六番 サード 屈託②
ーーーさても、そんなこんなで入部から一週間が過ぎ。試合考察のレポートは、順調に枚数を重ねていく。
野球観戦部は未だ、部活動としては仮申請の段階にある。7月中旬の審査会、ここで部活動としての目的と実績が認められるまでは、正式な部としては認められない。
故に、学校から下りる部費は少なく、部に財産としてあるのはスコアブックとレポート用紙、それに備品としてテーブルと椅子だけということになる。
西九条曰く、部として必要なものはこれ以外にも山ほどあるとのこと。双眼鏡にカメラ、ハンディカム、ストップウォッチ、スピードガンetc.………挙げればきりがないが、試合分析の精密さ向上のためにはどれも欠かせないものらしい。
そんなわけで、近いからといって、部としてしょっちゅう甲子園に行くわけにはいかない。西九条は阪神ファンではあるが、野球観戦部部長としての自覚は……特に誰に求められているわけでもないのに……凄まじいらしく、部として観戦する試合は経費削減のためプロ野球で無くてもやむ無し……それこそ少年野球や草野球、近所の三角ベース以外ならどこでも良しとするようだった。
………まぁ、せっかくそれ用の部活まで作って阪神を生で見られないというフラストレーションは溜まっていくようではあるが。
ーーー時は移ろい週明けの月曜日となるこの日、俺と西九条、そして一応顧問ということになるらしい香櫨園は、
翌日の『感想戦』の材料を求めて、放課後、ナイター施設完備の近所の市民グラウンドへ向かっていた。
何でも、オッサン同士の草野球の練習試合があるらしい。まぁー、月曜日の夜からご苦労様な事で。残り一週間仕事しんどくて仕方なかろうに。
この情報を拾ってきたのは香櫨園。何でも、知り合いが選手の一人で、そいつに野球観戦部の話をしたら是非見に来てほしいと言われたらしい。
請われて行くなら部としてこれ以上の事もない。野球には素直な西九条がこれを快諾し、今に至るわけである。
日も落ちた午後七時。香櫨園の知り合いの所属する鳴尾商店街野球部と大物スターズの試合は始まった。
驚くべきことに、その内容は非常にハイレベルだった。鳴尾商店街の先発ピッチャーは、元甲子園球児。MAX135キロ前後と見受ける速球と、現代最高のスライダー系変化球と言われる真っスラことカットボールを駆使して六回をパーフェクト、完璧なピッチングで打線を粉砕。打っては社会人野球経験者のベテランが大物スターズ投手陣をしぶとく捉えて三点を先取。六回裏終了時点で3対0と、実質鳴尾商店街野球部のワンサイドゲームとなっていた。
「たまげたわ。」
アダムとイヴの最高傑作からよもやそんな言葉が聞けるとは思っていなかった俺は、その語感と彼女のギャップに吹き出しそうになるのをやっとこさ堪えて、
何にそう感じたのかを尋ねてみた。彼女はこう答えた。
「あのピッチャーよ。野球団の。
とても草野球のレベルじゃないわ。社会人野球の決勝にいたって驚かない。」
「………確かに凄い。うん。同感。」
「例によってあなたは、数字としてのデータと見た目だけでそういっているんでしょうけど……私は違うわ。」
見透かしたような事を言う西九条。完全に見透かされた形になった俺は、彼女に抗うことを早くも諦め「そのこころは?」と問うた。
「1イニング毎に投手としてのタイプを変えているわ。例えば初回はストレート押しの剛球派、二回は打ってかわって大きく曲がるカーブ中心の軟投派。三回は………メジャーリーガーのリベルを意識したカットボーラーならではの配球ね。
大物スターズはたまったものではないわ。中継ぎ九人を相手にしているようなものだもの。」
「七変化のピッチャー、というわけだな。なるほど確かに、ここまで多く投げ分けのできるピッチャーはそうそうプロでもお目にかかれるまい。」
相槌を打ったのは俺ではなく付き添いの香櫨園だった。白衣を夜風に靡かせて、腕を組みグラウンドを輝かんばかりの瞳で見つめている。
単純な表現だが、非常に楽しそうだ。
「しかし西九条よ。そうなってくると、凄いのはピッチャーだけではなくなってくるのではないか?
投げ分ける方も大変だが、それだけパターンを変えて配球を組むキャッチャーにも、相当負担がかかるとみたが。」
「確かに………俺も一回やったことがあるが、正直素人ではどう組み立ててもワンパターンになってしまうもので……」
「香櫨園先生、シラフだと鋭いですね。
私もそう思います。ピッチャーの技術はいうに及ばずですが、この配球の組めるキャッチャーは、相当優秀です。」
そう言う西九条の表情は、相も変わらずクール一徹、限りなく透明に近かったが、
しかしその声は若干上ずっていた。これは、彼女が興奮しているか、かなり楽しく感じているときのサインである。
「初回から全てが計算づくです。恐らく……二回に変化球主体のスタイルを持ってきたのは、クリーンアップを効率的におさえるためでしょう。
たぶん、キャッチャーにもピッチャーにも、上位打線を抑えるだけの自信はあった。問題視していたのは四番だけ……実際、二打席目はファールとはいえ大飛球を一つ打っています。
最初の三人に、ストレート主体の勝負を仕掛け、見せておけば……当然、四番の頭はストレート責めになることでしょう。このピッチャーには自信があるんだろうなと、そう感じるはずです。」
「ははぁ、その裏をかいた訳だ。
それで全ては対四番の布石だったと言いたいわけかね?」
「ええ、少なくとも私はそう思います。四番に対する配球は、初級インハイギリギリカットボール、二球目膝元もう一球カットボール、三球目外角はずし目のストレート挟んで、最後は緩いドロップ系のカーブ。配球自体は大体セオリー通りですが、しかし相手の頭にストレート主体のイメージがあるゆえ効果のほどが全く違う、というわけです。」
………あり得ないのは承知で、このレベルの解説をかます女子高生が世の中に溢れるようになったら野球解説者はことごとく失職してしまうことだろう。
わかっていたことだが、西九条の野球に対する情熱は桁が違う。言い方悪いがたかだか草野球の試合を、これほど深く、詳細に分析しようと試みることなど、もはやそれ自体がある種異常だ。
もはや、プレイヤー以上に真剣なのかもしれない。彼女にとって、野球観戦とは、それだけでもはやひとつのスポーツ足り得るのではないかと思うほどだ。