茶々視点外伝 茶々視点・⑧⑦話・千宗易
昼前の花の稽古を終え、袖にほのかな白檀が残るまま黒坂家の屋敷へ向かった。
冬の陽が障子に淡く透け、畳はきゅっと冷たい。
広間から人の声がして、同席を許されて入ると、客は――千宗易様であった。
「お師匠様、ご無沙汰しております」
「おや、茶々“姫”様……いや失礼。もう“奥方様”でおしたな。ご機嫌よう」
「そんなに改まられますと、むずがゆうございます」
私は思わず頬が緩み、真琴様の傍らへ座した。
広間の中央には大津城の図面が大ぶりの机いっぱいに広げられ、墨の線が湖面の風のように走っている。
「茶々様、聞けば常陸様が大津に茶室をご所望やとか。そら、いても立ってもおられまへんで、こうして馳せ参じましてな」
「そうでしたか」
「茶々、俺は茶は大好きだけど自分では点てないからさ。宗易殿に任せれば間違いない、ってことで」
「真琴様の仰せのとおり、宗易様にお任せいたしましょう。必ずや良き“間”をお建てくださるはず」
「二人してようおだてなさる。なんも出まへんえ?」
宗易様は口許だけで笑い、すぐ図面に目を落とされた。
「ほう……大津の城。湖の呼吸がここまで届く」
私は窓際の光へ指を伸ばし、思い描く景を置く。
「せっかく琵琶湖に寄り添う城にございます。障子を引けば湖が横たわり、遠くに比叡山。春は萌え、秋は錦……借景を切り取る“額”のような窓が良う存じます」
「人が悪いわ。常陸様ご自身で建ててもええほどの感性やのに」
「建物の骨組みは真琴様の得意でございますが、茶は――味はご存じでも“わざ”は素人。この前など、義父上から賜った天下の名物・曜変天目を『城普請の足しに売ろうか』と仰って……」
「いや、ほら、数字に強い茶碗だなって……」
「ははははっ。あれ手放したら二度とは戻りまへん。よう守りやすえ、奥方様」
宗易様は筆を取り、図面の余白にさらさらと線を走らせる。
「茶室は湖と比叡を“斜めに抱く”向きがええ。東西に長押を取り、明取りは高うして、障子は細目。朝の白と夕の金、両方つかまえられる。にじり口は……城の御座敷やさかい無理に小さうせんでもよろし。代わりに、躙口の“謙り”は客畳の寸法と天井の押さえで出いたしまひょ。床は浅く、花は一輪。風炉先は黒楽の縁を軽う」
私は胸の内で拍手した。光の角度、風の通り、息の置き場所――どれも“生きた茶”の間取りだ。
「加えて、冬は風を切り、夏は風を招く工夫を。壁は土を分厚う、屋根は瓦で火避け。比叡よりの寒を嫌わはる常陸様のため、床下に炭座も仕込んどこ」
「助かる。……寒いのは、本当に苦手で」
「ええ、“寒がりの大名”と呼ばれても恥じぬ装いが増えましたしね?」
私は小声で差し上げると、真琴様はむっとされ――宗易様が肩で笑いを堪えられた。
「それと、窓はただ広けりゃええいうもんやあらしまへん。切り取る大きさが“詩”になる。障子一枚ぶんを額や思て、季節で開け幅を替える仕掛けも付けまひょ。茶は“間合い”どす」
私は頷いた。稽古で教わった“間”の呼吸が、図面の上で音を立てる。
「……あの千利休の茶室を自分の城に――」
真琴様がさらりと口を滑らせ、私と宗易様は同時に首をかしげ――私ははっとして扇で軽く自らの唇を打った。
「真琴様」
語尾をわずかに強める。宗易様はまぶたを一度ゆっくり落とし、柔らかい声で受ける。
「茶室ゆうんは内々の話をする場どす。わて、口は堅いほうでしてな――それにちと忘れっぽい。今、なんぞ言わはりましたかいな?……せやけど、不思議と“しっくり”きますわ」
「助かります」真琴様はこめかみを掻いて、すっと居住まいを正された。
「宗易様は茶々の師。どうか黒坂家の“茶の道”をお預かりいただけますか。大津の茶室のことも、すべて」
「ええよろし。黒坂家“茶頭”の務め、よろこんで請け負いまひょ。湖と山と、湯の音がよう響く座を拵えて差し上げます」
宗易様は筆を置き、図面をそっと撫でた。その指先は、まるでまだ見ぬ光景に触れているようであった。
見送りに出ると、外は冴え冴えとした冬日。比叡の稜線が薄く金を帯び、湖の気が肌を洗う。宗易様は草履の鼻緒をきゅっと直し、振り返って小さく会釈なさる。
「奥方様。茶はようけの“守り”になります。火も人も、言の葉も。――ええ座にいたしまひょ」
「お頼み申し上げます」
客が去ると、広間にまた冬の光だけが残った。
私は図面の上で、宗易様の引いた細い線を指でなぞる。そこに、私たちがこれから暮らす音――湯の松風、茶筅の雨、障子を渡る琵琶のひかり――が、確かに聴こえた気がした。




