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第1話 修学旅行

俺は高校二年の12月、紅葉が散り尽くし、冷たい風が頬を刺す冬の始まりに、極々普通の公立高校の定番行事である修学旅行で京都にやってきた。


空は厚い雲に覆われ、薄暗い光が石畳に反射して、どこか寂しげな雰囲気を漂わせている。


吐く息が白く舞い、制服のズボン越しに感じる冷気が膝を硬くさせる。


京都の街は、観光ポスターに映るような燃えるような紅葉や、華やかな着物姿の女性が歩く風情ある風景とはかけ離れていた。


代わりに、枯れ枝が風に震え、灰色の建物が静かに佇む、わびさびを通り越した侘しさが広がっている。


なぜ冬の修学旅行なのか。


その理由は単純で、秋が京都にとって「トップシーズン」だからだ。


世界中から観光客が押し寄せ、ホテルの予約は取り合いとなり、料金は普段の倍以上に跳ね上がる。


『オーバーツーリズム』


最近よく耳にするこの言葉が頭をよぎる。


外国人観光客には笑顔で手を差し伸べ、日本人には「来るな」と言わんばかりの流行語だ。


京都はその象徴だった。


地方に暮らす俺たちにとって、古都・京都を訪れる貴重な機会は修学旅行しかない。


それなのに、オーバーツーリズムの影響でホテルの値段が跳ね上がり、予算オーバー。


結局、観光客が落ち着く12月にずれ込んだ。


紅葉はすでに散り、わびさびの風情は半減し、ただ寒々とした空気が残る季節だ。


中学校三年の修学旅行も京都だった。


二年ぶりに訪れるこの街は、どこか懐かしくもあり、どこか冷たくもあり、それでも「修学旅行」という響きだけで胸が自然と高鳴った。


茨城県の公立高校では、飛行機の使用が解禁されて数年が経ち、沖縄や北海道を選ぶ学校が増えていた。


けれど、うちの学校は生徒のアンケートで京都を中心とした関西コースに決まった。

家族旅行も悪くないが、友だちとの遠出には特別な興奮がある。


地元の高校生活は、腐れ縁の古い友だちに囲まれ、不満なんてほとんどなかった。


いや、不満がないからこそ、この旅が余計に楽しみだったのかもしれない。


修学旅行二日目。


グループ行動の日だ。


俺たち男女混合8人は、予定になかった寺を訪れていた。


その寺は創建700年の記念イベントとして、秘仏・大観音菩薩像を特別公開しているという。


次にいつ公開されるかわからない、まさに「今しか見られない」仏像だ。


ガイドブックにも載っていないこのチャンスに、急遽予定を変更し、並んででも見ようと決めた。


冷たい風が境内の松の木を揺らし、枯葉が足元でカサカサと乾いた音を立てる。


長い石段を登りきった先には、黒々とした木造の本堂がどっしりと構えていた。


屋根の瓦は苔むし、長い年月を物語るように少し欠けた部分もある。


本堂の脇には、参拝者の列が設けられていた。


意外と長く、50人ほどが静かに並んでいる。


観光客というより、地元のお年寄りや、俺たちと同じような修学旅行生らしきグループが目立った。


俺たちの前には、制服の襟を立てた男子生徒が3人、寒そうに肩をすぼめながら小声で何か話している。


後ろには、厚手のコートを着た老夫婦が、手を握り合って時折小さく笑いながら思い出話をしているようだった。


その穏やかな雰囲気が、冷たい空気を少しだけ和らげてくれる。


「ラッキーじゃん!」


小学校からの付き合いの貴志が、目を輝かせて声を上げた。


そばかすだらけの丸い顔が、子供っぽい笑顔でいっぱいになる。


俺より背が低く、いつも少し前のめりに歩く癖がある貴志は、こういう場面でテンションが跳ね上がるタイプだ。


その声が境内に響き、少し離れたところで線香を手に持つおばさんがチラリとこっちを見た。


少し恥ずかしくなるが、貴志は気にしない。


「400年ぶりの一般公開らしいから、パワーも蓄積してるんじゃね?」

貴志がさらに続ける。


その言葉に、俺は首をかしげる。


400年間、外から拝まれてきた人には御利益がなかったのか?


