表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

1032/1168

東日本大震災から10年・特別SS

不快に思われる方もいるかと思います。

しかし、東日本大震災被災者の一人、実家を失った一人として書かせていただきます。

あの時の体験した揺れを物語として書かせていただきます。

読んでいる読者の皆様には経験したことがない方や、子供の頃で覚えていない方もいるかと思います。

それこそ生まれていなかった読者もいるかもしれません。

そんな方に少しでも大震災の恐怖を伝えたいと思います。


備えあれば憂いなし。


地震は備えあれば被害を減らせる災害だと私は思っています。


今一度備えを見直すきっかけになれば・・・・・・。


1611年になぜかいる俺は太平洋をひたすら見ていた。


2011年3月11日14時46分。


あの日は3月だというのに珍しく、いわき市では時折風に吹かれて雪が舞い散る寒い日だった。


あの日を思い出しながら、俺はただただ、太平洋の静かな水平線を五浦城の天守から眺めていた。


400年後に起きる大災害、東日本大震災。


防ぐことは到底できない。


その悔しさが言葉には表せなかった。


あの時、この茨城も押し寄せた津波で被害が。


大洗が偶然映像が残っているため、テレビ番組で取り上げられる機会も多かったが、平潟や大津、磯原でも津波が押し寄せ建物を壊し、港を壊し、死者も出ている。


東日本大震災は、マグニチュード9.0という観測史上最大級の地震だった。地震発生から数十分後、最大40.1メートルに達する津波が東北地方を襲い、広範囲にわたる壊滅的な被害をもたらした。死者・行方不明者は約1万8400人、負傷者は約6000人に及んだ。さらに、地震と津波による影響で福島第一原子力発電所が深刻な事故を引き起こし、多くの住民が避難を余儀なくされた。


御祖父様から昔、チリ地震大津波で北茨城市にも被害があったのは聞いていたが、まさか自分が経験することとは思っていなかった。


あの巨大な揺れ6強を長い時間、3分以上の長い大きな揺れ、体感したことのない地震は、地球が壊れるのでは?


日本が沈むのでは?そう思えるほど立っていられない揺れだった。


茨城県鹿嶋市に住む俺はたまたま、親類の葬儀に参列するのに学校を休み、福島県いわき市にいた。


たまたま最新の携帯で地震速報を揺れが大きくなる前に聞いた。


たまたま俺は広い駐車場に出ることができた。


たまたま瓦が落ちてくる場所ではなかった。


たまたま高台にいた。


偶然が重なり、無傷で避難ができた。


避難した駐車場では、サイドブレーキが引かれているだろう車たちが、そんなのを関係なしにあまりに長い揺れに無人で動いていた。


アスファルトは、つなぎ目から大きく裂け、隆起や陥没するほどだった。


北茨城市にある、お祖父様の家までは直線距離、国道6号線を歩けば2時間で行ける。


だが、国道6号線は海沿い、津波を避け暗い暗い山道を大渋滞を起こしている車を横目にただただ、6時間かけて歩いて避難した。


あの時、運転席から顔を出し、北から来た俺に下り車線から「道はありますか?」そう聞いてきた運転手さんが多数いた。


「植田の川は溢れましたが道はありますよ、泉までは通れます。ただ、渋滞は凄いです」


「ありがとうございます!お気をつけて」


そんな会話は今も心に残る。


あの方たちは無事に目的地に行けたのだろうか?


たどり着けたと信じたい。


……400年後、この太平洋沖で起きるのか……。


そう思うと今は過去なのに不思議と手を合わせずにはいられなかった。


約10分、俺は太平洋に手を合わせた。


『災害は忘れた頃にやってくる』


やってくる。


今から400年後と言わなくても、ここには、日本には、地震、津波、噴火、火山災害、台風、多くの災害が来る。


なら自分がその時、少しでも被害が小さくなるよう動かなくては。


まずはできることからだな。


すぐできる小さな防災は、備蓄、そして家具の固定だろうな。


非常食や水、懐中電灯、電池、ラジオなどの準備は必須だ。ガスや電気、水道が止まることを考え、最低でも3日分、できれば1週間分の備えが必要だろう。特に水は重要だ。人間は食べ物がなくても数日は生きられるが、水がなければ命は長くは持たない。


……。


地震、せめて予測できるようになれば良いのだが……。


(ここから物語は400年前の世界に広がる)


俺は1611年のこの時代にいる。


なぜかはわからないが、気づいたときにはこの時代にいた。


だが、歴史を変えることはできない。


そう確信していた。


未来の大災害を知っていても、それを防ぐことはできないのだ。


それでも、俺はこの時代で何かできることはないかと考えた。


まずは、災害に備える知識を広めること。


村人たちに地震の恐ろしさを伝え、高台に避難することを教える。


津波の危険性を知り、少しでも被害を減らすための対策をする。


だが、この時代にそんな話をしても信じてもらえるのだろうか。


「海が陸を飲み込むなんて……」


「地震のあとに波が来る?」


村人たちは信じられない様子だった。


それでも、俺は諦めずに話し続けた。


「もし、大きな揺れを感じたら、すぐに高台に逃げてください」


「海の近くにいるときに揺れたら、迷わず逃げてください」


「命を守るために、どうか覚えておいてください」


村人たちは半信半疑ながらも、少しずつ俺の言葉を心に刻み始めた。


そして、ついに1611年12月2日。


慶長三陸地震が起こる。


そのとき、俺が話したことを思い出し、村人の多くが高台へと避難した。


結果、村の被害は最小限に抑えられた。


俺はその光景を見ながら、静かに空を見上げた。


「未来は変えられないかもしれない。でも、今を生きる人々を守ることはできる」


そう思いながら、俺は再び水平線を眺めた。


歴史は変えられなくても、未来へ伝えることはできる。


それが、俺の役目なのかもしれない。


そして俺は、この時代の人々と共に生きる覚悟を決めた。


未来の知識を活かし、災害を少しでも減らすために。


400年後の世界に思いを馳せながら、俺はこの時代を生きていくのだった。



被害に遭われた皆様に。  合掌


このような日に、このような場に、この様な話、なぜ書く?

そう思うところもあると思います。

しかし、自分なりの行動として少しでも防災の意識を持って貰いたく書かせていただきました。

この物語は小説家になろう版、そして書籍版にも度々災害を書いています。

砕けた物語に水を差していると思う方も大勢いるとは思います。

しかし、物語を読むことで少しでも『防災』『減災』に意識が向かう事を願い秘め、そこの部分は真面目に書かせていただいています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
i621522 【書籍版案内】 最新情報オーバーラップ文庫公式サイトへは画像をクリック i533211 533215 i533212 i533203 i533574 i570008 i610851 i658737 i712963 本能寺から始める信長との天下統一コミカライズ版☆最新情報☆電撃大王公式サイト i533528 i533539 i534334 i541473 コミカライズ版無料サイトニコニコ漫画
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