」

 ルル子はそこで、胸にできた違和感に気付いた。

 もやもやとした爛れた手のようなものが、ルル子の心に絡まってくる。


「先ほどおっしゃられてた、由利君の本心……。ということは、副生徒会長は、由利君はあたしを助けるために動いたわけじゃなくて、処女のごとくこっそりと、あたしのLCを買い占めるために動いたと言いたいんですか?」

 副生徒会長は、悪魔のように笑った。

「私の推測だがな。君は単に、出汁に使われただけだと思われる」


 副生徒会長の笑みが、鎖になってルル子を縛りつけてきた。ルル子はそれを払いのけたくて、言葉を連ねた。

「そんなの副生徒会長の邪推でしょう。何か根拠があるんですか?」

「ある。LC決闘の勝利条件さ。由利ならば最初から一人で池田達三人に勝てる戦略を組めていたはずだ。そこに君が手を上げた。目立つことを嫌う由利は、君の立候補をこれ幸いと利用して、協力することにしたのだろう。そうでなければ、LC決闘の対戦を君と池田に限定させた意味が無い。由利と池田が対戦する形でもどうせ最後には勝てたのだろうから」

「うっ、それは、あたしのほうが由利君よりもLCが高かったから……」


 ルル子は口を開きながら、自分の言葉の矛盾に気付いた。ルル子と由利のLC差はおよそ4,000。知識の豊富な由利のことだ。最初から学園四季報スクールレポートで池田の総LCに当たりをつけていただろうから、最後は何十万というLCの戦いになると気付いていたはず。たった4,000LCの差なんて無いようなものと知ってて当然だ。

『まあ、LCがマイナスの奴よりは、Gのほうがまだましだわな』

 ルル子はあの時、井川の言葉を聞いて、自分が代表者になることを納得した。だが、たしかに副生徒会長の言う通り、別にルル子を代表者にさせなくとも、由利は勝てたかもしれない。

 いや。勝てていた。あたしがいなくても、由利君ならば。

 ルル子がそう確信できるほど、由利は引き出しの全てを未だ見せていない。


 だが、ルル子は更に抗った。

「いやいや。違いますよ。LC決闘で勝てたのは、あたしを支持してくれた仲間がいたからです。副生徒会長も言ってくれたじゃないですか。あたしには求心力があるって。フェニックス・ハッチャーの由利君は、Gだったあたしに投資価値を見出したからこそ、代表者に立たせて殻を破る手伝いをしてくれた。それに目立つことを嫌う由利君が、たった一人で池田君たち三人と向かい合うわけがないと思います。たぶん、副生徒会長の殻を破らせてくれた正義の投資家である由利君は、今も健在してますよ」

「第一学区の知人から、由利の卑劣な噂話をいくつか聞いている。以前に由利は『自分が稼ごうとするよりも、首輪をつけた犬に稼がせるほうが効率がいい』と言っていたそうだ」

「犬?」

「そう。もしかしたら、君のクラスの中にも、由利から首輪をつけられた犬がいたのかもしれない。君が立ち上がらなかったら、そいつに合図を送り立たせていたのだろう。そしてLC提携で勝利させて、仕手株として化けさせる。君のようにね」

「は? っていうことは……」


「君にLC提携を申し出た仲間とやらは、全てが由利の飼い犬だったと思われる」


 副生徒会長の言葉は、ルル子の呼吸を驚きで詰まらせた。吸い込めるだけで、吐き出すことができなくなる。

 さっちん。リサ。その他の仲間達。自然に生まれ、束ねたはずの絆。あの全ての輝きが偽りだったとしたら。

 ルル子はショックで椅子から崩れ落ちそうになるのを我慢して、副生徒会長と向き合い続けた。


「池田とのLC決闘。立場を断定できるのは、池田に歯向かった君と、はっきりと由利に抗った来島の二人だけだね。自分のLCを隠しながら生活したいと考える由利にとって、来島の肉薄だけは計算外だったと思う。特にラストで来島が第四ダンス部のバスケット買いを手仕舞い、なけなしの30,000LCをLC決闘に放り込んできた事は由利をとても苦しめたはずだ。私に投資しているLCを売りさばける確証も無かっただろうしね。それ以外の生徒は全てが灰色と言えるだろう。池田すらもな」

「それはさすがに……」

「由利は一儲けするために『クリスタルチルドレンが倒された』というニュースだけを作りたかった。ダンスの啓蒙以外の些事に関心の薄い池田は、由利の提案を内密に受けた。ただし忠臣である来島と本気で闘うことを条件としてね。池田にそのような素振りを感じたことはないかな?」


 副生徒会長に言われて、ルル子は記憶を手繰った。

 たしかに一理ある。池田は終始結果を見透かしたかのような享楽的態度であったし、来島の成長を望んでいるようでもあった。


『あなたの申し出、受けてもいいわ。ただし来島さんと正面から闘って勝ってみせなさい』

『ありがとう。けど勝負にならないと思うよ? 君の副官はまだまだ青い』

『色々な経験を積ませたいのよ。それと彼を侮ると足をすくわれるわよ』

『ははっ。谷に落として這い上がらせたいんだね。いいだろう。鍛えてあげるよ』


 由利と池田が楽しそうに密談する光景が、ルル子には想像できた。

 更に、それが事実だった場合、別の疑問が氷解する。

 LC決闘で敗北した池田や来島のLCが下がらなかった点だ。


 Gに倒されたクリスタルチルドレン。その汚名は、池田の確定している輝かしい未来に水を差すはず。それにLC決闘で由利に秘密を暴かれた来島はクラスメートからの評判を大きく下げた。

