茶々視点外伝 茶々視点・⑤⑦話・婚約話の広がり
「茶々様が常陸守様とご婚約なんて……」
「城も持っていない方でしょ?」
「なんでそんな方と」
「でも、火縄銃を改良なされて、そのおかげで織田軍、ほぼ無傷で毛利を倒すところまで来てるって」
「毛利攻め、始まったのつい最近なのに?」
「この戦いの一番の恩賞は常陸守様になるだろうって話題よ」
「じゃあ国持ちに?」
「当然では?」
安土城内で働く女どもの囁きが、廊の隅で風に乗って私の耳に届く。
薄紅の花びらが袖に触れ、石畳の冷たさが足裏からじんわりと上ってくる。
噂は、もう城中を満たしていた。
となれば……。
私は侍女に、前田松殿へ取り次ぎを命じ、黒坂家の様子を見に行っていただくよう頼んだ。
夕刻、侍女は額に汗を浮かべ、たいそう疲れた様子で戻ってきた。
「どうしたのです?」
「は〜……黒坂家には、さまざまな織田家家臣の家の者が茶々様とのご婚儀の祝いを携え、門前に詰めかけておりまして……人払いに骨が折れました」
「そうでしたか。お疲れさま」
「途中から前田の松様が場をおさめてくださり、ようやく落ち着きましたが、当面は続くかと。森力丸様より、しばらくは屋敷の出入りはなさらぬほうが良い、と言づけがございました」
「わかりました。数日は控えます。それと――黒坂家への押しかけの挨拶は無用、と広めさせましょう。真琴様は、ああしたことに慣れておられませんから」
「はい。松様は『しばらく玄関口に控え、すべて取り計らう』と仰せでした」
「玄関口? 冷えますでしょう。あとで火鉢と炭を多めに届けさせるよう、手配なさい」
「はっ」
私は別の侍女に、織田家家中へ「押しかけの挨拶は控えるように」と私が命じている旨を伝えさせた。翌日も念のため使いを黒坂家に遣わすと、なお人の列は絶えぬという。
そこで前田松殿が門前に立ち、皆に聞こえる声でこう告げられたそうだ。
「上様の姫の姑である、この前田松が黒坂様とは縁続きとなりました。その縁において、今回のご挨拶はすべて私が取り仕切ります」
その一言で、波のようだったざわめきが、潮の引くように鎮まったという。
松殿のまっすぐな声が、春の空気をぴんと張った情景が目に浮かぶ。
その騒ぎのさなか、真田安房守昌幸という武将が訪ねてきて、次男を黒坂家に仕えさせたいと申し出、取り計らいが成った――と侍女は続けた。
「黒坂様はたいそうお喜びでした。なんでも、家臣にしたい武将の名として、かねてより上げておられた方だとか」
義父・織田信長に、常陸様が以前進言していた人物……そう察するのは易い。
「そうですか。どのような人物でした?」
「とてもお若い方でして……その、茶々様と変わらぬお年頃の若武者。名も聞かぬ者を黒坂様はお雇いになるのかと、つい驚きまして……」
「あなたが深く案ずることではありません」
常陸様の知る“時間線”で、きっと大いに名をなした人物なのだろう――と私は察する。ゆえに、若さは憂いではない。
数日後、黒坂屋敷を訪ねると、その若武者――真田信繁の挨拶を受けることとなった。
戸隠の忍びを率いての奉公と聞く。
障子越しに伝わる足音は軽く、気配は淡い。黒坂家の家臣団は、ますます忍びの比重を増し、静けさの中に鋭さを帯びた集団になっていた。




