17番 ライン引き 騒乱①
ーーー17番 ライン引き 騒乱ーーー
「………以上が野球観戦部の活動内容です。
野球好きが集まって、とことんまで野球の奥深さを楽しんでいく。理解を深めた先に更なる面白さを見つけることが、私達の最大目標です。」
西九条真訪は弁舌爽やか論説見事、聞く者の口を問答無用に塞ぐような口回しで部活審査会のスピーチを終えた。
元々、香櫨園には「隣で出屋敷が裸踊り始めたって通る」という意味不明だが物凄く確信のこもったお墨付きをもらっていたので、さして心配はなかった。が、完璧を求める西九条は一切の妥協をせず。
ほかの部活が紙面の文章を読み上げフリップなどで簡潔単純にその活動内容を示すなか、彼女は話すべき内容を全て頭に叩き込み、映写機とパソコンを持ち込みパワーポイントで詳細に解説し、手元に資料としてこれまでの活動で作成したデータ、レポートなどを纏めた冊子を用意し。その時間と言えばゆうに半刻、他の部活と比べて三倍の長さになって、
他の部活とは気合いの入り方が違うことを、存分にアピールすることに成功していた。
審査は、部活法廷と同じく、教師、生徒会会、既存の部活代表の三名による点数評価制となっている。スピーチを聞いた審査員三名は、全体通しての印象を4『最良』・3『良』・2『疑問点あり』・1『評価に値せず』の四段階で評価。平均点が3以上であれば即時合格、2点台だと一ヶ月後の再審査、二点未満で廃部、ということになる。
野球観戦部は平均3.666666666……点を獲得し、文句なしの合格だった。点数の内訳は教師が4点、生徒会が3点、部活代表が4点。生徒会代表は会長の魚崎だったが、さすがに2以下をつけることはできなかったようだった。裏を返せば、これを不合格扱いにするには自分の信用を賭ける必要がある、と、彼女にそう思わせるくらいには、完璧な内容だったということになる。一点の減点は完全に彼女の卑しさでしかなかった。少なくとも俺はそう思っている。
……ま、部活代表が野球部だった時点で、仮に生徒会が一点を叩き出したところで合計点は9点。普通に通過できていたわけではあるが。
ともかく、活動継続許可の判子をもらった俺達は、これで正式な部としての活動を認められ、面倒だった『仮部活』の制約からも解かれることになった。つまり『期間中に揉め事を起こせば即廃部』という、野球観戦部に重音部に対する無抵抗を強いていた厄介者は、ようやく消え去ったということである。
「さぁて……戦を始めようか……」
審査が行われていた会議室、そのドアを出た先で俺と西九条、そして春日野道を待っていたのは、ダガーナイフの刀身で自分の肩を叩き、殺人鬼のごとき好戦的な笑みを浮かべる香櫨園克美の、およそ教師のそれとは思えない佇まいであった。隣には野球部監督武庫川がいる。
「合否がどうなったかとか、聞かないんですね。」
「不戦勝の決まった試合の勝敗を尋ねるバカがいるかね?あたしは全面的に諸君を信頼しているし、西九条がいて通らないなどと思ってはいないよ。」
「当然です。ちゃんとグラウンドに立てさえ出来れば、この程度のことでつまづきはしません。」
相変わらず子煩悩といった様相の香櫨園に、然りとばかり西九条が答える。立てさえすれば、という言葉は、重音部の嫌がらせを堪え忍んできた時間への思いが込められているのだろう。ここ二ヶ月間の野球観戦部にとって、最大の問題はそもそも部活審査会まで話を持っていくことができるかどうか、ただひとつだったのだ。
「ま、何にせぇ通ったんやったらよかったわ。あんだけ協力してもらっといて、野球観戦部は潰れてしまいましたなんて話になったら、目覚め悪いからな。
おたくらの情報と分析のお陰でうちらのチームは初めての準決勝進出。感謝しとるで、ホンマ。」
壁に背を預けて腕組みしながらそう言ったのは野球部監督、武庫川。恐らく練習の合間を縫って駆けつけてくれたのだろう。膝に黒土のついたユニフォーム姿が、義理堅さを示しているかのようだった。
「香櫨園が自信満々に協力を申し出て来たときは………なんやけったいな部活の片棒担がされんのか思うて、正直めんどくさかったもんやけどな。ゲンキンに聞こえるかもわからんけど、受けてよかったわ。君らの仕事ぶりは見事なもんや。
選手らも、かなり感謝しとるで」
ーーー特にエースの梅田とかな、と言って、武庫川は快活に笑った。
野球部を観に行った初日、ストレートの伸びに悩んでその原因を指の角度だと西九条が指摘したエースピッチャー梅田は、その後武庫川に件のレポートを見せられて、自ら願い出て投球練習のペースをスローダウンさせた。
武庫川、梅田共々、不調の原因が肩肘の疲労にあることはわかっていたが、武庫川はチーム全体への影響、梅田は大会前に練習を緩めることへの不安から、互いに言い出せずにいた。
そこに、西九条と春日野道のレポート。第三者から示された同様の見解は、二人の間を遮っていた壁を取り払い、やむなしと見た武庫川はチーム全体への事情説明と共に、梅田にストレッチを中心とした軽めの調整を命じたのである。
