第130話 大阪城
大津城に安宅船で一度、帰城し足軽の支度をしていた力丸と合流すると、一度、京の都の銀閣寺城に入城した。
力丸、幸村、慶次、宗矩、政道が500の兵を連れて同行した。
大津城では約3000の兵が集められていたが、信長の指示で選りすぐりだけの人数になった。
氏郷は大津城留守居役、氏郷は伊達政宗と会うイベントはないほうが良いだろうと思ったからだ。
銀閣寺城では相変わらず、俺の寝所は銀閣寺そのもの、銀箔が貼られた銀閣寺、最初は下品だと思っていたが、やはり銀、酸化がすると少しずつ黒ずみ輝きがなくなり落ち着きが出ていた。
それは計算されつくしたかのように、庭の枯山水と一体化し厳かな雰囲気を出している。
信長は、銀閣寺城の御成御殿を仮住まいとしている帝に拝謁すると、
「日の本を平定せよ」
と言う勅命を強引に出させた。
これにより、幕府が地方大名を討伐と言う大儀だけでなく朝廷のお墨付きを得た形となった。
一晩、銀閣寺城に泊まり翌朝出発をすると、昼過ぎに大坂城に入城、信長の案内のもと最大天守の六階の高欄に連れてこられた。
大坂城は石山本願寺跡に築かれた城なのだが、想像する城とは大きく違う城、イメージ的には和歌山城と言えばわかるだろうか、中庭を取り囲むように作られた連立式の天守を持つ城は、豊臣秀吉や徳川家康が作った大坂城とは全く違う物、丘の上に建つ連立式天守を囲むように二ノ丸、三ノ丸が作られ、陸側には商人町、水路が張り巡らされ小舟が荷物を搬送していた。
そして海側に石積みで作られ突き出したふ頭が存在する海城となっている。
「常陸が申したように、天守は小高い丘に作らせ中庭を配置した、もしもの時はここに民達は逃げ込めるようにしてある」
と、信長は騎乗鞭で眼前を差して案内する。
俺が提案したのは西日本最大都市になる大坂城ではなく海軍施設として、そして、津波の避難タワーをイメージしたものだ。
それを織田信長と言う男は俺の怪しい知識と言葉をくみ取りしっかりと形にしてしまうのだから、やはり天才だ。
海を眺めていると、船がふ頭に接岸しようとしていた。
30隻からなる船団。
・・・・・・。
「あ、あれは、サン・ファン・バウティスタ号!」




