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茶々視点外伝 茶々視点・①④②話・ありがたき偽り――村人を惑わす口先

 梅林から少し離れた村の広場には、思った以上に人が集まっていた。


 村の中央にある大きな榎の下へ粗末な茣蓙が敷かれ、その上に一人の僧が座している。

 年の頃は四十前後か。頭はたしかに剃っているが、肌つやが妙に良く、旅の垢にまみれた風でもない。痩せてもおらず、数珠を繰る指先にまで妙な艶がある。


 村人たちはその前に膝をつき、順々に頭を下げていた。


 米を入れた小袋、銭、反物の端切れ、干し菜、時には鶏卵まで差し出している。


 僧はそれをありがたそうな顔で受け取りながら、実によく通る声で何事かを説いていた。


「この村には、鬼門より悪しき気が流れております……」


 その言葉に、前に座る老婆が「ひぃ」と小さく息を呑む。

 私は人垣の後ろに紛れ、お初とお江、桜子たちも近くへ散らした。


「鬼門より悪しき、ですって」


 お初が、鼻で笑うように小さく言った。


「静かに」


 私はたしなめつつ、僧の口元を見た。


 読経をしている。


 だが、その節回しが妙だ。


 唱えているようでいて、ところどころ言葉を流している。


 経文を“身に入れている者”の舌ではなく、“知っている風を装う者”の舌に聞こえた。


「供物を惜しめば、春先に病が流行りましょう。咳が止まらず、熱が出て、幼子から倒れてゆく……」


 村人たちの顔色が、みるみる沈む。


 冬を越えた村にとって、春先の病は現実にあり得る恐れだ。


 しかもこの男は、そこへ“惜しめば”と付け足した。


 病を天の巡りではなく、村人の信心の不足へ結びつけているのだ。


「……上手い」


 私は思わず心の中で呟いた。


 上手い、というのは褒めているのではない。


 人の不安へ指を差し込み、そこを少しだけ捻るやり方が上手いのだ。


 お江が私の袖を引く。


「姉上様、あの人ちょっとすごい人?」


「どうしてそう思うのです」


「だって、みんな怖がってるけど、なんかありがたいこと言ってるっぽいし」


 お江は実に素直である。

 そして、こういう相手に一番引っかかりやすいのもまた、お江のような素直な者だろう。


 お初がむすっとした顔で割って入る。


「私はなんか気に入らない」


「珍しくお初と同じ意見です」


「珍しくは余計です」


 口ではそう返すが、お初の“気に入らない”はこういう時、よく当たる。


 あの子は理を語る前に、先に腹で人の濁りを感じることがある。


 僧は今度は手元の札を持ち上げた。


「これは都に近き山寺にて祈祷を重ねた護符にございます。戸口へ掛ければ、悪しき気は入らず。井戸の傍に置けば、水もまた穢れぬ」


 ……井戸。


 私はそこに引っかかった。


 村にとって井戸は命そのものだ。

 水が穢れると聞けば、村人はたまったものではない。


 しかも先ほどからこの僧は、村の暮らしに直結することばかりを言う。


 病、井戸、子ども、春先の不作――どれも村人が身を縮める話題だ。


 つまり、事前に聞いている。


 この村で何が不安の種か、誰かが先回りして教えているか、あるいは来る前に周囲を歩いて聞き出している。


 私は視線を下げ、僧の袈裟へ目を留めた。


 色はくすませてある。だが、布地そのものがまだ新しい。


 擦り切れた縁を真似るためか、裾だけわざと荒らしてあるが、肩と胸の折り目がきれいすぎる。


 数珠もまた、手に馴染む擦れが足りぬ。旅を重ねた僧なら、珠の一つひとつがもっと鈍く光るものだ。


 そして、読経。


 今もまた何やら唱えているが、“間”が悪い。


 経は聞かせるためのものではない。


 祈りが先にあり、声は後からついてくる。


 だが、この男は逆だ。人を黙らせるために声を使っている。


 私はもう、ほぼ確信していた。


 この男は本物の修行僧ではない。僧の姿をした、口先で人を動かす者だ。


 だが、確信だけで捕らえるわけにはいかぬ。


 ここで私が「偽物です」と言ったところで、村人たちはどう思うか。


 “怖いことを言われている最中”なのだ。そこへ若い女が現れて「この僧は偽物」と言っても、逆に「不吉なことを言うな」「仏に逆らうか」と反発されるのが落ちである。


 証がいる。


 そして、村人自身が「たしかにおかしい」と思える綻びが必要だ。


 私はそっと桜子の方を見た。


 桜子は、私の視線を受けるとほんの僅かに頷いた。言葉は要らない。


 私は低く言う。


「桜子、あの僧が村へ来て何日目か、誰の家へ最初に寄ったか、聞いてきなさい。あと、隣村にも似た者が来ていないか」


「はい」


