茶々視点外伝 茶々視点・②⓪話・柳生宗矩
前田慶次利益が黒坂家に召し抱えられてからというもの、彼は毎朝きまって安土城本丸御殿の門前に姿を見せ、私たち三姉妹の黒坂屋敷への往来に付き添ってくれるようになった。
私たちは――とりわけお江は――ほとんど日参と言ってよい。通うほどに、屋敷には人の気配が増え、家臣筋も少しずつ整っていく。
庭では、お江の相手をする妙に身の軽い若者がいる。身のこなしは、どう見ても“忍び”。
(慶次殿の手の者? しかし、慶次殿が采配している風でもない。では森力丸の手配か――)
そう思案していた折、屋敷に来客があった。名は柳生石舟斎と、その子・宗矩。私たちと歳の離れぬ若武者である。前田慶次も控えていたので、私は出しゃばらず、庭で遊ぶお江を見守っていたところへ――黒坂様、石舟斎、宗矩、さらに慶次が庭へと出てきた。
「柳生の剣、この目で確かめたい。ひと手、教えを乞うてもよいか」
「宗矩、相手を務めよ。――常陸様、この宗矩、若輩なれど、わが柳生の極意は余さず授けております」
「ならば、雇う身として、その腕を見極めたい」
やり取りが聞こえる。私は少し離れて見守った。黒坂様は木刀、柳生宗矩は素手で構える。
黒坂様がさっと踏み込み、斬撃の間を抜けるように宗矩が身を捌き、脇腹へ寸勁の一打――黒坂様がわずかに呻き、咳を洩らした。
「見事な剣捌き。一流の太刀筋にて候。しかし“無刀取り”には、ひと呼吸遅れましたな。……されど、黒坂様が真剣であれば、この宗矩とて受け止め切れたかどうか――」
「さすが石舟斎殿、見抜かれますか。俺は抜刀を得手としていてね」
「――鹿島一之太刀、か」
短い沈黙。私は歩み出て口を添えた。
「黒坂様の抜刀は、目にも止まらぬ早業。甲冑の敵を一刀両断なさったこともございました」
「茶々、その折のことは……できれば忘れたい」
「失礼をば。――で、黒坂様、この若者も召し抱えられるおつもりで?」
私が問うと、脇から森力丸が一歩進む。
「茶々様、柳生の者どもは、すでにこの屋敷で働いております。先ほど庭でお江姫様のお相手をしておったのは、“裏柳生”と称する忍びにござる。かねて殿の警護のため潜り入れており、その取りまとめとして柳生宗矩殿をお迎えします」
「そういう段取りでしたか。――茶々、承知しておけ」
黒坂様が私へ目を向け、続けて宗矩に言う。
「宗矩。うちには上様の姪、浅井家の姫三人が出入りする。茶々とお初には、俺が剣を見ているが――そなたの目でも改めて見てやってくれ」
「はっ。御意とあらば、微力ながら」
宗矩は深く頭を垂れた。
その日を境に、私とお初の剣は目に見えて冴えを増した。運足の間合い、刃筋の通し方、受けから崩しへの移り――宗矩の一言で霧が晴れる思いがした。
一方のお江はというと……なぜか忍びの術ばかりが上達してゆく。いつの間にか、廊下の梁を音もなく渡り、庭石の陰からふっと現れては皆を驚かせるのが得意になった。
――この日の邂逅は、私たちの将来を確かに変えた。
剣は道となり、護りは網となり、黒坂家の屋敷は、静かに、しかし確実に“戦う家”の顔を備え始めていた。




