茶々視点外伝 茶々視点・④①話・病の床
母上に選択を与えられたその日、私は縁側に腰を下ろしたまま時の流れを忘れていた。
庭の砂紋がゆるく夕陽を吸い、甃の冷たさが裾を通して膝へ伝わる。
気づけば、お初に呼ばれるまで二刻、いや三刻は悩み沈んでいたのだろう。
夕餉は箸が進まず、薄闇のころ寝間着に替える。
侍女が近づき、ためらいがちに私の額へ手を当てた。
「姫様、お体がたいそう熱うございます。失礼して――」
掌が触れた瞬間、侍女の顔色が変わった。
「これは大事! 誰か薬師を! お市の方様へ、茶々姫様ご発熱と急ぎお知らせを! 姫様、今すぐお床へ!」
寝所は一転、蜂の巣をつついたような騒ぎに変わる。
母上が駆けつけ、私の額へそっと手を置いた。
「これは……高い熱。どうして黙っていたのです」
「熱だとは思わず……頭がぼうっとしておりましたが、悩みのせいかと」
ほどなく薬師が来て診立ては風邪。置かれた薬を飲み、私は目を閉じる。襖の外から、母上の厳しい声。
「お初、お江。茶々へは近づいてはなりません。熱が引くまで、この部屋への出入りは許しません」
すぐに襖の隙間がそっと閉まり、二つの声が重なる。
「姉上様、お大事に」
「姉様、はやく元気になってね」
ただの風邪――そう高を括ったが、私はそこから七日、床へ伏すことになった。
不思議だったのは、枕元の花が毎日替わったこと。白から淡桃、そして春待つ黄へと、花は静かに色を移ろわせる。薬も、二日目から香りが変わった。
熱が引き、床上げとなった朝。母上が静かに告げる。
「黒坂様は……薬にも明るいのね。大事に至らず、よかったわ」
「え?」
「あなたが風邪と聞いた黒坂様、薬師に出し薬をわざわざ確かめに行かれてね。『今流行の風邪にはこれが良い』と――麻黄湯、そう申したかしら――処方を改めさせたの。枕元の生花も、黒坂様が届けたものに替えたわ」
胸のどこかが、きゅっと縮む。
「母上、黒坂様は……毎日、お見舞いに?」
「ええ。心配していらしたわ」
言葉が、喉の途中でほどけた。
私は、黒坂真琴は私など“師弟のひとり”、せいぜいお初やお江の“ついで”に見ているのだと――そう、自分に言い含めてきた。けれど。
「それから、黒坂様ね。兄上に“湯を温める風呂”を安土に備え、身を洗い温める作法を広めるべきと、強く進言していたわ。風邪の予防に良い、と。今回は茶々の件がきっかけらしいけれど、いずれは民の健康のためにも――と。『国造りの常識に』とまで」
「……領民をまとめる力はないと仰いながら、民の健康を案じるのですね」
「そう。あの方はつねに“先の暮らし”を見ている。黒坂真琴とは、そういう人」
私は母上の眼をまっすぐに見つめた。もう、逃げないと決めた。
「母上。どうかお聞かせください。黒坂真琴という人物の――正体を」
母上は小さく頷き、立ち上がる。
「兄上の許しをもらいましょう」
そう言って、床上げの支度を侍女へ任せ、天主へと歩み去った。
取り替えたばかりの花から、やわらかな香りが立つ。
麻黄湯の名残が喉の奥に温い。
――“覚悟”という字が、いまは熱ではなく、確かな体温で胸の内に灯っていた。




