茶々視点外伝 茶々視点・①②⑧話・大津城に尊朝④
「なにも争うために来たわけではないので……失礼いたしました。それにしても、仏前の花――見事に活けていらっしゃる」
尊朝は、先ほどまでの禅問答が無かったかのように、茶碗の縁から視線を外し、仏壇の花へと穏やかに目を向けた。
あの切り替えの早さ……流石は座主、と内心で舌を巻く。
私だけが、まだ胸の奥に熱を残しているのが情けない。
「それは茶々が活けた物で、茶々の師は池坊専好様でございます」
母上様が代わりに答えた。
声は柔らかいのに、芯がある。――ああいう所作を、私はまだ真似できない。
「なるほど……立ち花の名人として名高い方ですな。良い師を持たれた」
尊朝は頷き、もう一度、花に目をやった。
菊と松の緑が、仏間の薄い光の中で静かに息をしている。
「花を活けるは人の内を見せるがごとく。真っ直ぐとした内を感じますぞ」
(……褒め言葉、か。)
先ほど言葉を交わした相手に、こうしてさらりと褒めを置く。
憎らしいほど余裕がある。
私は、喉元まで上がりかけた言葉を一度飲み込み、腹の底で息を整えた。
熱くなり過ぎたのは私だ。ここで言い返せば、また禅問答の沼に引きずり込まれるだけ。
「褒め言葉として受け取りましょう……ただ、私は政務が残っておりますので」
淡々と、そう言って腰を上げた。
頭は下げる。しかし、必要以上には下げない。黒坂家の“かかさま”として、ここで私がふらつくのはよろしくない。
仏間を後にし、尊朝への対応は母上様に任せることにした。
廊下へ出ると、冷えた空気が頬を撫で、さっきまでの熱が少しだけ冷めた気がした。
その廊下の曲がり角に、お初が腕を組んで立っていた。
「禅問答、熱くなられておりましたね。声が届きました」
……いまの私に、その言い方は刺さる。
でも、お初は悪意で言っていない。むしろ心配と、ほんの少しの茶化しだ。
「私としたことが……つい、かっとなってしまいました」
「姉上様、あれはあれで立派でしたよ。尊朝を言い負かす姉上様の言葉で、お江が殊の外喜んでいました」
「お江は、特に真琴様の料理を愛していますからね」
「料理と言うなら、私だって好きですけど?」
お初がむっとした顔を作る。……可愛い。
だが可愛いだけでは終わらせない。ここは姉として締める。
「はいはい。それより政務が少し残っています。あなたも手伝いなさい」
「……はいはい。姉上様は、こういう時だけ“姉上様”ですね」
ぶつぶつ言いながらも、お初はちゃんと付いてくる。
私はそのまま、お初も政所へ連れて行き、残っていた政務の続きを片付けた。
帳面の数字と文言を追っていると、さっきの熱は嫌でも引く。
――政とは、心を冷やす道具でもあるらしい。
しばらくして、桜子が控えめに障子の前へ現れた。
「御方様、尊朝殿、ただいまお帰りになりました」
「そう……何か申していましたか?」
「はい。“次は御主人様に会う約束をしてから参る”と申されておりました」
「まぁ……それが筋です」
私は頷き、筆を置く。
そして、桜子へはっきりと言い含めた。
「桜子、尊朝殿とはいえ特別扱いをする必要はありません。もし真琴様だけでなく、私や母上様も不在の時に来たなら、家老格の者――いや、重臣を呼び、改めて日を取り直すように伝えなさい」
「はい、承りました」
桜子は、緊張がほどけたのか、屈託のない笑顔を見せた。
……桜子は素直で良い。だからこそ、守りも教えも、こちらが怠ってはならないのだと、改めて思った。




