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茶々視点外伝 茶々視点・④②話・黒坂真琴の真実

 病の床が片付けられた翌日、私は珍しく天主最上階への登攀を許された。


きざはしの下には森蘭丸・坊丸が太刀を携え、誰も近づけぬ気配を張る。


最上の間には伯父・織田信長と母上様、そして私の三人のみ。伯父上は高欄から琵琶湖を眺めておられた。


「茶々、体はどうだ」


「もう大丈夫にございます」


「そうか……よかった」


 その背中は、夕映えを受けてなお大きい。母上様が静かに口を開く。


「茶々に、黒坂様のことをお聞かせくださいませ」


 伯父上がこちらを振り向いた刹那、銀光が走った。


鞘走る音とともに抜かれた太刀の切先が、私の喉元にぴたりと添う。


「兄上!」


 母上様の息が詰まる。私は微動だにできず、冷や汗が背を伝った。


「黒坂真琴のまことを話す。ただし約せ。他言は許さぬ。破れば――茶々とて斬る」


「……はい」


 私の返事を聞くや、伯父上は太刀をおさめ、語りだす。


本能寺の夜、明智光秀の急襲。炎の唸り、死を覚悟した最期の舞。未完成の抜け道へ現れた、見慣れぬ衣の男――黒坂真琴。


怨霊に取り憑かれた光秀を陰陽術で祓った、その一部始終。


「……そのことは家中の誰もが承知しておりますが」


「では、不思議と思わぬか」


 伯父上の目が鋭くなる。私は息を整え、頭の中で糸をたぐった。


「……未完成の抜け穴、にございますね。繋がっておらぬはずのところへ、なぜ人が?」


「抜け穴の鍵を持つは、儂と蘭のみよ」


「では、どこから黒坂様は……?」


「――先の世より来たのだ」


 言葉が、部屋の温度を一つ下げた。


「先……の世?」


「四百五十年ほど後の世を生きておったとな。神隠しに遭い、抜け穴に出されたのだと申す」


「そのようなこと、信じる証は……」


「ある。あやつの持つ書物は見たこともない紙に、景色をそのまま閉じ込めた絵が記され、この戦国の事どもが詳らかに書かれておる。音を奏で、さらに景色を切り取る奇妙な板もな。南蛮の学匠にも解せぬ品だ。第一、知恵だ。火縄の改造にせよ、他の策にせよ、儂らの誰も持たぬ筋道を示す。先の世という話が虚であっても、知はまこと――軍師として雇うに足る」


 私は言葉を選びかねた。未来から来たひと。胸の内でそうつぶやくと、鼓動が早まる。


「常陸は――家族とはもう会えぬであろう。寺社の地下を洗っても帰る手立ては見つからなんだ。ゆえに悲観させぬよう女をつけたが、抱こうとせぬ」


「……桜子たちは、そのために」


「うむ。気に入りはしたようだが、手は出さん。あやつの器量に気づきはじめた者は多い。いずれ厚遇で引き抜こうとする輩も出よう。だが、手放す道理はない。ゆえに黒坂真琴を織田一門とする。――そのために、お前たちよ」


「私どもは“鎖”ではございませぬ。誰かを繋ぎ止める道具では」


「だが、気にはかけておろう。いや、好いておるのではないか?」


「……わかりませぬ」


「まあよい。茶々が嫁がぬならお初かお江を――とはいえ、あの子らはまだ幼い。この話を知るには早い」


「……」


「茶々。黒坂に嫁すなら、浅井家再興を許す。黒坂家の臣として、浅井の名を残せ。――嫁ぐ気はないか」


 私は声を失った。代わりに、母上様が私の横顔を覗き込み、穏やかに言う。


「茶々。あなたはもう心で黒坂様を慕っているのですよ。侍女が黒坂様と親しげにしていた折、あなたは怒りの顔を見せたとお初が申していました。それが証です」


「私は……私は、黒坂様の笑顔が見られなくなるのが――誰かに独り占めにされるのが……悔しい……」


「それを“好いている”と言うのだ。――お市、あとは任せた。よいか、黒坂真琴を繋ぎ止めよ。お前にできる織田への奉公は、ただこれひとつ」


「かしこまりました、兄上様」


 伯父上はそう言い置いて、天主を降りた。


最上の間には、母上様と私と、遠く霞む琵琶の水脈だけが残る。


私は欄干越しに小谷の方角を見つめた。

 

浅井の名。黒坂真琴。未来から来たという人。


胸の奥で、ひとつの覚悟が、こつりと音を立てた。

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