茶々視点外伝 茶々視点・①④⓪話・従三位中納言、黒坂常陸守
京より戻られた真琴様は、二、三日こそ「寒い」「都の風は骨にしみる」「やっぱり大津の囲炉裏が一番」などと言いながら城の中でぬくぬくとしていたが、四日目の朝になると、急に真面目な顔で私に言った。
「茶々、今日、大広間に家臣みんな集めて」
「何事です?」
「うん、報告というか、伝えないといけないことがある」
そう言う声色が少しだけ固かったので、私はすぐに察した。
京で何か、大きな動きがあったのだと。
私は森力丸ならぬ今大津城で手元を預かる者たちに命じ、黒坂家家臣団を本丸大広間へ集めさせた。前田慶次は安土の留守居役で不在、蒲生氏郷、柳生宗矩、真田幸村、桜子三姉妹、お初、お江、母上様まで、城にいる者はほぼ揃った。
大広間の上段には、真琴様の座。
その隣に私の座が設けられる。
家臣たちが並ぶ様子を見て、私はいつもより少しだけ強く背筋を伸ばした。
こういう場は、主の言葉そのものよりも、言葉を受ける場の空気が大切だ。ざわついていれば軽んじられ、重すぎれば息が詰まる。
ほどよく張りつめている今の空気は、悪くない。
やがて真琴様が姿を現した。
今日は熊の毛皮ではない。
さすがにこの場であれを着られては、どれほど重大な話でも半分ほど熊に持っていかれる。
黒地に抑えた、それでいて上質とわかる装い。
けれど肩には少しだけ力が入っており、私は内心、(緊張しておられる)とすぐにわかった。
真琴様は上段へ座すと、しばらく並んだ家臣たちを見渡した。
そして、いかにも言いにくそうに、一度だけ咳払いをした。
「えっと、みんな忙しい中集まってくれてありがとう。今日は、俺から直接伝えたいことがある」
下座の空気がぴたりと整う。
柳生宗矩の視線が鋭くなり、蒲生氏郷は膝の上に手を置きなおした。お江だけが、何かお菓子でも配られるのかという顔をしている。
「京での将軍宣下の儀、その前後で……信長様から話があって」
そこで真琴様は一拍置いた。
珍しく言葉を選んでいる。私は黙って先を待った。
「黒坂真琴――いや、黒坂常陸守真琴は、このたび」
さらに一拍。
「従三位中納言、常陸守に叙された」
……一瞬、誰も息をしなかった。
広間に落ちた沈黙は、耳が痛くなるほどだった。
私は頭では言葉の意味を理解していたが、それでも胸の奥が強く脈打つのを抑えられなかった。
従三位・中納言。
それは、もはや一大名の話ではない。
公卿に列する位。
殿上に昇る身。
黒坂家が武家でありながら、朝廷の高みにも足をかけたということだ。
最初に我へ返ったのは、お初だった。
「……は?」
あまりに率直で、私は危うく咳き込みそうになった。
続いてお江が、きょとんとした顔で言う。
「えっと……中納言ってすごいの?」
母上様が静かに額へ手を当てた。
そして低く、しかしはっきりとおっしゃる。
「とんでもなく、すごいことです」
その一言で、広間の空気が弾けた。
「従三位……!」
「中納言……!」
「殿が公卿に……!」
「黒坂家が、そこまで……!」
どよめきが波のように広がる。
真田幸村は目を見開き、蒲生氏郷はさすがに崩れぬが喉が動いたのが見えた。
桜子は口元を押さえ、梅子と桃子は顔を見合わせて「ふぁ……」と声にならぬ声を漏らしていた。
だが、真琴様はその反応を見て、逆に困ったような顔をした。
「いや、うん、俺も“えっ”ってなったから、みんなの気持ちはわかる。わかるけど、そんなに驚かれると、逆にこっちが困るかな」
「困るかな、ではございません!」
思わず、私の口から声が出た。
広間中の視線が一斉にこちらへ向く。
私は一呼吸置き、声を整えた。
「真琴様、それは黒坂家にとって、とてつもない慶事です。驚かぬ方がどうかしております」
「茶々まで……」
