茶々視点外伝 茶々視点・①②⑦話・大津城に尊朝③
桜子が淹れた煎茶が運ばれてきて、尊朝はそれで喉を潤した。
湯気に混じって、ほのかに青い香りが立つ。
宿の香と、仏間に残る線香の匂いが、まだ薄く衣にまとわりついていた。
「……美味しい煎茶ですな」
「御主人様が普段、愛飲しておりまして」
桜子はそう言って一礼し、音もなく退室する。
あの子の所作はいつ見ても無駄がない。
――だからこそ、余計なことまで口にしそうな母上様を、私は警戒した。
「常陸様は大層、舌が肥えていると耳にしましたが」
「婿殿は料理上手でございます。私など一緒に住めたおかげで、毎日美味しい物が食べられて――」
「母上様」
私は言葉を被せて止めた。
嬉しそうに語り出せば、どこまで話が転がるかわからない。
しかも相手は比叡山の座主。何を“切り取って”持ち帰るかわかったものではない。
「殿は料理上手ですが、贅沢が好みというわけではございません」
尊朝は茶碗をそっと置き、こちらをまっすぐ見た。
「いや……四つ足も食すと耳に入りましたので」
胸の奥が、かすかに熱くなった。
“四つ足”――その一言で、殿の在り方を責められる気がしたのだ。
私は息を整えてから、言葉を選ぶ。
「殿は、豚・牛・羊なども食べます。ただ、医食同源。食は体を作る基礎として……です」
「ほう」
「殿の言葉では、体を構成する“たんぱく質”なるものは、肉を食べることで取り入れられると。私どもは殿の言葉を信じ、いただいております」
――そして殿は、よくこう問う。
私は心の中で反芻しながら、口に出す。
「“四つ足を忌むなら、なぜ鳥や魚はよいのか。なぜそなたらは、豚や牛といった四つ足を食さぬのじゃ”……と」
尊朝は一瞬、目を細めた。
次の瞬間、静かな声が落ちる。
「四つ足は、人に近き命。人に近きものを喰らえば、心もまた獣に近づく」
「では二つ足の鳥は、人に遠いと申すか」
「遠い近いの理ではない。執着の重さよ」
言葉が、刃のように返ってくる。
私は茶碗の縁を指でなぞりながら、逃げずに問いを重ねた。
「ならば問おう。この戦国の世、痩せ細りて倒れる兵と、肉を食らい生き延びる兵――どちらがより多くの命を救う」
「命を救うために命を奪えば、その輪は、いずれ己の首に回る」
「では餓死は輪にあらずと?」
「餓死は天の業。殺生は人の業」
「天と人、どちらが重い?」
「……」
沈黙が落ちる。
障子の向こう――琵琶湖から届く、微かな波の音だけが耳に残った。
尊朝が、じっと私を見た。
「姫は、肉を喰らえば、心は濁らぬと申すか」
私は、真正面から返す。
「濁るか否かは、喰う物ではなく、喰う覚悟にあり」
「覚悟、とな」
「はい。生きるために喰うと知り、喰った命を忘れぬならば――それは殺生か、供養か」
尊朝の眉間の皺が、わずかにほどけた。
「……供養とは、喰わぬことにあらず。忘れぬこと、か」
私は頷く。
「尊朝殿。四つ足を断つも修行、四つ足を喰らうも修羅。だが修羅を歩かねば、民は守れませぬ」
「姫は仏になろうとはせぬか」
「なりませぬ。ただ――生き残った者の腹が満ちる世を作りたいだけ」
尊朝は静かに合掌した。
「ならば姫。喰うがよい。そして、決して忘れるでない」
「忘れませぬ。それが、わらわの戒でございます」
その時だった。
「……禅問答。そこまでといたしましょう。尊朝殿、茶々」
母上様が柔らかく、それでいて有無を言わせぬ声で止めた。
私ははっとして口を閉ざす。
(しまった……)
真琴様を否定されるのでは、と一瞬よぎっただけで、私は熱くなり過ぎたのだ。
“正室”として、冷静であるべき場。
――それを思い知らされ、私は茶碗の中の湯気を見つめて、心を鎮めた。