そんな疑問が頭に浮かぶが、口には出さない。


貴志の馬鹿っぽいノリが、この寒い空気を少しだけ温かくしてくれる。


「ははっ、なんのパワーだよ?」


俺は笑いながら返す。


風が強くなり、制服のズボンが腿に張り付く感覚が少し不快だ。


貴志は鼻を鳴らして笑い、


「いや、ほら、神秘的なパワー的な?」


と適当なことを言いながら肩をすくめた。


「400年の眠りから覚めし力、世界を混沌の闇へと帰してくれる!」


今度は智也が大げさに声を張り上げた。


長い前髪をかき上げ、厨二病全開のポーズまで決める。


背が高く、細身の体を少し曲げて、まるで舞台の役者みたいだ。


その大仰な言い回しに、列の前の方にいた女子高生らしきグループが振り返り、クスクスと笑うのが聞こえた。


早くその病が治るといいな、と心の中でため息をつく。


「おいおい、それって大観音菩薩様に失礼だっぺよ」


国光が茨城弁丸出しで割り込む。


坊主頭に丸い顔、がっしりした体格の国光は、いつもこんな調子だ。


少しは方言を隠す努力をしてくれよ、と内心で思うが、まあこいつらしい。


その言葉に、貴志が、


「んだな~」


と相槌を打つ。


お前も方言やめろよ、と突っ込みたくなるが、場の空気が緩んでいくのがわかる。


「400年って言ったら戦国時代末期だよな~」


貴志がまた口を開く。


その言葉に、俺の頭の中で歴史の授業がフラッシュバックする。


400年前といえば、関ヶ原の戦いや、本能寺の変の少し後くらいか。


「豊臣秀吉が羨ましいよな~」


智也がニヤリと笑う。


その笑顔に、何か企んでるような気配を感じる。


「何でだよ?」


俺は聞き返す。


冷たい風が耳元を通り過ぎ、首筋が少し縮こまる。


「だって、豊臣秀吉と言えば日本史史上最強ハーレムキャラだろ」


智也が得意げに言う。


その言葉に、列の少し前で立ち止まっていた別のグループの女子が振り返り、またクスクス笑う。


恥ずかしさがこみ上げるが、智也は気にしない。


「そうか? 江戸時代の大奥はカウントしないのか?」


俺は少し意地悪く返す。


歴史の授業で習った大奥の厳しい制度を思い出しながら、秀吉の「自由さ」と比べるとどうなんだろう、なんて考えが浮かぶ。


大奥は確かに人数は多かったけど、制度が厳しくて自由には程遠かったらしい。


秀吉の方がヤリたい放題だったのかもな、なんて一瞬思う。


「本当、男子って馬鹿よね~」


隣に立つ萌香が呆れたように言う。


絵に書いたような幼馴染み、隣の家に住む萌香は、長い黒髪をポニーテールにまとめ、冷たい目で俺たちを見ていた。


その視線に、少し背筋が伸びる。


萌香の声は低く、少しハスキーで、いつも俺たちを冷静に見下ろすような響きがある。


小学校の頃からずっと一緒で、俺の恥ずかしい過去も全部知ってるあいつがそんな目で見ると、妙に気まずい。


「うるせ~! 男子ならみんなハーレムに憧れるもんだよな! なっ、真琴!」


貴志が俺の肩をバンと叩く。


その衝撃で、冷たい空気が肺に流れ込み、少し咳き込む。


「まぁ~って、ごほんっ、俺にそんな話振るなよ」


咳き込みながら誤魔化す。


本当は少し興味あるけど、そんなこと言えるわけない。


頭の中で、歴史の偉人たちがどんな暮らしをしてたかなんて想像が膨らむが、それを口に出したら貴志や智也にからかわれるだけだ。


「うわ~真琴君もハーレム欲しいんだぁ~」


佳代ちゃんがからかうように言う。


ショートカットの髪が風に揺れ、ニコニコした顔がこっちを向く。


佳代ちゃんはいつも明るくて、こういう場面で空気を和ませてくれる。


でも今は「違うんだよ」と心の中で叫ぶしかない。


「こいつの持ってるライトノベル、異世界ハーレム物ばっかりだぞ。しかも巨乳ロリヒロインばっかり出てくるイラストがどエロいやつ」


貴志が暴露する。


お前、内緒って約束だっただろ!


貸してやったのに裏切り者か!


