茶々視点外伝大津城暮らし編・①⑥②話・御主人様は悪くないのに悪い
女だけの座を開き、私は一つだけはっきりと理解した。
黒坂家の内にいる女たちは、皆それぞれ違う形で真琴様へ寄っている。
桜子たちのそれは忠義と敬愛に家族への情が混ざったもの。
お江のそれは甘えと信頼そのもの。
お初は……あれはまだ本人が整理出来ておらぬので、今は脇へ置くしかない。
だが、いずれにせよ、このままでは外から勝手な名を付けられる。
そして厄介なことに、そうした女たちを引き寄せている張本人は、当の本人にまるで自覚がない。
ゆえに、その張本人へ話を通さねばならぬ。
私は夕刻、真琴様の部屋へ向かった。
囲炉裏の火は、相変わらずよく燃えていた。真琴様は火の近くに陣取り、書付を前にしていたが、私が入るとすぐに顔を上げた。
「茶々。なんか、覚悟決めた顔してるね」
「ええ。決めました」
「それ、たいてい俺に都合の悪い話だよね」
「よく分かっておられるではありませんか」
私は向かいへ座し、間を置かず切り出した。
「御主人様。城内で起きている“妙なハーレム化”について、お話があります」
真琴様は、その一言で見事に固まった。
「……え?」
「聞こえませんでしたか」
「聞こえたけど、今、茶々、“ハーレム”って言った?」
「申しました」
「なんで!?」
私は心の中で小さくため息をついた。
やはり、この方は本当に自覚がない。
「御主人様のまわりに女が集まりすぎているのです」
「集めた覚えはないんだけど」
「そこが問題なのです」
真琴様は囲炉裏の火を見、それから私を見た。
「えっと……桜子たちのこと?」
「桜子たちも、お初も、お江も、ついでに母上様まで含め、皆が御主人様の近くで自然に息をしております」
「母上様まで入るの!?」
「論点はそこではありません」
真琴様は額を押さえた。
「いや、でも、ちょっと待って。俺、別に誰かを囲おうとか、そういうつもり全然ないんだけど」
「それも知っております」
「じゃあ、なんでハーレム化になるの」
「御主人様が女を拾う体質だからです」
ぴしゃりと言い切ると、真琴様は本気で嫌そうな顔になった。
「それ、ひどくない?」
「事実です」
「拾ってないって。勝手に皆が近いだけでしょ」
「その“勝手に近い”を作っているのが御主人様です」
「ええ……」
私はそこで、女だけの座で見えたことを順に話した。
桜子たちの忠義。お江の甘え。お初の分かりやすすぎる動揺。城内の者どもが“側室も当然”と言い始めたことまで。
真琴様は最初こそ「えっ」「お江そんなこと言ったの」「お初が?」と間の抜けた声を挟んでいたが、やがて黙って聞くようになった。
そして、話がちょうど「御主人様は人へ居場所を与えすぎるのです」というところへ差しかかった時――
すっ、と障子が開いた。
「御主人様、お茶を」
桜子である。
絶妙な間の悪さに、私は一瞬天を仰ぎたくなった。
桜子は茶を運んできたものの、部屋の空気が妙に張っていることにすぐ気づいたらしく、少しだけ目を丸くした。
「……失礼いたしましたでしょうか」
「いいえ、ぴったりのタイミングです」
私が静かに言うと、桜子が困った顔になる。
真琴様は「茶々、その言い方怖い」と小さく言った。
「桜子」
「はい」
「御主人様の部屋へ、日に何度入ります」
「えっ」
「答えなさい」
「え、ええと……朝のお茶、昼のお茶、夕刻のお茶、夜のお茶、それとお食事どき、あとは必要に応じて」
私は真琴様へ視線を向けた。
「聞きましたか」
「お茶係だからでは」
「では、なぜお茶係が寝所の灯りの具合まで把握しているのです」
桜子の頬が一気に赤くなった。
「それは……御主人様が暗いところで書付を見ると目を悪くなさるかと」
「ほら」
私は真琴様へ言う。
「生活密着型です」
「いや、桜子が細やかすぎるだけでは……」
と言い終える前に、また障子が開いた。
「御主人様、薬湯を少し濃くするか、薄めるか……」
梅子だった。
私と真琴様、そして桜子の三人を見比べ、梅子はその場で固まった。
「……あ、あの」
「入りなさい、梅子」
私が促すと、梅子は小さくなりながら入ってきた。
「何の相談です」
「いえ、その……最近、御主人様はお疲れが溜まりやすいので、薬湯の配合を少し変えた方が良いかと」
「湯殿係でしたか、あなたは」
「えっ、そ、そのつもりでおりますが……」
