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六番 サード 屈託③



………その後も『西九条の試合』は留まるところを知らず、この世の酸素が無くなるまで口が止まることはないのではないかと思うくらいに徹底的に、彼女は解説を続けた。


俺も香櫨園もそれをかなり楽しそうに聞くので、西九条自身もかなり気を良くしたらしい。結局、そのまま試合が3対0、件のピッチャーの一安打完封で終わりを告げるまでその話は続いた。気がつけば時計は12の文字を二周半、時間にして午後9時30に差し掛かろうとしていた。



「楽しい時間は過ぎるのが早いな、諸君。


だが、条例で定められた帰宅時間まで残すところ30分だ。そろそろ帰るとしよう。」



平気で刃物振り回したり、生徒に酒を勧めたりするくせに教師らしい事を言う香櫨園。


どの口で、と突っ込みたくなるのを必死で堪えて、俺は「そうですねぇ……」と名残惜しくも相槌を打つ。喋り疲れたらしい西九条は、無言で席を立った。


と、そこへ来訪者がひとり。


鳴尾商店街野球部のユニフォームに、キャッチャー用のレガースを着けたままの、小柄で髭もじゃの中年オヤジが勇ましい笑みを浮かべて近づいてくる。


明らかにこちらに用事がある風で、しかし知り合いであるわけもなく、俺も西九条もたじろぐ。


その時、何を思ったか俺も自分でわからないが、なんとなく西九条を隠すように前へ出たが、


彼女は余計なお世話だとばかり俺を押し退けてさらに前へと躍り出ていった。




「香櫨園、どうや。面白かったやろ?」



髭もじゃの男は、俺たちではなく、香櫨園にそう声をかけた。


香櫨園は丁寧に頭を下げたあとで、


「さすがのリードでした、監督。」


と返事をする。



監督?どこのだ?と俺も西九条も顔を見合わせる。推察するまでもなく、この髭もじゃのオッサンはさっき相手打線を完璧に押さえ込んだバッテリーのキャッチャーの方だろう。滴る汗とレガースがそれを示している。


選手兼監督、という線がなくはない。というか、それだろうか、などと思っていたところ、香櫨園がこっちを見てこんなことを言った。



「二人とも。紹介しよう。


我が土井垣学園野球部の監督、武庫川(むこがわ) (ゆたか)先生だ。今日あたしたちを招いてくれたのは、この人だ。」



紹介に応じて、髭もじゃのオッサンはニカッと歯を見せて快活に笑う。西九条が微かに「えっ」と声をあげる。俺は……とっさよことに「お、お晩です!」と何故か鹿児島弁で挨拶するのが限界だった。



「監督、この二人が野球観戦部の部員です。」



「だあっはっは!よー来たのー、ええ?やっぱり野球は観客おらなんだら盛り上がらんさかいな、大歓迎っちゅうやつやわ!


どや?面白かったか?」



おおよそ監督臭ゼロのオッサン、武庫川。だが、さっきまで西九条による『いかにキャッチャーのリードが凄いか』を延々一時間近く聞かされていた俺に、その人物の言っていることの真偽を疑う心は、存在しなかった。


むしろ、なるほどな、という納得の心すら生まれる。



「とても興味深く見させていただきました。ポイントを絞った配球術、若輩者の私が言うのも烏滸がましいでしょうが、お見事でした。」



およそ魚屋の娘とは思えない上品な言葉づかい。そのあと「あのカットボールはプロでも通用するレベルだと思います」と月並みな事を言った俺に関しては首をくくりたくなる。


しかし意外にも、武庫川が食いついてきたのは俺の返事だった。



「そう思うか?」



「思います。カットを習得できなくて苦労してる人、知ってますから。」



オヤジの事である。若いころ、どうしても投げたくて血の滲むほど練習したが、ついぞ実用段階のものにはならなかったという。


モノがスライダーと直球の中間的な玉なだけに、ある程度変化量がなければ回転の変な、ちょっと遅くて甘いストレートになりかねないのである。



「その言い方やったらまるでプロに知り合いがおるみたいやな、ハハハ!


まぁええやろ、俺もおんなしように思っとる。あいつのカットは社会人離れしとるさかいな、もうほんの五キロストレートが早きゃプロの目もあったんやろうが………」



「…………。」



俺は何も言えなかった。現代野球において、プロとして生き残れるストレートの早さのボーダーラインは著しく上昇している。あのピッチャーが何歳かは知らないが……成長見込みのない135キロでは、生き残っていくのは厳しいだろう。


オヤジの場合は、150でも苦しい時期があった。




「さっきのピッチャーはな、出屋敷。武庫川さんの教え子なのだよ。」



まるで自分が育ててきたかのように誇らしげにそう言うのは香櫨園。さいで、と俺は思う。武庫川の話し口がやたら親しげだったのが気になっていたのだ。


ふと、俺はほったらかしの形になってしまった隣の西九条を横目で見た。


彼女は………少し膨れっ面であるように見えた。無視されたのが腹立たしいというよりは、話したいことがあるのに話せない、というフラストレーションであるように見てとれた。



「あいつなぁ………高校の頃ならドラフトかかるかなぁと思ったんやけどもな。残念ながら、チーム自体が予選敗退で目立たんかったさかい………」



「大学ではどうだったんですか?」



食らいついたのは西九条。武庫川「おおビックリした!」とわざとらしく飛び退いて見せたあと、彼女から何の反応もないことに苦虫を噛んだような顔をして、



「顧問と折り合い悪うて試合出れんかったらしいわ。不運なやつ………」



と呟くようにそう言った。西九条もさすがに黙るしかないようだった。


自然と重くなる空気。元凶と言えなくない武庫川はその責任を感じたか「あれか、君は、部長さんの女の子やな」と明るく声をかけた。


西九条が「はい」と答えると、武庫川は「あのピッチャーが気になるんか」と尋ねる。西九条は、



「私の中の感覚では、カットボールに関しては本気でプロのレベルだと感じました。


滅多に間近で見れるものではありません。当然興味はあります。」



とやや食い気味に答えた。


すると武庫川はニヤリと笑い、後ろを振り返ると「おう、野田ァ!」と叫んだ。野田らしい人影が「ハァイ!」といういかにも体育会系な返事と共に現れたのはそのちょくごのことで、それは紛れもなくさっきのカットボーラーだった。



西九条の目がほんのりと輝く。オヤジを語るときと同じ、凄い野球選手を前にして高揚している様だった。



さて、武庫川のオッサンは一体野田さんを呼んで何をするつもりなのか。話でも聞かせてくれるのかな、と思ったところ。


武庫川は、俺も、恐らく西九条も予想だにしなかったことを口にした。




「野田、この子らにカットボール見せてやれ。」


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