茶々視点外伝 茶々視点・③⓪話・とんかつ?
黒坂家の屋敷へ、いつものように足を運ぶと、熱した油の香りがあたり一面に広がっていた。
(また“唐揚げ”でも?)と軽く思いながら裏庭へ回り、剣の稽古をお願いしに向かうと――
「梅子、だから“豚”は生きたまま買ってこないでよ」
「しかし御主人様、今井屋の番頭さんが“傷物”にしたら常陸様に申し訳ないと……」
「“傷物”って……猟師くらい呼べるだろうに。――慶次、また頼む」
「へいへい。美味いもんを食うためだ」
やり取りの先に見えたのは、猪に似ていながらどこか違う生き物。
お江が先に声をあげる。
「マコ~、なにそれ、可愛い~」
「真琴、猪を飼っていたの?」
私は一歩前に出て口を開いた。
「お初、それは恐らく“豚”という生き物。――違いませんか、黒坂様?」
公家方が口にすることもあると聞き及ぶ肉。猪に似つつ野性味が薄い――そう告げると、黒坂様は指を鳴らした。
「おっ、茶々、正解。スーパーひとしくんゲット」
「……すーぱーひとしくん?」
「はは、気にしないで」
「で、その豚はどうするのです?」
「もちろん食べる。――慶次の言う“油揚げ”は絶品だよ」
慶次は豚を連れて、奥庭のさらに奥へと消えていく。
ほどなく、
ぶひーーーーーーーーーーーーーーーー
一度だけ、長い鳴き声。仕留めたのだろう。私たちは気に留めず、いつものように剣の稽古に取りかかった。日が一番高くなる頃――
「御主人様、姫様方。昼餉のご用意ができました。広間に膳を整えてございます」
桜子の案内で広間へ行くと、一汁二菜の質素な膳が並んでいた。
「え~、今日のご飯、少ないよ~。マコ~」
「これ、お江。はしたない」
黒坂様が苦笑して、少し声を張る。
「桜子、みんな席についた。――持ってきて」
ほどなく、小ぶりの膳が脇に添えられた。皿には、唐揚げとは違う、きつね色の厚い“揚げ物”。
「これは……先ほどの豚、にございますか?」
「そう。“豚”を揚げた料理――“とんかつ”っていう。ぜひ」
「なんだか……気味悪いわね」
お初は箸先をためらわせるが、お江はもう一切れをぱくり。
「あちゅっ……ふぅ~。――うまっ!」
「揚げ物は熱いうちがいちばん。火傷には気をつけて」
私とお初も恐る恐る口へ運ぶ。
……猪より臭みが薄く、やわらかな肉がほどける。衣はさっくり、油は嫌味がなく口中をさらりと満たした。
「――たしかに、美味いわね」
お初の箸が進む。お江は早くも“おかわり”の気配。
「このような肉料理、初めていただきました。唐揚げとはまた趣の異なる“油揚げ”。橙の塩だれも絶妙にございます」
「喜んでもらえて何より。……ただ、この“つけ汁”はまだ試行錯誤。もっと“ご飯が進む”濃い味にもしたいんだ」
「私はこれで十分だと思いますが……」
「“変態”は、美味なるものを生む天才ね」
「なんか、その言い方、棘があるんだけど!」
「マコ~、すっごく美味しい。母上様にも食べさせたい!」
「うん。豚肉は保存が難しい。今日の一頭は“とんかつ”にしてお重に詰めよう。たっぷりあるよ」
その日、お江が持ち帰った“とんかつ”が、やがて黒坂様の評判を一段と高める出来事になるとは――誰もまだ、知らなかった。




