茶々視点外伝 茶々視点・⑦⑧話・寝屋
湯殿からの湯気がまだほの温かい廊に、桃子がそっと顔を覗かせた。
「御方様、湯の支度、できております」
「真琴様はもうお浸かりに?」
「御主人様は『酔っているから軽く流すだけでよい』と仰せで、すでに寝所へ」
「もうお休みになったのね」
私は身を清め、髪を拭い、薄衣に着替えて寝所へ向かった。
障子越しの灯が揺れ、墨の香りが微かに漂う。――“お休みになった”はずの真琴様は、文机に向かい筆を走らせていた。
「……あぁ、茶々か」
「お休みと聞いておりましたが」
「少し横になったけど、目が冴えてね」
酔いはすでに引いているらしく、顔色はいつもの穏やかさに戻っている。
私は畳に手をつき、三つ指を揃えた。
「本日より、寝屋を共にいたしたく存じます」
真琴様は筆先を上げ、言いよどむ。
「そのことなんだけど……一緒の部屋で眠るのは構わない。けれど――」
「けれど?」
「茶々が十六歳になるまでは、抱かない。……いや、本当は抱きたいけれど、抱けない」
胸の奥がきゅ、と鳴る。私は静かに問い返した。
「なぜにございます? 夫婦は契りを結ぶものだと」
「茶々は十四歳だ。若い身体で子ができると、母子ともに危ないんだ。これは未来の知識であり、未来の価値観――未来の日本の“法律”でも、十六歳までは婚姻を禁じている。身体を守るために、ね」
「……『郷に入っては郷に従え』と申しますけれど、こればかりは従うわけにはいかぬ理でございますね」
「わかってくれる?」
「真琴様が未来の知をお持ちなのは承知しております。納得……いえ、従います。――もしかして、そのお考えを今したためておられたのですか?」
「うん。次に信長様に拝謁するとき、女性の身体を守るため“初夜の年齢”を定めるよう提案しようと思って。今は戦が多く、皆が早く子を望むのは理解している。だから強制は難しいかもしれない。でも、戦のない世をつくるために動いている以上、その世が来たら正式な法度にできるはずだ」
「……なるほど」
「茶々、不満だろうけど我慢して。俺だって欲を抑えて我慢してるんだから。こんな美少女と同じ寝屋で、ね」
思わず笑いがこぼれる。
「ふふ……ほんとうに、おもしろいお方。大丈夫、わかっております」
「今日は疲れた。寝よう」
真琴様は筆を収め、灯を落として自らの布団へ。
私はその気配を確かめ、隣の布団に身を横たえた。
夜気が襖の隙を抜け、湯上がりの肌にひやりと触れる。闇に目が慣れると、隣で静かな寝息が始まる。
――十六歳になる日まで、待つ。
その約束が、胸の奥で静かな灯のように明るくともった。
私はそっと横向きになり、真琴様の横顔を見つめる。
墨の香と、湯の名残の温もり。まぶたが重くなり、微睡みが私をさらっていった。




