茶々視点外伝 茶々視点・④⓪話・迫られる選択
「茶々。兄上は織田の姫を黒坂様に嫁がせ、一門に引き入れたい――その考えは聞き及んでいますね」
茶室に呼ばれ、母上と対座した。炭は静かに熾り、湯のたぎる音だけが耳にやさしい。
「はい、承知しております」
「織田の姫で年頃が合うのは、あなたたち三人。――茶々。あなたは黒坂様のもとへ嫁ぐ気はありませんか」
以前にも問われたはずなのに、舌がふっと重くなる。
「黒坂様に心惹かれているのは、自分でもわかります。けれど、それが“縁”としての情なのかは……」
母上は茶筅を静かに立て、泡を整えながら微笑した。
「私は父上(浅井長政)と顔も合わせずに嫁ぎました。顔も、人となりも知る相手を選べるのは、むしろ幸いなのですよ」
「それはわかっております。わかってはいるのですが――」
「では、何が不満なのです。人柄も器量も申し分ない」
私は胸の底に沈めていた石を指で拾い上げるように言った。
「……浅井の血を絶やさぬため、いずれ浅井再興の助けとなるほどの力を持つ者に、と」
「ならば、なおのこと適任でしょう。黒坂様は今や官位も恩賞も群を抜く」
たしかに、参議・十万石――伯父上からの遇し方は家老格に等しい。だが私はなお、ひとつだけ引っかかっているところを口にした。
「しかし、国も城も、お持ちではない」
母上は小さく笑って、茶碗を私の前へすっと差し出した。
「それは、断れぬよう仕立ててあります。三人のうち誰かを兄上の養女とし、黒坂様へ嫁ぐ。『織田の姫を迎えるのに城も国もないのは体裁が悪い』――そう言い含めれば、兄上は城を与える。もう蒲生氏郷殿に大津の地固めを始めさせました」
「……そこまで」
湯の香が、喉の奥でひときわ熱くなる。
「それほどに、囲っておくべきお方なのです」
「母上。一つだけ……黒坂様は、何者なのですか」
母上は茶席の作法を乱さず、しかし言葉の芯だけは揺らさなかった。
「あなたが覚悟を決めるなら、話しましょう。ただ一つ言えるのは――あの方はいずれ、城と国を持つ。あなたが願う“浅井再興”も、たやすいほどの力を備えているということ」
「伯父上は、そこまで」
「岐阜様(信忠)が先日、中国へ出陣したのは知っているわね」
「存じております。それが――」
「黒坂様の手になる新式の火縄が、破竹の勢い。策も奇計もいらぬ。ただ“撃って進む”だけで戦は形を成す。戦場へ出ずとも勝ち筋を生む男――兄上の評価はそこに尽きるのです」
私は出された茶を一口に含んだ。春めく香りが広がるのに、胸だけはざわついたままだ。
「兄上が天下を治めた暁には、宰相として織田随一の立場に上る男――その縁を、私は悪いとは思いません」
母上は淡々と告げ、私の目を逸らさせない。
「……申し訳ございません。もう少しだけ、考えさせてください」
それが、いまの私にできる精いっぱいだった。母上はわずかに困った顔をし、それでも娘の未練を責めはしない。
湯の音が、また静かに戻ってくる。
――“覚悟”という二字が、茶碗の底に沈んで、こちらを見上げている気がした。