「桃子は、あの護符とやらを受け取った家が本当にあるのか見てきなさい。梅子は、村の井戸と病人の話を聞くのです。柳生の者には、僧の荷を見張らせなさい」


「はう、承りました」


 三人はそれぞれ、村女に紛れて人垣からほどけていった。


 こういう時、桜子たちの身のこなしは見事だ。


 先ほどまで私の後ろにいたのに、気づけばただの村の女にしか見えなくなる。


 お初が、私の袖口をつつく。


「ずいぶん静かですね、姉上様。もっとこう、ずばっと“偽物であろう”って言うのかと思いました」


「言って済むなら、そうしています」


「……村人が僧を信じてるから?」


「信じているというより、縋りたいのです」


 私はそう答えた。


「冬を越える村人にとって、病も不作も、火事も盗人も、全部現実です。その不安へ“これで防げる”と言われたら、銭の一つも出したくなるでしょう」


「じゃあ、たちが悪い」


「ええ。だからこそ、たちが悪い相手には証を揃えねばなりません」


 その時、僧の前へ小柄な男が進み出て、銭を差し出した。


「うちの娘、咳が長引いておりまして……この護符をいただければ」


 僧はゆっくり頷き、いかにも慈悲深そうな顔を作る。


「娘御の枕元へこれを置き、朝晩三度、井戸水で口をすすがせなさい。されど供物を惜しめば、祈りもまた薄れるもの……」


 最後の一言に、私は唇を固くした。

 病に苦しむ子を持つ父親へ、もっと出せと言っているのだ。


 お江が、今度は少し怯えた声で言う。


「……あれ、やっぱりすごい人じゃないの?」


「違うわよ」


 お初が先に答えた。


「“惜しめば病が悪くなる”なんて、どこの阿呆が言うの。治るなら最初から全員治ってるでしょ」


「でも、じゃあなんで皆あんなに信じるの?」


「怖いからです」


 私は静かに言った。


「人は、怖い時ほど“たしかな言葉”に見えるものへ寄ります。たとえそれが、口先だけでも」


 お江は黙り込んだ。

 あの子なりに、考えているのだろう。


 しばらくして、桜子が人垣の後ろへ戻ってきた。表情は穏やかなままだが、目だけが鋭い。


「御方様」


「どうでした」


「僧は三日前に村へ入ったそうです。最初に泊まったのは村外れの百姓家。そこの年寄りに、去年この辺りで咳風邪が流行ったこと、先月井戸の水が濁ったこと、炭の値が上がって皆困っていることを聞いたとか」


 やはり。

 村の“今一番痛いところ”を先に拾っていたのだ。


 梅子も戻る。


「井戸の話、村人は皆気にしておりました。前に濁りが出たのは事実にて。病人はいますが、ただの風邪も混じっているようです」


 桃子は護符を一枚こっそり握って戻ってきた。


「これなのです。紙は新しいです。墨もまだ匂うです」


 私はそれを袖の陰で受け取って見た。


 たしかに新しい。

 しかも札に書かれた文字が、どことなく整いすぎている。

 寺で長く使う札ではなく、都辺りの手習い上がりが“それらしく”書いたような筆だ。


 そこへ、柳生のくノ一がいつの間にか背後へ現れ、低く告げた。


「荷は少なし。銭と米を詰めるための空き袋が多うございます。経巻は一巻のみ。しかも読まれた形跡薄し」


 私は、ほぼ決したと思った。

 だが、まだ足りぬ。この場で捕らえれば、“若い女が偉そうに聖を辱めた”と逆に恨みを買う。ここは一度、相手を油断させ、逃げられぬ場所で剥がすほうがよい。


 私は偽僧の声をもう一度聞いた。

 今度は“都でも効験ありと名高い祈祷”などと言っている。……都。つまり、大きく出る気か。


「……姉上様?」


 お初が、私の顔を覗き込む。


「ほぼ決まりました」


「やっぱり偽物?」


「ええ。ですが、まだ村人の前で叩き潰す時ではありません」


「だったらどうするの?」


 私は梅の香がまだかすかに流れてくる方角を一瞥した。

 春の入口のような穏やかな日だ。だからこそ、こういう者は油断している。


「こちらから“布施”をぶら下げて呼びます」


「呼ぶ?」


「黒坂家から声がかかると知れば、欲を隠せなくなるでしょう。そこで問えば、綻びはもっと大きくなります」


 お初の目が細くなる。

 あの子は、私が静かに怒っている時の顔を、だいぶ覚えてきたらしい。


「……怖いわね、姉上様」


「褒め言葉として受け取ります」


 そう返すと、お初は肩をすくめた。


 人垣の向こうで、偽僧はまた一人、また一人と村人から銭を受け取っている。

 ありがたい言葉に見せかけた、不安の売り買い。

 許してはおけぬ。


 けれど、今はまだ動かない。

 証を揃え、逃げ道を塞ぎ、誰の目にも明らかな形でその化けの皮を剥ぐ。


 私は袖の中で新しい護符を握りしめた。


 次は、こちらの番である。

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