「では、なぜ御主人様の寝つきまで把握しているのです」
梅子が完全に真っ赤になった。
「そ、それは、御主人様が夜更けまで書付をご覧になる時、湯上がりの様子で……」
「ほら」
また私は真琴様を見る。
「これです」
真琴様が本気で困った顔をした。
「いや、待って。梅子も、ただ心配してくれてるだけでしょ?」
「そうですよ。皆そうなのです。悪意も色気もなく、ただ自然に御主人様へ寄っている。だから厄介なのです」
その言葉に、桜子も梅子も目を伏せた。
叱っているつもりはない。だが現実として、二人はもう“ただの侍女”の距離にはおらぬ。
真琴様が口を開こうとした、その時である。
またしても障子が開いた。
「御主人様、今夜の寝具なのですけど――」
桃子だった。
私はもう、笑うしかなかった。
「入ってきなさい」
「はう」
桃子はいつものように素直に入ってきたが、部屋の空気を見て「今、変な時でしたのです?」と正直に聞いてきた。
真琴様が頭を抱えた。
「桃子、何の相談?」
「御主人様の褌の替えを、寝所のどちら側へ置くべきかと」
しん、と一瞬静まり返る。
私はそっと目を閉じた。
真琴様は、ゆっくりと私を見た。
「……なんで皆そんなに俺の身の回りに詳しいの」
「だから申しているでしょう」
私は静かに言った。
「御主人様は、女を拾う体質なのです」
「違うと思う!」
今度ばかりは真琴様も少し声を上げた。
桜子、梅子、桃子の三人は、いっそう肩を縮めたが、三人ともどこか“自分たちが悪いのかよく分かっていない”顔をしていた。
それがまた、この問題の根深さを示している。
「桜子、梅子、桃子」
私は三人へ向き直った。
「あなたたちを責めているのではありません」
三人がそろって顔を上げる。
「ですが、自覚は持ちなさい。御主人様は主です。家の中心です。そこへ自然に寄ることが、外からどう見えるかを」
「……はい」
「はい……」
「なのです……」
三人は揃って小さく返事をした。
「もう下がってよろしい」
三人が逃げるように退室すると、部屋にはようやく二人きりの空気が戻った。
真琴様は、しばらく囲炉裏の火を見つめてから言った。
「……ちょっと、思ってたより重症かも」
「ようやく理解なされましたか」
「だってさ、皆ただ普通に……」
「普通に御主人様の世話をし、普通に御主人様の調子を見て、普通に御主人様の寝所のことまで把握しているのです」
「言われると変だね……」
「変なのです」
私はそこで少しだけ声を和らげた。
「ですが、御主人様が本当に悪いわけではありません」
真琴様が顔を上げる。
「茶々、それ、庇ってる?」
「庇ってはおりません。事実を申しているだけです」
私は真琴様を見た。
この方は、本当に悪意なく人へ居場所を与えてしまう。落ち着く場所、頼ってよい場所、甘えてもよい場所――そうしたものを、自然に作ってしまうのだ。
だからこそ桜子たちは家族のように慕い、お江は無邪気に抱きつき、お初ですら何かと気にかける。
「御主人様は、誰かを囲おうとしてこうなったわけではありません」
「うん……」
「ですが、御主人様の器がこの形を作ってしまっているのも事実です」
真琴様は、困ったように笑った。
「器って言われると聞こえはいいけど、これ、だいぶ面倒な状態だよね」
「ええ。ですので、放置はいたしません」
「……何する気?」
私はその問いに、すぐには答えなかった。
だが心の中では、もう形が見え始めていた。
感情でぶつかっても意味はない。
誰が好きだ嫌いだ、近い遠いで騒いでいては、この家は乱れる。
ならば、整えるしかない。線を引き、位置を定め、秩序へ変える。
私は静かに答えた。
「制度化いたします」
「制度化」
「はい。黒坂家の女たちの立場と距離を、曖昧なままにしてはおきません」
真琴様は目を瞬いたあと、少しだけ苦笑した。
「茶々、そういう時ほんと頼もしいね」
「頼もしくなければ、正室は務まりません」
私はそう言って、囲炉裏の火を見つめた。
御主人様は悪くない。
だが、悪くないからこそ厄介だ。
この人の無自覚な受容力が人を寄せ、その寄り集まった想いが、いずれ家を乱すなら――私がそれを家の形に変えるしかない。
その時、私はもう“嫉妬している女”であるだけではなかった。
黒坂家を治める側として、本気で手を入れねばならぬと決めていたのだ。