 しかし彼らのLCは十パーセント以上の下げを見せなかった。

 ということは、だ。


 マターは事前に、池田の負けを予期しており、池田が惨敗した展開のLP変動を既に織り込んでいた。

 その可能性がとても高い……。


 ルル子は頭の中で、副生徒会長の言葉と自分の推理を整理した。LC決闘が全て、由利により動かされたものだとしたら。

 ルル子のあずかり知らぬ所で、由利は仲間いぬを使い、LCを荒稼ぎしていた。

 気持ちの上では由利を信じたい。だが、由利ならば可能だと思える。副生徒会長の言っている、マッチポンプの仕手株相場で利益を得てほくそ笑む。そんな由利の姿も、ルル子は想像できた。


『お飲みなさい。落ち着くわよ』

 副生徒会長のアバターのシャム猫が、新しく運ばれてきたミルクティーを示して、ルル子に声をかけてきた。首輪には『チェシャ』と名前が彫られている。ルル子が使っている初期設定のままのラッコとは全然違う。動きが滑らかで解像度も高く、高貴で妖艶な雰囲気だ。

 垂らされたミルクが作る渦のように、ルル子の考えはうまくまとまらない。ミルクティーに口をつけて息を吐き、その熱で胸を落ち着けた。


「こんな小話がある。『世界で一番賢い奴が、どこにいるか知ってるかい。ウォール街で戦争や革命を起こしながら利益を得ているのさ。二番目の奴もそう。三番目から七番目あたりまでは、そのおこぼれを頂いてる。八番目あたりまで落ちてしまうと、自己主張を始めて大国のトップに立ったりしてしまう』。いつだって大衆は、自分が動かされているということに気付いてないのだよ」

 副生徒会長は長い髪をかきあげながら、エアリアルデバイスを閉じた。話を終えるつもりのようだ。


 ルル子の頭の中は未だに麻痺している。

 全ての出来事に意味があったのかもしれないが、無かったのかもしれない。

 全ての結論が出せないと悟った不安。ルル子はマターの悪意を知った時と似たような感覚だと思った。


 乾学園というウォール街。それを統括するマターという世界。

「恐いですね。未知の自然に放り出されたみたいです」

「その通り。投資とは恐ろしく、相場とは数字で成り立つ自然のようなものなのさ。秋の山は豊潤な恵みもたらし、冬の魚は脂を多く蓄えている。知識を持ち敬う者に、自然は恒久的な実利をもたらす。しかし、時機や備えを誤ったまま踏み入ってきた驕れる者に、自然は容赦なく死という鎌を首にあてる」


 由利はかつて、ルル子に言った。他人を思いやる人の下には、たくさんの人が集まると。

 そのセリフは、頭の弱い獲物にはたくさんの獣が寄ってきて、いずれはかじり殺されてしまうと言い換えることもできる。


 乾学園。この場所では本能をLCとして目視できる。多数の羊と一握りの狼が住まう弱肉強食の世界。

 本能だけで形成された野生という場所では、毎日のように善良で罪のない草食動物の赤ん坊が犠牲になっている。


 あたしは由利君の何を知っているというのだろうか。恋心だけに流されてしまい、彼は善良であると盲目的に信じてしまっていた。

 いや、信じていたかっただけなのだ。


 由利君が肉を食べる側ではないと、無垢なままに願っていたあたしは、まるで群れからはぐれた家畜。

 学生という庇護下の世界で万能と思いあがり、ひとときの開放的状況に浮かれて、凍った湖の上ではしゃぎ回り、転んで骨折する直前のロバのようなもの。


 その瞬間。ルル子の心から甘えが抜けた。

 同時に、胸に芽生えた野望への飢餓から、灼熱の闘志が注がれてくる。


「レゾンデートルを手にしたか。邪魔な殻を砕いたようだな。どうやら君は、劉備ではなく曹操なのかもしれない」


 副生徒会長がルル子の頭の上を指さしている。

 見なくてもルル子には分かった。LCが上昇して、黒い↑が出ているのだろうと。


 ルル子は決意した。マターに逆らうのではなく、マターをルル子の意で染めようと。

 掟と秩序を築く。そして学園に濁り無き統制を布こう。

 穏やかなる治世。清らかなる世界を目指して。

 弱者は力で抑え込み、強者は謀略で飲み込もう。

 不可避の敵は罠にかけて膝を折らせる。

 難敵ならばそそのかし潰し合わせる。

 志ある者は配下に従え、わたしの正道への随従ずいじゅうを許そう。


 LCを集め続け、この学園を尊き理想郷へと変えてみせる。

 孤独は恐れない。ただ上を向き進むのみ。


 別れ際。副生徒会長はルル子の背中に言った。

「生涯収入が表示される学園を投資術でのしあがれ!」


 覚醒したルル子が魔神化していく過程を見たい方、ポイントください。続きを書く気になるかもです。

 筆者はマネーゲームで生計を立ててるので、ネタは豊富です。

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[気になる点] 読み方わかってるのに何で漢字を間違っているのか……。 たいしゃくたいしょうひょうの漢字は貸借対照表ですよ。「賃」じゃなくて「貸」です。
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