結局、問題は梅田の不安だけで、チームとしてそれに不満が芽生えることはなかった。もともと、彼が中心となるチームであったために、彼が万全であることがチーム全体の願いでもあった。そういう思いを、部員互い互いが認識しあうことで………結果的に、ではあるが、全体としてのまとまりもさらに強固なものになった。
仲間の想いに触れることのできた野田が、そのきっかけを作った野球観戦部に感謝するのは、ある種当然の成り行きとも言えた。一時のペースダウンは結果的に彼に好転をもたらし、大会が始まってからというもの八試合を投げ防御率2.13。16強以降は18回を投げわずかに失点3と、尻上がりな成績を残している。
西九条と春日野道のレポートは彼と野球部に思わぬ副産物をもたらし、準決勝進出まで果たす躍進ぶりを、影から後押ししたのである。
「野田くん、球筋明らかによーなったもんなぁ。さすがまこっちゃんやで。ものの三球で見抜くんやから」
ぽん、と肩に手を置いて春日野道。笑顔ではあったが、どこか雰囲気として覇気がない。
……例の一件以来、彼女は自らの尊厳を奪われたかのように落ち込み、元気をなくし、一月前の重音部を飛び出した時の勢いがまるで嘘のように、何に対しても消極的になってしまっていた。彼女いわくの『広島ファンの面汚し』になってしまったという思いは彼女にとって相当重いものであるらしく、西九条とどっこいどっこいに思えるほど強烈だったそのレッズへの包み隠さぬ愛も、
心のなかではどうかわからないが、目に見える部分では完全に成りを潜めてしまっていた。
「……私のやったことは見抜くところまでよ。本当に凄いのは、その程度の情報で修正利かせてくる梅田さん。」
「いやまぁ、そらそうやけどな……」
身も蓋もないことを、と言わんばかりに苦笑する春日野道。だが、西九条は西九条で彼女に最大限配慮していて、その上の発言であることを俺は知っていた。完全に自信を喪失してしまった状態である春日野道は、近頃他人をやたら誉めるようになった。そして、そのあと決まって気分を沈めてしまう。端的に言えば、卑屈になってしまっているのだ。
ゆえに、今の春日野道の他人を称賛する行動は、裏返し的に自分を貶める行為とイコールなのだった。最近マシにはなってきているが、それでもこうして彼女が何かを誉めるときは、それに繋がる可能性が非常に高い。西九条は、それを懸念して、論点をあえて見当違いなところにずらしたのだ。
「ああ、指の角度の話は西九条くんが見抜いたんやったか。謙遜せんでええ、見事見事。あの問題点を見つけるのは、そう簡単な事やないよ。梅田も確かに優秀なピッチャーやが、優秀な分だけ欠点を見つける難しさは上がっていくもんや。」
西九条の気も知らず、と言えば事情をほとんど知らない武庫川にはあまりにも酷な話になるだろうが、仕方ないのだという前提の上で、ほんの少し俺はそのように思ってしまった。
ままだと、彼女の配慮は無駄になる。せっかく審査会の通過が決まったところで、全体として気運も上向いてきたところである。なんとか、春日野道上昇のきっかけに繋げたいところなのだ……
「するとあれか?シュート回転も君が見抜いたんか?」
武庫川に問われた西九条は「シュート回転………?」と首を傾げた。彼女はあまり腹芸のできるタイプではない。覚えがない、というのなら本当にないのだろう。
「あれ、違うんか。いやな、梅田に聞いたら、リリースするとき人差し指が先行してるからかして、若干球がシュートしてるから、球自体が軽くなりやすくなってる、って書かれてたって言うからな。
そんな細かいところまで見とるんか思って、それも感心してたんやけど」
「あ……ゴメン、それはウチや」
すまなさそうに、控えめに春日野道が手を挙げる。西九条の表情が(見た目に変化はないが)明るくなった。
「春日野道さんが?私、聞いていないけれど」
「いやー、ゴメン。ホンマは、まこっちゃんの見解だけまとめてレポートに書くつもりやったんやけど………どうにも気になってもうて、
控えめに書き足したんや。ウチも少年野球の頃、それでボコスカ打たれて苦労したもんやから……」
「したら、人差し指の先行っちゅーのは経験論からか。バッチシ当たってたで。本人、あれからちょっとキャッチボールの時とかそれ意識し始めたらしくてな。気持ち、前よりボール飛ばされんようになった、言うてたわ。
気持ちゆーたかて重要やからな。それでホームランが二塁打になることかてあるんやさかい。」
「私、気づかなかったわ。やるわね、春日野道さん」
若干上から目線なのは春日野道を軽く見ているからではなくて、彼女の性なのだろう。口許に笑みを浮かべて、西九条はそう言う。春日野道は「いや、無断で書き出してゴメン」と謝りつつも、少し嬉しそうではあった。グッジョブ、武庫川監督、と心の中で呟いた俺の手のひらは、返しすぎて複雑骨折である。