茶々視点外伝 茶々視点・②⑥話・留守居役黒坂常陸介
伯父上が兵を率いて京へ発たれると、黒坂様は真面目に本丸に詰め、上様より宛てがわれた部屋に入られた。
本丸の門には柳生宗矩とその配下を配置し、前田慶次には二ノ丸の巡回を命じている。立ち居振る舞いも、いつしか武家の大将としての体裁を備えつつある。
その様子を母上様とともに遠目に見ていると――
「黒坂様にも、大将の風格が少し芽生えてきたようね」
「当然にございます。でなければ困ります」
「まあ、茶々がなぜ困るのかしら。黒坂様は兄上の“客分”。家臣ではないのだから、大将として育たずとも差し障りはないでしょうに」
「……」
「ふふふ、冗談よ。――それなりの大名になっていただかねばね。輿入れするには」
「母上様、わたくしは黒坂家に輿入れしたいなど、一度も申し上げておりません!」
「そんなにむきになって否定しなくてよいのよ、茶々」
母上様は、私の心の奥底まで見透かしている――私はいま、織田信長の姪。いつ政略のために嫁がされるか分からぬ身である。見知らぬ大名に出されるくらいなら、黒坂家へ……そう思ってしまう自分がいる。
「母上様。では、黒坂様が出世なさるには、どうすればよろしいのでしょう」
「黒坂様は、戦に出ずとも出世するわ。あの御方は、それほどの知を備えておいでだから。兄上の“軍師”の座が黒坂様へ移るのも、遠い先の話ではあるまいね」
「それほどの……。もしや、大陸の唐や天竺、あるいは南蛮まで行き来したことが?」
「茶々。黒坂様のことは、ご本人からお聞きなさい。時が来れば、あなたの問いにすべて答えてくださるわ」
母上様はそう言って、するりと奥の間へ消えた。
私も居室へ戻ろうと廊を折れたところで、声が耳に入る。
「――常陸殿は、あくまで上様のお客人。留守居役も名目上のこと。警備に指示など出されずともよろしい」
「いや、名目であっても役をいただいた以上は、全うしないと。相応の御扶持も賜っているからね」
佐久間信盛の家臣が、遠回しに黒坂様へ“控えよ”と釘を刺している。
「留守居役奉行を申しつかった我が主・佐久間信盛様では、不満がおありか」
「不満はないよ。ただ――この前の明智の変の折、残党が忍び込んだろう? ああいう事態は二度と避けたい。だから、うちの身軽な者たちに巡回させているだけ。気にしないでくれ」
「……ちっ、新参者が出しゃばって」
その舌打ちが、私の耳にもはっきり届いた。胸のうちに熱が走る。私は一歩進み出て、わざとらしく声を張った。
「黒坂様が警護のお役を引き受けてくださっているおかげで、私どもは安心して過ごせます」
振り向いた佐久間家の家臣は、はっとして膝をつき、深く頭を下げた。黒坂様が肩をすくめ、私に笑いかける。
「あっ、茶々。しばらくは本丸泊まりだから、よろしくね」
「こちらこそ、お願い申し上げます」
私が恭しく頭を下げるのを見て、家臣はそれ以上、黒坂様に絡むことなく退いた。
雪の明るさが庭を白く照らす。
静かな白の下で、本丸の布陣は、黒坂様の采配に従って、少しずつ、しかし確かに形を整えていった。




