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茶々視点外伝 茶々視点・①④①話・梅の香、城下のざわめき

 大津の冬は、安土よりも骨にくる。


 そう思っていたのに、二月も終わりに近づくと、ようやく風の中にわずかなやわらかさが混じり始めた。

 朝夕は相変わらず冷えるが、昼の日差しだけはどこか水気を帯び、城の白壁に当たる光が少しだけ明るく見える。


 そんなある朝、私は本丸御殿の廊下から庭を眺めていた。

 まだ草木は本格的に芽吹いてはいないが、庭の隅に植えられた梅だけが、ほろほろと白い花をこぼし始めている。

 風が吹くたびに、甘く澄んだ香りが流れてきた。


 春は、花より先に香りで来るのだな、とふと思う。


「御方様、お茶でございます」


 桜子が控えめに声をかけ、蒸気の立つ茶碗を差し出した。

 私はそれを受け取り、ひと口含む。

 体の内側に温かさが落ちていくと同時に、鼻先にはまだ梅の香りが残っていた。


「桜子」


「はい」


「城下町はずれの梅林が見頃だと、昨日の報せにありましたね」


「はい。蒲生様の配下の者が、今年は花つきが良いと申しておりました」


 私は茶碗を両手で包んだまま、庭の梅を見た。


 大津へ来てから、何かと慌ただしい。

 火事のこと、炭や薪の手配、町人地の見回り、兵の屋敷割り……。

 ようやく落ち着いてきたとはいえ、“御方様”としてやるべきことは尽きぬ。

 だが、だからこそ城下が今どのような空気で春を迎えようとしているのか、自分の目で見ておきたかった。


「お初とお江を連れて、梅見に参ります」


 私がそう言うと、桜子は一瞬だけ嬉しそうな顔をした後、すぐに真面目な顔へ戻った。


「御方様として、でございますか?」


「いいえ。なるべく目立たぬように」


 そう答えると、桜子は「あぁ」と小さく頷いた。

 あの子は、私が城下へ出る時に何を見たいか、もうだいぶ理解している。


「町人たちの声を聞きたいのです。お仕着せの報告だけでは、どうしても見えぬものがありますから」


「では、あまり上等でないお召し物を用意いたします」


「“あまり上等でない”などと、ずいぶんな言い方ですね」


 私がわざと咎めると、桜子は口元を隠して小さく笑った。


「申し訳ございません。でも御方様は、どうお召し物を抑えてもお綺麗でいらっしゃるので」


「余計なことを言っていないで、早く用意なさい」


「はい」


 桜子は楽しげに一礼し、衣装を整えに下がっていった。


 しばらくして、お初とお江がやってくる。

 お江は私が梅見に行くと聞いた途端、


「団子は? 団子もある?」


 と、いかにもお江らしいことを真っ先に尋ねてきた。


 お初は


「梅見と言いながら、どうせ姉上様は城下の様子を見に行くのでしょう」


 と、こちらの考えを最初から見抜いている。


「わかっているなら、余計なことは言わずに付き合いなさい」


「別に嫌とは言っておりません。ただ、のんびり梅だけ見て終わることにはならないだろうと思っただけです」


「姉上様、梅見なのに難しい顔しちゃだめだよ~」


「お江は黙って団子でも食べていなさい」


「まだ買ってもいないのに?」


 この二人が揃うと、どうしてこうも私の気が緩むのだろう。

 城の中では“御方様”として背筋を伸ばしていねばならぬことが多い。

 だが、お初とお江がいる時だけは、私はまだ茶々でいられる気がした。


 私は桜子に用意させた地味な小袖へ着替え、髪も華やかさを抑えて結い直した。

 お初も普段より控えめな装いにし、お江には「絶対に“マコがね~”などと大声で言わないこと」と何度も言い聞かせる。


 桃子と梅子、それに柳生のくノ一二人が町女姿で付き従うこととなり、私たちは城を出た。


 大津城の城下は、春を待つ町の匂いがした。


 新しく建った家々の木の匂い。炭火の煙。干した魚。味噌の香り。