顔が熱くなり、周りの視線が刺さる気がする。


実際は誰もそんなに気にしてないかもしれないけど、恥ずかしさが収まらない。


貴志の口の軽さには困ったもんだ。


列が動き出した。


参拝者の足音が石畳に響き、俺たちの順番が近づいてくる。


冷たい風が一瞬止み、境内に静けさが戻る。


「こちらの中は大変暗くなっています」


お堂の入り口で、若いお坊さんが穏やかな声で案内を始める。


20代後半くらいだろうか、丸顔に柔和な笑みを浮かべたその姿は、どこか安心感を与える。


袈裟の裾が風に揺れ、静かに手を組んでいる。


「大観音菩薩像を紫外線の劣化から守るため、また、大変神聖な場所であるため、ライトは最小限しかありません」


風が止み、境内の空気が一瞬静まり返る。


お坊さんの声だけが響く。


「一人一人、壁を伝いましてゆっくりとお進みください。本堂の地下をお進みいただくと、当寺の御本尊、大観音菩薩様がおられます」


俺たちの後ろで、小さな子供が母親に、


「暗いの怖い」


と囁く声が聞こえた。


その声に、少しだけ緊張が走る。


「私語を慎み、心静かに合掌してください。きっと皆様の願いをお聞き届けくださいます」


お坊さんが一呼吸置いて、ニコリと笑う。


「ただし、青少年の皆様、流石にハーレムをお願いするのはお慎みいただいた方がよろしいかと思います」


参拝者の列からクスクスという笑い声が漏れる。


俺たちの会話を聞いていたのか?


顔がまた熱くなり、貴志が肩を震わせて笑いを堪えているのが見えた。


智也は、


「うわ、マジかよ」


と小声で呟き、萌香は、


「ほらね」


と溜息をつく。


お坊さんのユーモアに、場の緊張が少し解けた気がした。


「合唱だってよ! 何歌う? カエルの歌か?」


貴志がふざけて言う。


その声が少し大きすぎて、後ろのおばあさんが、


「しっ」


と小さく注意する音が聞こえた。


「馬鹿、違う。合掌だよ、手を合わせて祈るってこと」


俺が小声で訂正する。


貴志の馬鹿さ加減に呆れるが、こいつのこういうノリが嫌いじゃない。


「ジョーダン、ジョーダン、マイケルジョーダン」


貴志がさらにふざける。


智也が、


「懐かしすぎだろ」


と笑い、国光が、


「ほら、貴志ふざけんなよ」


と肩を叩く。


俺たちの順番が来た。


ふざけた話をしていた友だちも、場の空気を読んで口を閉ざし、お堂の中へ足を踏み入れた。


お堂の中は、真っ暗だった。


一歩踏み入れた瞬間、外の冷たい風が遮断され、代わりに古い木の香りが鼻をついた。


足元の板が微かに軋み、その音が暗闇に吸い込まれる。


本当に何も見えない。


夜の自分の部屋なら、電気を消してもスマホの充電ランプやエアコンの小さな光がある。


薄暗い中でも、部屋の輪郭がぼんやり浮かぶ。


でもここは違う。


目を凝らしても、自分の手さえ見えないほどの闇だ。


少し目を閉じて開いてみるが、何も変わらない。


暗闇に慣れるなんて嘘だ、と初めて気づいた。


前には貴志、後ろには萌香がいるはずだ。


貴志の荒い鼻息が聞こえ、後ろからは萌香の制服の裾が俺の背中に触れるかすかな感触があった。


いや、触れているのか?


暗闇が感覚を狂わせる。


それでも、その微かな存在感が、俺を一人じゃないと思わせてくれた。


壁に触れた手のひらが冷たく、指先が少しずつ痺れてくる。


ゆっくり、ゆっくり進むしかない。


お坊さんの言葉通り、壁を伝いながら一歩一歩踏み出す。


どれくらい歩いただろう。


時間も距離もわからない。


暗闇がすべてを飲み込んでしまう。


足音と息づかいだけが響き合い、まるで自分の心臓の鼓動が耳に届くようだ。


すると、ふと異変に気づいた。


萌香の気配が消えている。


背中に感じていた微かな感触が、いつの間にかなくなっていた。


いや、気配どころか、貴志の足音も聞こえない。


暗闇が俺を飲み込んだのか?


小さく声を出してみる。


「な、貴志いるよな?」


返事がない。


おかしい。


こいつなら、こういう場面でもふざけて声出すはずだろ?


少し不安が胸を締め付ける。


「おい、貴志? 萌香?」


今度は少し大きく。


それでも、返ってくるのは沈黙だけ。


心臓がドクンと跳ね、喉が締まるような感覚が広がる。


はぐれたのか?


一本道のはずなのに、迷路なのか?


大観音菩薩像はまだなのか?


おかしい、おかしい、おかしい。


頭の中でその言葉がぐるぐる回る。


足を止められない。


進むしかない。


そう思って歩き続けると、遠くから声が聞こえた。


「オヤカタサマ~」


親方様?


誰だ?


でも、誰かがいるなら出口が近いのか?


安堵の息が漏れる。


壁に伝いながら声の方へ進むと、小さな赤い光が揺らめくのが見えた。


襖のような引き戸が、その光に照らされている。


これを開ければ――。


「ぬははははは、この信長、光秀ほどの者に殺されるなら良かろう、是非に及ばず」


聞き覚えのある声が、暗闇の向こうから響いてきた。


その声に、背筋が凍りつく。


信長?


織田信長?


何だこれは。


俺はどこにいるんだ?




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