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茶々視点外伝 茶々視点・①③⑤話・父に似ぬ子、されど前田の血

 城下を見て回った翌日、私は朝から政所で帳面とにらみ合っていた。


 城下の炭屋の数、井戸の位置、火消し桶の備え、町家と町家の間隔、藁束や薪の置き場所。

昨日見てきたものを思い出しながら書き留めさせ、足りぬところには蒲生氏郷の手の者を出すよう申しつける。


 城というものは、石垣や堀や門だけを指すのではない。

町が燃えれば城も燃える。人が荒れれば兵も荒れる。そう思い知ったばかりの私は、少々神経質なほど細かなことにまで目を配っていた。


 そんな折、廊下から控えめな声が届いた。


「御方様、前田正虎様がお見えでございます」


 私は筆を止めた。

 先日の年賀の挨拶以来、あの若武者のことは少し気になっていた。

慶次の嫡男だというのに、妙に礼儀正しく、しかも眼だけは父親譲りに強い。

あのような若者が黒坂家に何を見ているのか、それを知るのも無駄ではない。


「通しなさい」


 ほどなくして、正虎は前回と変わらぬきちんとした作法で入ってきた。

 膝を折り、頭を下げる角度まで無駄がない。

私は内心で、やはり可笑しみを覚えた。

どう考えても、あの前田慶次の息子にしては行儀が良すぎる。


「前田正虎にございます。お忙しきところ、再びのお目通り、かたじけなく」


「面を上げなさい。今日はどうしました?」


 正虎は顔を上げると、少しだけ口元を引き結んだ。

 年賀の使者として来た時とは違い、今日は自分の用で来た顔をしている。


「恐れながら、お教えを請いたく存じます」


「何を?」


「黒坂家流の、城の見方と兵の動かし方を」


 私は一瞬だけ黙った。

 その場にいた桜子も、帳面を持って控えていた力丸も、わずかに視線を上げた。


 黒坂家流。

 まだ“流”などと呼べるほど年を経てはいない。けれど、外からはすでに一つの形として見えているのだと、その言葉だけでわかった。


「……それを私に?」


「はい。常陸様は今おられません。ですが御方様は、城を預かり、政を見、城下のことまで見ておいでだと父上から」


 父上から。

 その一言に、私は少し意外な気持ちになった。慶次が、私の働きを子へ語っている。冗談めかして言うのではなく、きちんと“見ている”ということだ。


 そこへ、障子の向こうで聞いていたらしいお初が、するりと部屋へ入ってきた。


「また来てたの? 正虎」


 そして開口一番、


「ほんっと、慶次の息子なのに妙に堅いわね」


 と言い放った。


 正虎の肩がぴくりと揺れた。

 私はすぐに口を挟む。


「お初」


「だって本当でしょう? 慶次なら今頃、廊下で酒でも飲みながら『大将の城の見方ぁ? まずは飲め!』とか言いそうじゃない」


「それは……否定できませぬ」


 正虎が真顔で答えたため、私は危うく吹き出しそうになった。

 お初も意表を突かれたらしく、一瞬だけ真面目な顔をしてから、ふいと横を向いた。


「ほら見なさい。息子まで苦労しているじゃない」


「苦労は……しております」


 正虎はそこまで言って、ほんの少しだけ頬をしかめた。

 やはり、慶次の奇行に振り回されるのは日常らしい。


「父上は、屋敷を出る時と戻る時で着ている物が違うことが多いのです。しかも帰る時には大抵、酒の匂いまで」


「想像がつくわ」


 お初が即座に頷く。

 私も頷いた。あまりにも容易に思い浮かぶ。


「それに、突然“今日は屋敷を抜ける”と言い出して町へ消えることもございますし」


「それも知っているわ」


「あと、珍しい南蛮菓子や妙な玩具を拾ってきては『土産だ』と渡されます」


「……それは少し羨ましいですね」


 私が思わず口を挟むと、お初が「姉上様?」という顔をした。

 私は咳払いをして体勢を立て直す。


「と、ともかくです。正虎殿、あなたは日々苦労しているのね」


「はい」


 その“はい”があまりにも実感に満ちていて、つい笑いが漏れた。

 部屋の空気が、少しだけ和む。


 私は正虎を近くへ寄らせ、広げてあった大津城周辺の絵図を示した。


「教えを請うた以上、少しは持ち帰らせましょう。まず城の見方ですが、立派な櫓や天守ばかり見ていてはなりません。見るべきは――水、火、道、人です」


「水、火、道、人……」


 正虎は真剣に繰り返した。

 私は指で順に絵図をなぞる。


「水は井戸、堀、湖。断たれた時にどう困るか。火は台所、火鉢、炭置き場。城下で出れば城にも及ぶ。道は兵を動かす道と、逃がす道。人は兵だけではありません。職人、商人、女、子ども――それらが城を生かしています」


