茶々視点外伝 茶々視点・②①話・茶々対桜子
「茶々様、本日、御主人様は登城にて上様と“会議”をなさっておりますが――」
「承知しております。昨日、黒坂様から直にうかがいました」
私は桜子と言葉を交わしたくて、あえて黒坂様の留守を見はからい、黒坂家の屋敷を訪ねた。
森力丸は護衛として黒坂様とともに登城、前田慶次は休暇で町へ飲みに出ている。
柳生宗矩は屋敷内で家臣たちに稽古をつけていると聞く。
「本日は、あなたと話がしたく参りました」
そう告げると、桜子は思わず身を固くして小さくなった。ほどなく、梅子が湯気の立つ煎茶を運んでくる。
「失礼いたします」
「ありがとう。ここの煎茶は口当たりがよくて、好きよ」
「御主人様が、今井様より良き煎茶を買い求めておられますので」
「なるほど――それでね」
桜子が、おずおずと問い返す。
「あの……茶々様、その“お話”とは?」
「そんなに畏まらなくてよいの。黒坂様が“家族”と呼ぶ家人を、私が追い出すはずもないでしょう?」
「では……いかなる御用向きに」
「あなた方が、伯父上――上様から、どのように申し付けられてここで働いているのか。念のため確かめておこうと思って」
桜子は一度、膝の上で指を組み直し、はっきりと答えた。
「上様より、『黒坂様――御主人様の身の回りのいっさいを取り計らえ』と仰せつかっております。あわせて、御主人様のことで知り得たことは一切口外無用――破れば火炙りも辞さず、との厳命。ゆえに、茶々様であっても、御主人様の御事に関わることは申し上げられません」
「そう。黒坂様の件は、いずれ私が直に伺うからよいわ。――それより“身の回り”とは、ほんとうにそれだけ?」
桜子はふっと目を伏せ、わずかに頬を染めた。
「……伽のこと、にございましょうか。『慰めの相手も務めよ』と、確かに申し付かっております」
「で――伽は、済ませたの?」
つい身を乗り出して問うと、桜子は顔を両の手で覆い、さらに両掌で軽く自らの頬を叩いて気を取り直した。
「その……夜伽をと、寝所へ参りましたところ、御主人様にお叱りを受けました」
「まあ? あなたほどの美貌なら、男は喜ぶものではなくて?」
「わ、私ごときが美しいなど、とんでもない。御主人様は『伽は、好き合う者どうしがするもの。役儀で致すことではない。下がりなさい』と……」
「“据え膳食わぬは男の恥”というけれど――」
「いま、なんと……?」
「なんでもありません」
「その夜は、翌朝からどう御主人様にお仕えすべきか、悩み通しで眠れませんでした。ですが、翌日も変わらずお優しくて……」
桜子が紅をさしたように頬を染める。私は、そこで察した。
「――好きになってしまったのね?」
「と、とんでもない。私ごときが、かようにお偉い御主人様を……」
「隠さなくていいのよ。好き嫌いに身分は関わりません」
桜子は小さく息をのみ、恐る恐る問う。
「茶々様は……なぜ、そこまでお確かめに?」
「黒坂様と同じ屋根の下で働く者が、どのような気持ちで日々を送っているか、知っておきたかっただけ。――つまり、あなたは黒坂様を慕っている、ということね」
「お許しください。どうかこのこと、御主人様には……」
「言いません。約束するわ。それより大事なのは――あなた方が、黒坂様に仇なす心を持たぬこと。そこだけは、確かめておきたいの」
桜子はきっぱりと顔を上げ、言葉を強めた。
「とんでもございません。人買いに引き裂かれかけた私ども三人を、そろってお召しくださった御主人様に、恩こそあれ恨みなど微塵もございません。仇なすなど、考えもいたしません。私たち三人、御主人様に忠誠を誓っております」
廊下で控えていた梅子と桃子も、ぴたりと頭を下げて声を揃えた。
「「姉様の申すとおりにございます」」
「そう――それが聞けて何より。では、今日はこれで帰るわね。……ああ、私が来たこと、黒坂様には内密に」
特に秘すべきほどでもない。けれど、念のためそう言い置いて、私は席を立った。
湯の香の残る廊下に出ると、庭の向こうで宗矩の号令が鋭く響き、木刀の打ち合う音が続いた。屋敷の中で、それぞれの役目が、静かに、確かに定まってゆくのを感じた。