「“茶々まで”ではありません」
私は上段から家臣たちを見渡した。
「皆、よく聞きなさい。従三位中納言に叙されたということは、殿がただの城持ち大名ではなく、朝廷からも別格の御方と認められたということです。これより黒坂家に向けられる目は、今までよりさらに厳しく、そしてさらに大きくなります」
家臣たちのざわめきが静まっていく。
私は続けた。
「誇るのは良い。しかし浮かれてはなりません。殿の位が上がるということは、我ら家臣団一人一人の振る舞いもまた見られるということです。黒坂家に泥を塗る者は、私が許しません」
「「「はっ!」」」
今度の返事は揃っていた。
良い。こうでなくてはならない。
そこで前へ進み出たのは、柳生宗矩であった。
膝をつき、深々と頭を下げる。
「御大将、このたびの御昇進、まことに目出度きこと。柳生宗矩、なお一層お側にて御威光をお守りいたします」
続いて蒲生氏郷。
「黒坂家の家名、今や天下に並びなきものとなりましょう。されど、その威に驕らぬよう、我ら与力・家臣一同、心を引き締めて務めます」
真田幸村も進み出る。
「御大将の御名が高まるほど、狙う者も増えましょう。されど、真田が槍と知恵をもってお支えいたします」
次々に家臣たちが祝いと忠節を述べる中、お江だけは隣でこそこそとお初に聞いていた。
「ねぇ、中納言って大名より偉いの?」
「偉いとかそういう話じゃないのよ、っとに……」
「じゃあマコ、もっとすごい人?」
「元からすごかったのが、もっと面倒くさいくらいすごくなったのよ」
その囁きが私の耳にも届き、私は少しだけ笑いそうになった。
お初の表現は雑だが、あながち間違っていない。
すると今度は、桜子が控えめに前へ出て、三つ指をついた。
「御主人様、本当におめでとうございます。……ですが、位が上がっても、お食事はちゃんと摂って下さいませ」
広間に小さな笑いが起きた。
真琴様がいかにも困ったように肩を落とす。
「なんで一番最初にそれ言うの……」
「大事なことでございますので」
「たしかに」
母上様がすっと口元を緩められた。
「位が上がろうと、体を壊しては意味がありませんからね」
その一言で、張りつめていた空気が少しだけ和んだ。
私はそこで改めて真琴様を見た。
この人は、位が上がっても根のところは変わらない。困ったように笑い、人の忠節を重たく受けすぎず、それでいてちゃんと覚えている。
だからこそ、人が寄るのだろう。
真琴様は最後に立ち上がった。
「みんな、ありがとう。正直、俺自身まだこの位に実感が追いついてない。けど、信長様が俺にこれを与えた意味はわかる。黒坂家を、もっと大きく、もっと揺るがぬ家にしろってことだと思う」
その声は、いつもより少し低かった。
「だから、今まで通りとはいかないことも増える。けど、俺は俺のやり方を変えない。人をちゃんと食わせて、守って、働けるようにして、無駄な戦を減らす。それでいて、いざとなったらちゃんと戦える家にする。そのために、みんな力を貸してほしい」
下座の家臣たちが、一斉に頭を下げた。
「「「はっ!」」」
その光景を見ながら、私は静かに息をついた。
黒坂家は、また一段高いところへ引き上げられたのだ。
そして、その高さに見合う家へ育てねばならぬ。
それはもう、真琴様一人の役目ではない。
私もまた、その責を負う。
広間のざわめきが祝いの空気へと変わっていく中、お初がぼそりと呟いた。
「……あんた、本当にとんでもないところまで行くのね、真琴」
その声は小さかったが、たしかに温かかった。
私はその言葉を胸の内で繰り返した。
従三位中納言・常陸守。
この位は、ただの飾りではない。
黒坂家の未来そのものだ。
私は上段でそっと膝の上の手を握りしめた。
ならば、その未来を支える覚悟も、さらに深くせねばならない。




