茶々視点外伝 茶々視点・②⑤話・黒坂様は寒がり
翌朝、戸を引くと、庭は一面の雪化粧だった。
それでも私たちは、いつもどおり身支度を整え、黒坂家の屋敷へ向かう日課をやめなかった。
屋敷へ着くと、やけに静か。勝手知ったる我が家のように廊下を抜け、黒坂様の御座所へ向かう。
「失礼いたしますよ」
障子を開けると、黒坂様は炬燵に潜り、縮こまりながら温めた酒粕を啜り、何やら物書きをしていた。
「う〜、寒いから早く戸を閉めて……」
「なにしてるの、あなた」
「……ああ、火縄銃の改良案を書いててさ……」
「そういうのは書院でするものでしょう?」
お初は、だらしない姿にむっとしたらしい。お江はというと、当然のように黒坂様の隣へ滑り込み、そのまま炬燵へ。
ほどなく桜子たち三姉妹が火鉢を三つ、そっと運び入れる。部屋の寒気が、ようやくやわらぐ。
「ええと……黒坂様は、寒いのが本当にお嫌いなのですか?」
私が問うと、黒坂様は盛大なくしゃみをひとつ。
「寒いの、苦手でね……い、茨城――いや、常陸の国は、滅多に雪が降らないんだ。しかもこの屋敷、隙間風が……」
「あなた、よほど良い造りの屋敷に住んでいたの?」
お初が首を傾げる。
「こんなに広くはなかったけど、隙間風は防ぐ造りだったんだよ、うちは……“平成”の家が懐かしい」
(へいせい……地名? それとも……?)
「御言葉ですが、この屋敷の造りは安土でも屈指。もとは明智の屋敷、家老格の邸でございますよ」
「そうなんだよねぇ、それは分かってる。けど――近江は寒い……」
炬燵に手をうずめたまま、情けない声を出す黒坂様。いつもの威勢はどこへやら。
「ならば、手直しを命じればよろしいではありませんか。伯父上様から、それくらい叶うだけの御扶持を頂いているのでしょう?」
「え? この屋敷、俺が勝手に改造していいの?」
「当たり前でしょう。伯父上様が真琴に下された屋敷ですもの」
お初が呆れ気味に言う。
「ここは黒坂家。好きにしても誰も文句は言いませんよ」
私は腰を下ろし、散らばった火縄銃の絵図面を集めながら言った。すると桜子が慌てて駆け寄る。
「茶々様、お片付けは私どもにお任せくださいませ」
「待って、勝手に片づけないで。改良の書き込みが混ざってる」
黒坂様がずるずると炬燵から這い出し、私と桜子の手から図面を抜き取る。その姿は、まるで殻から伸びる蝸牛。
立っていたお初の足元にも一枚。黒坂様は、ほとんど炬燵から出ないまま、手だけ伸ばして図面を取ろうとして――
「ちょっと、また妖怪みたいになってる! 気持ち悪い」
お初が軽く背を蹴る。
「仕方ないだろ、素足で足が冷たいんだから」
「だったら足袋を履けばいいでしょうが」
げしげし、と容赦がない。
「お初、やめなさい。殿方を蹴ってはなりません」
「姉上様、真琴は蹴られて喜ぶからいいのよ」
「よくありません。――黒坂様も、しゃんとなさいませ。そんなに寒さが嫌なら、綿入れ半纏でも今井宗久に頼んで届けさせたら?」
「綿入れ半纏……それだ。桜子、今井屋に頼んで」
「はい、御主人様」
桜子がうなずき、梅子を使いに出す。
「剣の稽古にはならないようだから、私は戻るわ」
お初が踵を返し、さっと出ていく。と、黒坂様は床を“トン、トン”と二度叩いた。
「――お初が無事に帰るか、見届けて」
独り言のように落として、床下から即座に返事。
「畏まりました」
床下に忍ばせていた家臣の気配が、ふっと遠のく。
「……忍び、増やしておられるのですか?」
「んー、慶次が母親の伝手で雇い入れててね。“裏柳生”と合わせると、ちょっと増えた。屋敷のあちこちに潜んでるけど、うちの家臣だから気にしないで」
黒坂様はようやく炬燵から半身を出し、照れ臭そうに笑った。
障子の向こうでは、静かな雪がまだ落ち続けている。冷えた空気の中で、火鉢の炭が小さく“ぱちり”と鳴った。