 まだ工事途中の場所も多く、土と削り木の匂いも混じっている。


 町は相変わらず成長の途中だ。


 整いきってはいない。だからこそ、生きているという感じがある。


 梅林は、城下町の外れに近い、小高い場所にあった。


 近くには小さな村が点々とあり、畑の畦にまだ冬枯れの色が残っている。


 だが梅の木だけは、ひと足先に春を知ったように、白や薄紅の花を枝いっぱいにつけていた。


「わぁ~、きれい」


 お江が素直に声を上げる。


 お初も


「これは……たしかに見事ですね」


 と、少しだけ感心した顔になった。


 風が吹くと、花びらがちらりと舞う。


 その香りの中を歩いていると、城の帳面も火の用心も、ほんのしばし忘れそうになる。


「こうしていると、普通に花見に来たみたいですね」


 私が言うと、お初はすぐに返した。


「姉上様が“普通”で終わるとは思えませんが」


「っとに、お初は可愛げがありませんね」


「姉上様にだけは言われたくありません」


 そのやり取りを聞きながら、桜子がくすりと笑う。

 のどかだ。

 本当にただの梅見で終わればよいのに、とその時の私はまだ思っていた。


 だが、梅林のすぐ近くにある村の方角から、妙なざわめきが流れてきた。


 人の集まる気配。

 それも、祭りの賑わいとは少し違う。どこか期待と不安が入り混じった、ざわつきだ。


「何かしら」


 私が立ち止まると、近くを歩いていた村の女たちが噂話をしているのが聞こえた。


「ありがたい高僧様が来なさったんだって」

「鬼門の災いを祓ってくださるとか」

「春先の病も防げるって」

「お布施を出せば家内安全だと……」


 私は、お初と顔を見合わせた。

 お初は露骨に眉をひそめている。


「なんか、胡散臭いですね」


「まだそう決めつけてはなりません」


「姉上様がそう言う時は、大体もう疑っていますよね」


 図星だった。

 私は口元を引き締め、さりげなく村の方を見る。


 人が集まっている。藁屋根の家々の間の少し開けた場所で、粗末な法衣をまとった僧が何やら説いていた。


 遠目にも身振りが大きい。


 ありがたさを見せるというより、見せつけているような振る舞いだった。


 私はその様子をしばらく黙って見た。


 経を上げているように見える。

 だが、音の運び方が妙に芝居がかっている。


 僧ならばもっと喉の奥から静かに響かせるはずのものを、その男は人に聞かせるためだけに張り上げているように感じた。


「桜子」


「はい」


「あの僧、どう思います?」


 桜子も目を細めてしばらく見た後、小さく答えた。


「……わかりませぬ。ですが、袈裟が妙に新しい気がいたします」


 私は心の中で同じことを思っていた。

 流浪の僧なら、もっと擦り切れ、旅の埃をまとっていて然るべきだ。

 だがあの男の袈裟は、色は地味なのに布の張りが新しすぎる。

 数珠も手に馴染んでおらず、時折ぎこちなく動かしていた。


「マコなら、絶対“詐欺師っぽい”って言うね」


 お江がぽそりと呟いた。

 お初がすぐに「静かに」と小突いたが、私もまったく同感だった。


 村人たちは次々と前へ進み、銭や米、それに布まで差し出しているようだった。

 僧はそれを受け取り、もっともらしい顔で何かの札を渡している。


「……少し近くで見ましょう」


 私がそう言うと、お初がにやりとした。


「やはり、ただの梅見では終わらなかったですね」


「まだ、ただ見に行くだけです」


「姉上様の“見るだけ”は信用できません」


「お初、黙ってついてきなさい」


 私は梅の香を背に、村のざわめきの方へ歩き出した。

 春の入口のような穏やかな日差しの下で、その流浪の僧だけが、妙に濃い影を落としているように見えた。

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