茶々視点外伝 茶々視点・②⑦話・黒坂家の弁当
日が傾きかけた頃、黒坂様の様子をうかがおうと御座所へ向かうと、森力丸が重箱の蓋を外している最中だった。
「あら、お食事の支度でございますか、黒坂様」
「うん。屋敷で桜子たちが詰めてくれた重箱をね」
「本丸なら台所方がご用意しているはず。……まさか毒の心配を?」
「ははは、違う違う。台所にも柳生の者を入れてあるから、その心配はないよ」
「では、なぜこちらを?」
重箱の中には、あの香ばしい“唐揚げ”をはじめ、黒坂家自慢の品々が整然と並んでいた。
「ああ、そういうことでございますか。お好みの品を届けさせている、と」
「うん。桜子たちには俺の好みを伝えてある」
「マコ〜! お弁当、届いた?」
廊下からお江の弾む声。襖の陰から顔をのぞかせ、私と目が合うや、ぴたりと引っ込む。
「お江、もう遅いですよ。――と」
「はは、ばれちゃった」
「近ごろ食が細いと思っておりましたが、こちらでご相伴に預かっていたのですね?」
「う、うん……」
お江が縮こまるのを、黒坂様がかばう。
「叱らないであげて」
「もう……そうやって黒坂様が甘やかすから、お江の食い意地が増すのです」
「うわ〜、とんだとばっちりでびっくり」
「姉上様、マコを叱らないで。だって台所方の料理より、桜子ちゃんたちの方が美味しいんだもん」
「……それは認めますが、話は別です、お江」
「わたし、黒坂家のお屋敷で暮らしたい」
黒坂様と力丸が、困ったように笑みを交わした。
「お江、いい加減にしなさい。戻りますよ」
「まあまあ、茶々。ふるまう前提で多めに作ってもらっているから、食べていきなよ」
「しかし――」
力丸がもう一枚の蓋を取ると、部屋いっぱいにたまらない香りが広がった。黒坂家の“唐揚げ”だ。
「今日のは、生姜だれに漬けたやつ。うまいよ」
「マコ〜、食べたい〜。姉上様、いいでしょ?」
断ろうとした、その時――私の腹が、盛大に鳴った。
ぐぅ〜〜〜〜。
「あはは。お腹は正直だね」
頬が熱い。恥ずかしい。
だが、香りは腹の兵を鼓舞し続け、守りの陣はあっけなく崩れた。
「……お江。少しだけ、ですからね」
力丸が小皿に唐揚げを盛り、お江と私の前に置く。
「召し上がれ」
黒坂様の一声で、お江は遠慮なく箸を伸ばす。私も串に刺さった一片を口へ。
冷めていても、衣はさくりと香り、肉はじゅわりと甘い。――手が止まらない。
食べ終えるたび、次の皿が置かれ、また手が伸びる。三皿目に差しかかった時、背後から視線を感じた。
振り向けば、お初。
「……お江だけでなく、姉様まで」
それだけ言い残し、くるりと踵を返して走り去る。お江は唐揚げのみならず、鳥と牛蒡を炊き込んだ“おにぎり”まで頬張っている。
黒坂様は、その様子を嬉しそうに眺めながら、自分の箸も進めた。
「お初も食べればいいのに。なにを遠慮してるんだか」
不思議そうに首を傾げる黒坂様。黙々と食べるお江。
やがて、お初が母上様の手を引いて戻ってきた。
「あらまあ。お江の食が細いと案じておりましたが、こういうことでしたのね」
「お江、お市様に言ってなかったの?」
「えへへへ」
お江は愛想笑いでごまかす。
「お市様には、申し上げているものと存じました。失礼いたしました」
黒坂様が頭を下げると、母上様は手を振った。
「黒坂様が謝ることではございません。お江、言わねば心配するでしょうに。薬師を呼ぼうかとまで思っておりましたのよ……まあ、仕方ございませんね。噂の黒坂家のお料理ですもの」
「母上様、桜子ちゃん――ええと、黒坂家でお料理してる侍女が、すごいの」
「お市様も、よろしければひとつどうぞ」
黒坂様の言に、力丸がすっと唐揚げを盛り付けて差し出す。
母上様はためらいなく口へ運び、目を細めた。
「本当に美味しゅうございます。これは、料理方を習いに遣わさねばなりませんね」
「どうぞ。門外不出というわけじゃない。教えますよ」
黒坂様は気さくに笑った。
お初は、思い描いていた展開と違ったのか、むっとした顔で部屋を出ていく。
――後日、留守居の役目が明けると、城中の料理方が黒坂家の屋敷へ料理を習いに通うようになった。
唐揚げの香りは、やがて安土の台所にも広がり、冬の本丸に、温かな笑い声を増やしていった。