 正虎の目が、言葉を追うたびに少しずつ大きくなる。

 若武者らしい。武の話だけではなく、政と暮らしの話が混じるのが新鮮なのだろう。


「兵の動かし方も同じです。強い者を前に置けば良いというものではありません。誰がどこを知っているか、誰が早く走れるか、誰が口が堅いか。働きはそれぞれ違う」


「それが……黒坂家流、ですか」


「いえ、まだ“流”と呼べるほど整ってはおりません。ただ、真琴様がそういう目で人を見ておられる。私もそれを真似ているにすぎません」


 正虎は深く息を吸い、ゆっくり吐いた。

 そして、ぽつりと呟く。


「父上が、常陸様のことを“本物の大将”と言うわけです」


 私はその言葉を聞き逃さなかった。


「正虎殿、慶次はそこまで言っているのですか?」


「はい」


 正虎は迷いなく答えた。


「父上は、ふざけて見えることが多うございます。実際、ふざけてもおります」


「でしょうね」


 お初が真顔で頷く。


「ですが父上は、本当に認めた相手にしか頭を下げませぬ」


 その声音が急に真っ直ぐになったので、私は自然と姿勢を正した。

 正虎は、父のことを話す時だけ少し誇らしげになる。


「父上は、強い者を認めることはあっても、心まで預けることは滅多にございません。けれど常陸様には違います。酒の席であっても、町の者の前であっても、“うちの大将”と申します。あれは……あの人なりの忠義です」


 私は言葉を失った。


 慶次の軽口や豪放さばかり見ていると、その奥にある“深さ”をつい忘れそうになる。

だが、息子の口から聞かされると、あの男の振る舞いすべてが別の色を持ち始める。


「父上は、常陸様に拾われたと思っております」


「拾われた?」


「はい。前田家の嫡流の家ではありますが、父上は父上です。好き放題やっておれば、いずれどこかで見限られる。けれど常陸様は、父上の派手好きも酒好きも、使いどころを見抜いておられる。だから父上は、あれでいて黒坂家を裏切ることはございませぬ」


 お初が、今度は笑わなかった。

 私も、ただ静かにその言葉を受け止める。


 前田家との縁。

 それはもちろん政の上でも大きい。利家殿、松殿、慶次――いずれも黒坂家には得難い力となっている。

 けれど、それだけではないのだ。真琴様が人を認め、人が真琴様を認めた。その結果として、この縁はある。


「……そうですか」


 私がようやく言えたのは、それだけだった。

 けれど胸の内では、もっといくつもの思いが渦巻いていた。


 私は一人で黒坂家を支えているつもりになっていたのかもしれない。

 留守を預かり、帳面を見て、神棚を整え、城下を歩いて――確かにそれは私の役目だ。だが、黒坂家はもっと多くの者に支えられている。慶次のように表で騒ぎながら裏で支える者もいれば、正虎のようにそれを見て次を担おうとする者もいる。


 私はふと、正虎を見た。


「正虎殿」


「はっ」


「あなたは、父に似ぬ真面目さを持っています」


「……はぁ」


「ですが、父に似た強さも持つのでしょうね」


 正虎は、少し照れたように目を伏せた。

 その様子が年相応で、私は少しだけ安堵した。あまりにも出来過ぎた若者は、逆に怖い。


「ならば、見て学びなさい。黒坂家を。真琴様を。慶次を。そして……できれば、慶次の悪いところだけは真似しないように」


 最後の一言で、お初が吹き出した。


「それ、大事ね」


「父上の悪いところ……どこからどこまでを申されますか」


「それを数え始めたら日が暮れます」


 私がそう言うと、今度は正虎まで小さく笑った。


 その笑いを聞きながら、私は心の内で静かに思う。

 黒坂家は、ただ真琴様一人の才覚で立っているのではない。認められ、支えられ、そして次を見ている者がいる。

 それを知れたことは、私にとっても大きかった。


 やがて正虎は深く一礼して辞去した。

 その後ろ姿を見送りながら、お初が腕を組んで言う。


「慶次の息子なのに、本当に常識人だったわね」


「ええ。でも、あれもまた前田の血なのでしょう」


「どういう意味?」


「派手な父と、真面目な子。どちらも、人が人に惚れた時の熱は深い――そういう意味です」


 お初は一瞬考え、それから少しだけ頬を赤らめてそっぽを向いた。


 私は笑わずに、ただ窓の外を見た。

 冬の陽が、大津城の屋根の端を白く照らしている。

 この城を支えているのは、思っているよりも多くの手だ。私はその一つとして、もっと強く立たねばならぬ――そう、改めて思った。

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