茶々視点外伝 茶々視点・①①⑤話・引っ越し準備
黒坂家の引っ越し準備が進むにつれ、私たち三姉妹、そして母上様の支度も同時に進んでいた。
安土城天主の屋敷に、いつまでも住み続けるわけにはいかない。
名目の上では「黒坂家預け」。つまり私たちは――母上様も含めて――大津城へ移り住む。
朝から廊下の往来が増え、襖の向こうでは布が擦れる音、紐を締める音、箱の蓋が合わさる乾いた音が、途切れ途切れに響いた。
衣桁から下ろされた着物の匂いに、墨で書かれた荷札の匂いが混じる。
大仕事のようでいて、実は「荷物そのもの」は多くない。
だからこそ余計に、この引っ越しが“移動”以上の意味を持つのだと、否応なく分からされる。
「引っ越しの仕度といっても、さほどの荷物はないですから」
母上様は淡々と言われた。声は穏やかだが、どこか決意が硬い。
確かに、数は少ない。けれど厄介なのは――運び方だった。陸路ではなく、船で運ぶ。大津へ向かうまでに、港近くの蔵へ移しておく必要がある。
箱詰めしただけでは終わらない。運ぶ順、積む順、落とせない物の扱い、そして何より「人目」を計る段取り。
「私たちは、真琴が大津城に陸路で向かったら、船に乗れば良いのですよね?」
母上様の確認に、私は頷きながら、あらかじめ決めた手順を頭の中でなぞる。
真琴様は馬揃えを兼ねた行列で陸路。目を奪う甲冑、揃いの旗、行進の規律――“新領主の威”を見せつけるための入城だ。
私たちは別便。だからこそ、余計な動きは慎まなければならない。
「真琴様と陸路を進みたいのであれば、輿を仕度させますが?」
私がそう提案すると、お初は即座に首を振った。髪がすっと揺れ、その目が冷える。
「見世物のように扱われたくないわ」
その言葉には、お初らしい矜持が宿っていた。
織田の姪であり、浅井長政の姫である自覚。
――“見られる側”としての屈辱を知っている者の声だ。
私は内心で、余計な事を言ってしまったかと反省する。
輿は便利だが、輿は目立つ。目立つことが、そのまま危うさになる時代でもある。
その横で、お江が口を尖らせる。
「マコの馬に一緒に乗って引っ越す~」
いつもの甘えた調子。けれど今は軽く流していい我が儘ではない。
私が言葉を探すより先に、母上様が珍しくお江を叱るように、きっぱり止めた。
「おやめなさい。真琴様は威厳を見せつける特別なご入城ですよ」
母上様の声には、母としての厳しさだけでなく、政治の匂いが混じっていた。
真琴様が“誰として迎えられるか”は、黒坂家の今後を左右する。
そこにお江の無邪気を乗せてしまえば、行列が崩れる。崩れれば、笑われる。笑われれば、付け入られる。
母上様はそれを、私以上に分かっておられるのだろう。
「む~……仕方ないですね~……」
お江は不満を飲み込むように頬を膨らませ、それでも最後には諦めた。
その様子に、私は少しだけ胸を撫で下ろす。
――まだ幼い。けれど、幼いからこそ守らねばならない。
お江は、ふと私を見て首をかしげる。
「……姉上様はどうするんですか?」
問われて、私は背筋を整えた。ここだけは曖昧にしたくない。
「私は織田信長の姫として、輿入れ行列で入場する手はずになっています。真琴様の行列のあと、数日後に――それと同じ規模の兵を率いて入城。織田信長がどれほど黒坂真琴という人物を特別視しているか、見せるための行列です」
言い終えると、胸の奥が少しだけ重くなる。
“姫としての私”は、いつだって誰かの意志を映す鏡だ。
けれど同時に、その鏡の中で自分の居場所を確かめるしかない。
私は真琴様の正室として大津へ入る。
――その事実を、誰よりもまず自分に言い聞かせる必要があった。
「ふぅ~ん」
お江はつまらなそうに返す。分からないのだ、まだ。分からなくていい。分からないままでいてほしい、とも思う。
一方で、お初は何も言わない。ただ視線だけが、遠くへ向いた。きっと心の中で、浅井の名と織田の名と、これからの大津の景色を、静かに重ねている。
母上様は私を見て、小さく頷かれた。
「私たちは大津で待っていますからね」
「はい、母上様」
短い返事の裏に、言葉にできない約束がいくつも折り畳まれている。
こうして、引っ越しの手はずは――すべて整った。




